* 鋼色の空から滝のように降り落ちる豪雨が、ノバーナの高層ビル群を白く曇らせている。 立ち並ぶビルと、舗装された地面を叩く雨音は、まだまだ止みそうにない。 特殊ガラスのアーケードに覆われた、ショッピングモールの通路に座り込みながら、その広い背中を雑貨屋の壁に押し付けて、リョータロウは、「一体これはどういう事なのか?」と、思わず眉間にしわを寄せた。 すっかり濡れそぼった癖毛の合間から覗く、凛とした黒曜石の瞳が、先ほどから、その腕にしがみついたまま離れない、臆病なタイプΦヴァルキリーの綺麗な横顔をまじまじと見つめている。 確か、このセクサノイドは、ツァーデ小隊の仲間を撃墜し、かつては、リョータロウ自身のレイバンすら墜したことのある、戦闘用ヴァルキリーのはずだ。 ところがどうだ。 彼女は、戦闘時のメモリーは全て消去されていて、戦闘の記憶が一切無い上に、その妖艶で美麗な容姿にも関わらず、ひどくあどけなくてくったくない、少女のようなセクサノイドではないか。 しかも、銃をつきつけて連行しようとしたリョータロウから逃げもせず、それどころか、雷が怖くて、元来で敵であるはずの彼の傍を、絶対に離れ様としないのだ。 流石のリョータロウも、実に複雑な顔つきでため息をついてしまう。 セラフィムに連絡を取ろうにも、雷雨が止むまでは通信回線が復旧しないだろう。 マルタリアの雷は、その電圧が非常に大きいため、通信回線が不通になることなどさして珍しくはない。 このヴァルキリーをこのまま連行するにしても、放置するにしても、とにかく、今は、雨が上がるのを待つしかないのだ。 目の前を通り過ぎて行く人々の雑踏を、不機嫌そうな表情で眺めながら、リョータロウは、テイクアウトのカフェオレを精悍な唇に押し当てて、相変わらず鋭い声色で、011に聞くのである。 「それで・・・どうしてトライトニアのヴァルキリーが、この星にいる?」 リョータロウの腕にしがみついたまま、011は、濡れた前髪から覗くルビー色の瞳で、ゆっくりと彼の端整な顔を仰ぎ見た。 彼がこうして傍にいるため、少なからず安心しているのか、彼女は、幾分和らいだ甘い表情で答えて言う。 「詳しくは言えない・・・だって、敵でしょ?」 「・・・・・・・」 確かに、彼女の言うことは当っている。 リョータロウは、濡れた癖毛を片手でかき上げながら、憮然と前を見つめ据え、ゆっくりと唇を開くのだった。 「そうだ、敵だ。なのに何でおまえは逃げない?」 「・・・逃げたら、撃つでしょ?」 「ああ」 「撃たれるのも怖いけど・・・空でピカっていうのの方が・・・もっと怖い」 どこかとぼけたような彼女の返答に、リョータロウは、広い肩を落とすと、すっかりあきれ返った顔つきをして、自らの額に片手を押し当てた。 もはや、リョータロウには返す言葉もない。 彼女には、リョータロウが敵であるという緊張感など、まったく無いようだった。 大きなため息と共に、やっとリョータロウの口をついて出た言葉はこうだ。 「あんなもん、戦艦の主砲と似たようなもんじゃねーかよ・・・」 「でも怖い!怖いの!!怖いの・・・っ」 そう言って、ルビーの瞳を再び涙で潤ませると、011は、リョータロウの肩に綺麗な頬を押し付けて、ますます強く抱きついたのである。 本当に、一体、何だというのか。 同じタイプΦヴァルキリーでも、イルヴァと011は、まったく性格が違うように思える。 011は、自分で自分を欠陥品だと言った。 確かに、そうなのかもしれない。 自分がトライトニアのタイプΦヴァルキリーで、リョータロウが敵だと言う自覚が、彼女には、殆どと言っていい程無いようだ。 