それは、彼が幼い頃に見た、実母の微笑みによく似ていた。 彼女の言葉が本当なら、タイプΦヴァルキリーには、そんなことまで出来る機能があると、そういうことなのであろうか。 メイヤは、リョータロウに、一体何を伝えたいのか、その言葉の裏側にある本当の理由を、今は把握することができなかった。 一つ判ることがあるとすれば、彼女は、決して幸せそうな顔はしていない。 それどころか、彼女の微笑みには、そこはかとない不安と悲哀が滲み出ているようにも見えた。 アーケードを叩いていた豪雨が止み、暗雲に覆われていた鋼色の空に、青い空が戻り始めている。 雲の切れ目から差し込む太陽の光が、白く艶やかなメイヤ頬に、まるで、涙のような細い帯を描いていた。 そんな彼女を真っ直ぐに見つめたリョータロウの胸に、思い出したくも無い嫌な思い出が蘇ってくる。 リョータロウは、ぎりりと奥歯を噛締め、凛とした眉を不愉快そうに吊り上げると、不意に、跳ねるようにその場で立ち上がった。 そして、通路に座り込んだまま、切なそうにそんな彼を仰ぎ見たメイヤの腕を、強引に掴んだのである。 「来い!」 「あ・・・っ!?」 メイヤは、驚いたようにその場で立ち上がると、やけに厳しい顔つきをするリョータロウに引き摺られるようにして、慌ててそこから歩き出したのだった。 「ど、どこに行くの・・・?」 「いいから来い!」 乱暴な口調でそう言って、リョータロウは、黒曜石の瞳を鋭く細めたまま、先ほどの岬に向かって早足で歩いていった。 悪夢のような思い出が、今、その脳裏をぐるぐると駆け巡っている。 リョータロウの生まれた星、惑星ジル―レでは、女性の地位が低かった。 性差別など、大昔になくなったはずなのに、ジルーレだけは例外だった。 そのせいで、今は亡き彼の母親を始め、彼の周りの女性達がどれだけ悲しく辛い思いをしていたか。 徹底した軍事国家であったジルーレでは、夫であり、父親である者が、自分の地位を向上させるために、自分の妻や娘を上官にや上司に差し出すことも日常茶飯事だった。 女性は、道具にも同じ。 惑星ジル―レでは、そんな古代の考え方が浸透していた、倫理的にひどく遅れた惑星国家であったのだ。 当時のあの状況は、今思い出しても吐き気がする。 だから、もし、この美麗なセクサノイドが、あれと同じような状況にあるのだとしたら、例え敵だとしても放っておく訳にはいかない。 リョータロウは、メイヤの腕を強く握り、人込みを掻き分けてどんどん足を進めていく。 青く晴れていく空の彼方に、楕円形の太陽が煌びやかな光を放ちはじめ、瑠璃色の水平線が金色に輝き出していた。 強い海風が吹き付ける、また人気(ひとけ)のない岬へと辿り着いた時、リョータロウは、襟元に着けた通信機のスイッチを入れたのだった。 「承認ID、TD―3804S18140、マキ少尉だ。迎えをよこしてくれ」 『了解しました』 通信機からそんな声が返ってきた瞬間、リョータロウに手を引かれたままのメイヤが、驚いたようにそのルビーの瞳を見開いたのである。 「迎えって・・・・・っ?」 「・・・・おまえは、どうしたいんだ?メイヤ?」 海風に揺れる茶色の髪の下で、黒曜石の瞳を鋭利に閃かせ、岬の端で静かに立ち止まったリョータロウが、水平線を背景にゆっくりとメイヤを振り返る。 メイヤは、綺麗な眉を切なそうに眉間に寄せると、凛と鋭い顔つきをするリョータロウを、その美しい人工眼球で真っ直ぐに見つめすえたのだった。 海風に煽られながら、キラキラと輝くルビー色の髪が、澄んだ空気の合間ではじけるように乱舞する。 押し黙ったメイヤを、尚も強く真っ直ぐな眼差しで見つめながら、リョータロウは、鋭い口調で言葉を続けた。 「おまえが秘書官と呼んでたのは、ジェレミー・バークレイのことだろ? あいつが、どんなつもりで、おまえにそんなことを言ったのか俺は知らない。 だけど、いくら命令だって、おまえは、そんなことしたいのか?」 「・・・・・・・」 「タイプΦヴァルキリーに、人間と同じ感情があるのは俺にだって判る。 おまえは、そんな命令に従うのは嫌なんじゃないのか?」 その言葉に、メイヤは、ひどく切なそうな顔つきをすると、長い睫毛に彩られたルビー色の綺麗な瞳を伏せがちにして、その視線を、石畳へと向けたのである。 力なく頼りの無い声で、彼女は、静かに答えて言った。 