このまま、ガーディアンエンジェルの母艦に連行されるかもしれないのに、そんな危機感すら全く持っていない様子だった。 それどころか、すっかりリョータロウに頼りきっているようにも思える。 この個体は、本当に『グィネビア』のパイロットなのかと、リョータロウは、ますます怪訝そうに眉間を寄せてしまった。 011には、警戒心の欠片すらない。 そのせいか、流石のリョータロウも、段々と彼女が、トライトニアの危険な人型兵器ではなく、普通の女性に思えてきて仕方がなくなってくる。 この個体をこのまま連行するか、放置するか、もはや、その判断すら付かなくなってしまった。 リョータロウの上官であるレムリアス・ソロモンは、イルヴァを「機械とは思えない」と言っていたが、それはこの011も同じだ。 イルヴァのような落ち着きがあれば、”危険な存在”と言う自覚も出るが、011は、余りにも臆病であどけなさ過ぎる。 妖艶な容姿とアンバランスなその性格が、殊更、リョータロウの危機意識をも遠のかせていく。 だからといって、この美麗なセクサノイドが、トライトニアのタイプΦヴァルキリーであることには変わりない。 それに、彼女は、ガーディアンエンジェルの人間が、このマルタリアを訪れていることを知ってしまった。 それがトライトニアの上層部にでも知れたら、ガーディアンエンジェルがこのマルタリアで何を行っていたのか、その動向調査にかかるかもしれない。 ガーディアンエンジェル専用の戦艦ドック『ドーラ』の存在を、今、トライトニアに知られる訳にはいかない。 そう思うと、やはり、このあどけないヴァルキリーを拘束するか、あるいは、破壊するしかないのいかもしれない。 リョータロウは、その端整な顔を苦々しくしかめた。 相変わらず、その腕にしがみついたまま離れようとしない011を、鋭く細めた眼差しでちらりと見やると、何とも言えない複雑な心情で、カフェオレのカップに口をつけたのである。 通信回線が復旧して、もしソロモンに、判断を仰いだとしたら、その時、ソロモンは、一体、どうしろと指示してくるだろうか。 そんなことを思ったリョータロウの横顔を、011の綺麗なルビー色の瞳が、恐る恐る覗き込んでいる。 もしかすると彼女は、リョータロウの機嫌を伺っているのかもしれない。 探るようなその視線に、気付かないふりをしたリョータロウの視界の隅で、011は、どこか安堵したように肩を竦めると、やけにあどけなく微笑したのだった。 彼女は、険を失ったリョータロウの表情に気付いたようだ。 妖艶な雰囲気を持つふくよかな唇が、遠慮がちに開らかれる。 「あの・・・・聞いていい?」 「なんだよ」 「・・・名前、なんていうの?」 「そんなこと聞いてどうする?」 「呼ぶの・・・親切な敵の名前」 そう言って、011は、もう一度、くったくなく、そしてやけに甘く微笑んだのだった。 リョータロウは、広い肩を竦めると、大きくため息をつきながら、愛想の無い声で答えて言う。 「リョータロウ・・・リョータロウ・マキだ」 「リョータロウ・・・」 何故か、ひどく嬉しそうにそう復唱して、011は、更に言葉を続ける。 「ガーディアンエンジェルは、トライトニアの敵で、テロリストなはずなのに、どうして、リョータロウは優しいの?」 「優しくなんてねーよ、優しいやつが、銃でおまえを脅すかよ」 「でも、空のピカっから、守ってくれた」 「おまえが勝手にくっついてたんだろ?別に守ってやったつもりはねーよ」 「リョータロウ」 「なんだよ」 「私も・・・・・名前が欲しい、人間みたいな名前。ねぇ、名前付けて、リョータロウが」 「はぁ!?」 余りにも突拍子のないその言葉に、思わず、素っ頓狂な声を上げると、リョータロウは、011の綺麗な微笑みを、信じられないと言った顔つきでまじまじと顧みた。 このヴァルキリーは、一体何を言っているのか。 きょとんと丸くした黒曜石の瞳の中で、ルビー色の艶やかな髪がふわりと揺れる。 宝石のように美しい人工眼球が、くったくない甘い表情のまま、唖然とするリョータロウの顔を真っ直ぐに見つめていた。 「本当に、こいつは一体何なんだ!?」そんな悪態を心中で吐きながら、すっかりあきれ返った様子で、リョータロウは、眉間に深いしわを刻んだまま、特殊ガラスのアーケード越しに見える、ステーションの大型モニターを仰いだのだった。 そこには、先刻、カフェの軒下しから見ていたあの映画のCMが流れている。 やけに甘いキスをする男女の映像に、『MAIYAH』と言うタイトルロゴが浮かび上がった。 リョータロウは、半ばやけになって、011の美麗な顔を振り返ると、不機嫌そうな声色で言うのである。 「だったら、『メイヤ』とでも名乗っとけ」 本当に、まったくもって、何の考えも無しにそう言っただけだった。 しかし、011は、その綺麗な顔を、まるで、光が差し込むように嬉々とさせると、ひどく歓喜した様子で満面の笑みを浮かべたのである。 「・・・・メイヤ・・・・私の名前・・・嬉しい・・・有難う、嬉しい!」 余りにも嬉しそうなその表情に、戸惑ったのは当のリョータロウの方だ。 映画のタイトルをそのまま言っただけなのに、こんな顔をされては、なんだか心が痛むではないか。 眉間のしわをますます深くして、リョータロウは、ひどくバツが悪い顔つきをしながら、手に持ったままでいるカフェオレに、無言のまま口をつけたのだった。 あれだけ激しかった豪雨が、少しずつ止んできている。 頭上に広がる雷雲が過ぎ去ったら、通信回線が復旧するはずだ。 そうなれば、確実に、ソロモンに現状報告しなければならない。 茶色に染めた癖毛の合間で、黒曜石の瞳を細めたリョータロウの腕から、ふと、011の・・・・メイヤの手が離れた。 彼女は、渋い顔つきをするリョータロウの頬辺りに、その美麗な顔を寄せると、なにやら、小さく小首を傾げ、再び、そのふくよかな唇を開いたのである。 「リョータロウ」 「なんだよ」 「私が、マルタリアに連れて来られた理由・・・・」 「俺は敵だから、言わないんだろっ?」 その言葉に、メイヤは、宝石のような赤い髪を揺らして首を横に振ると、不意に、くったくない微笑が、どこか切なそうに微笑に変わった。 だが、そんな彼女の顔を、リョータロウは、カフェオレのカップに口をつけたまま睨むように顧みたのである。 映画のタイトルを取って、メイヤと名付けられた美麗なセクサノイドは、何故か、ひどく不安そうな声で言葉を続けたのだった。 「人間の男とセックスするためだって、機嫌を損ねるなって、秘書官は言ってた」 「・・・・・・っ!?」 余りにも露骨な彼女の言葉に、リョータロウは、飲んでいたカフェオレを危うく吹き出しそうになる。 思い切りむせながら、持っていたカップを歩道の上に置くと、リョータロウは、手の甲で口元を抑え、切ない表情で首を傾げるメイヤを、まじまじと見つめやるのだった。 「な・・・なんだよそれ?」 「そうすれば、全てが上手く運ぶ」 「はぁ?」 「そう言われた」 メイヤは、赤い髪が揺れるなだらかな肩を竦めながら、ルビー色の瞳を細めるとやけに哀しそうな表情で微笑(わら)う。 その微笑が、何故か、リョータロウの心の端に、一瞬だけ、電撃のような鋭い痛みを走らせる。 こんな微笑を、リョータロウは、以前、見たことがあった。
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