「・・・・・・バークレイ秘書官も、リョータロウみたいな人だったらよかったのに・・・ どうして、012が、ガーディアンエンジェルに行ったのか・・・ちょっとだけ判った」 ブーツのかかとを響かせながら、美しい造形を持つしなやかな肢体が、海風の中で静かにリョータロウの元へと歩み寄ってくる。 リョータロウは、そんな彼女の腕を握ったまま、跳ね上がる前髪の下で、黒曜石の瞳を鋭利に細めたのだった。 厳しい表情をするリョータロウをゆっくりと仰ぎ見て、メイヤは、哀しそうに言葉を続ける。 「・・・・・セックスが、人間の生殖行為なのは知ってる・・・・でも、なんだか、すごく嫌・・・嫌だよ」 「・・・・・・」 リョータロウは、ふと押し黙って眉間に深いしわを寄せた。 彼女は、今、明白な意思表示をした。 そうなのだ。 彼女は、機械でありながらも、その実、ごく普通の若い女性なのだ。 そう考えれば、命令でそんなことをさせられるなど、嫌に決まっている。 言動も仕草も、その身体の体温も、彼女は、人間と何一つ変わらない。 彼女には、確かに”感情”があるのだ。 この短い時間の中で、彼女が人間と同じであるということを、まざまざと思い知らされた気がする。 「だったら・・・」 そう言いかけたリョータロウの言葉を遮るように、メイヤは、更に言葉を続けた。 「リョータロウは、やっぱり優しい」 なんの脈掠のない彼女の言動に、またしても面食らった顔つきをすると、リョータロウは、あきれ返った様子でため息をついた。 片手を額にあてがいながら、乱暴な口調で彼は言う。 「優しくなんてねーよ、さっきも言っただろう」 「でも、名前、付けてくれた」 「適当だよ」 「リョータロウ」 「なんだよ」 指の隙間から、力ない視線でまじまじとメイヤを見やると、その視界の中で、彼女は、ひどくあどけなく、それでいてやけに切なそうに笑っていた。 パーカーの襟元に着けた通信機から、高速艇が500m以内に近づいた事を知らせるアラームが鳴る。 リョータロウは、ゆっくりと額から手を退けて、強く握っていたメイヤの腕を離すと、もう一度大きくため息をつきながら、気だるそうに背中を向けたのだった。 そんな彼に向かって、どこか甘く切ない声色で彼女は言う。 「ステーションのモニターに映ってたあれは、リョータロウにしてもいいの?」 「?」 メイヤが、一体何のことを言っているのか、さっぱり訳がわからず、リョータロウは、訝しそうに眉根を寄せて、肩越しに彼女を振り返った。 楕円の太陽から降注ぐ光の矢が、ルビー色の髪をキラキラと輝かせ、その髪束を綺麗な頬で揺らしたメイヤが、あどけなく微笑んだ。 「おまえ、何言ってんだ?」 ブーツのかかとが軽く鳴り、そんなリョータロウの肩に手をかけたメイヤの美麗な顔が、突然、目の前に近づいて来た。 次の瞬間。 ふくよかで妖艶な彼女の唇が、リョータロウの唇に重なったのである。 柔らかで暖かなその感触。 まったく予想もしていなかったその事態に、一瞬、頭の中が真っ白になる。 ひたすら驚愕して、大きく見開いた瞳の隅に、ルビー色の髪が流れるように漂っていた。 静か唇を離し、後ろ手に両手を組みながら、ニッコリと笑うメイヤに、もはや、何も言う言葉はない。 唖然としながら眉の角を吊り上げたリョータロウを、髪と同じルビー色をした綺麗な人工眼球で真っ直ぐに見つめ、メイヤは、心なしか嬉しそうに小首を傾げたのだった。 きっと彼女は、”この行為”の意味をまだよく理解していない。 理解していないと言うより、寧ろ、学習していないと言った方が正しいかもしれない。 こいつは、なんて厄介な代物なんだ。 リョータロウは、片手で口元を抑えて、何ともいえない複雑な表情で眉根を寄せた。 その精悍な頬が上気しているのは、決して気のせいなどではない。 今、目の前でくったくなく笑っているのは、戦闘用ヴァルキリーではなく、たちの悪い小悪魔だ。 その妖艶な容姿と、それにかみ合わないあどけない性格が、殊更性悪に思えてくる。 「ありえねぇ・・・・」 げんなりした様子で、思わずそんなことを呟いた時だった。 ふと、センター街のアーケードに視線を移すと、緩やかな歩調でこちらに歩いてくる、一人の青年の姿があったのである。 メイヤは、何かに気付いたように、びくりと肩を揺らし、意図して背後を振り返らず、自らの両手をぎゅっと握り締めた。 次第に大きくなっていく、海風に揺れる金色の髪と、すらりとした長身。 僅かばかり離れた場所に立ち止まったその青年は、長い前髪から覗く金色の瞳で、真っ直ぐに、そんなメイヤの後姿を見つめすえたのだった。 リョータロウは、怪訝そうな顔つきで、金髪の青年の物腰を眺めやる。 海風の最中に、そこはかとなく不穏な気配が漂い始めた。 常に戦闘に身を置く者の勘とでも言うのだろうか・・・・その青年は、普通の人間とは何かが違う。 そんな事を思ったリョータロウは、揺れる前髪から覗く黒曜石の瞳を鋭利に細め、直ぐに銃が抜ける体制を整えたのだった。 その視界の中で、豪華な金髪の髪を海風に揺らす青年が、端整な唇をゆっくりと開く。 「011、何をしている?戻る時間だ」 短い言葉を紡いだのは、やけに落着き払った、それでいてひどく冷淡な声であった。 美貌とも言える涼麗な顔立ちと、背筋が寒くなるほど冷酷な眼差し。 理性的で冷静なその表情が、殊更、その異質な気配を際立たせている。 そんな彼を振り返ったメイヤの美麗な顔が、心なしか不安気に歪んだ。 リョータロウは、ナイフのような鋭利な視線をその青年に向けたまま、精悍な唇を引き結んだのである。 メイヤは、ルビーの瞳を大きく見開きながら、その青年の名を呼んだ。 「07・・・」 その瞬間、リョータロウは、今、此処にいるこの金髪の青年が、メイヤと同じセクサノイドであることを明白に悟ったのである。 この青年は、恐らく、タイプΦヴァルキリーの男性体だ。 だが、明らかに、メイヤとは雰囲気が違う。 今此処で、リョータロウがガーディアンエンジェルの人間だと知られたら、この個体は、間違いなく戦闘しかけてくるだろう。 それは、リョータロウの直感だった。 07と呼ばれたセクサノイドの金色の瞳が、鋭利な輝きを孕みながら、ゆっくりとリョータロウに向けられる。 リョータロウは、厳しい顔つきをしながら、そんな07の視線を真っ向から受け止めた。 07の涼麗な顔が訝し気な表情を作り、その金色の瞳が、再び、メイヤの方を向く。 「この人間は誰だ・・・?火薬反応がある」 一瞬、言い知れぬ緊張がその場を走り抜けた。 メイヤは、咄嗟に07の元へと駆け寄ると、唇だけで小さく笑って、まるで、リョータロウを庇うかのようにこう言ったのである。 「助けてくれただけ、空のピカっが怖かったの。だから助けてくれたの、それだけ。 もう行く時間なのよね?秘書官が待ってる」 その言葉に驚いて、リョータロウは、パーカーを羽織る広い肩を小さく揺らした。 ひどく切な気な顔つきをしたメイヤが、そんなリョータロウをゆっくりと振り返ると、ふくよかで妖艶な唇で、寂しそうに笑うのだった。 そして彼女は、呟くようにこう言った・・・・「有難うリョータロウ・・・戻るね」と。 リョータロウは、厳しく鋭利な顔つきしたまま、そんなメイヤの瞳を、真っ直ぐに見つめすえる。 その視界の中で、メイヤは、07の腕を強引に引っ張りながら、ゆっくりとこちらに背を向けたのだった。 白いショートボレロを羽織ったしなやかな背筋で、赤い髪が音もなく跳ね上がる。 メイヤに腕を握られた07の金色の瞳が、広い肩越しに、ちらりとリョータロウを振り返った。 長い前髪の下で、意図して細められたその視線は、リョータロウに対しての不審感を、あからさまに物語っているようだった。 リョータロウは、そんな07の顔を睨むように見やると、端整なその顔を、殊更険しく歪めたのである。 鋭い疑念を持ちながらも、冷淡な表情を崩さない07が、ゆっくりと前方に向き直った。 トライトニアが誇るタイプΦヴァルキリーの姿が、リョータロウの視界の中から、次第に遠くなっていく。 眼前に広がる瑠璃色の海に、低い海鳴り轟き渡った。 海風に激しく揺れる髪を気にするでもなく、リョータロウは、強く真っ直ぐなその眼差しを、研ぎ澄まされたナイフの如く煌かせたのだった。 メイヤは、仲間である者に対して、リョータロウの素性をあえて伏せたのだ。 つまり、07と呼ばれるあの男性体ヴァルキリーから、事実上リョータロウを庇ったのである。 リョータロウの胸の奥で、腑に落ちない何かが、空にかかる雨雲のように広がっていく。 その正体がわからぬまま、苦々しく眉根を寄せたリョータロウの耳に、指定ポイントまで高速艇が辿り着いたことを知らせるアラームが、無機質な響きを持って鳴り響いたのだった。
|
|