* 静寂の夜空に赤い星が落ちていく。 それはまるで、今、指先に掲げたこの小さなグラスファイバーの欠片のように、キラキラと輝く美しい流星だった。 セラフィムの広い甲板、ブリッジの大きな影が落ちる9番主砲の下に寝転んで、リョータロウは、星空に浸すようにかざしたその小さな欠片を、じっと見つめすえていた。 星屑の涙。 この綺麗な赤い破片には、そんな言葉がよく似合う。 「ねぇ、リョータロウ、それなぁに?」 リョータロウの胸を枕にしていた、ハルカ・アダミアンが、澄み渡る大きな黒い瞳を好奇心に輝かせながら、実に子供らしい、あどけなく無邪気な笑顔でそう聞いた。 リョータロウは、凛と強いはずの黒曜石を、切な気な面持ちで静かに伏せると、右手で赤い破片を握り、左手で、自分の胸の上にあるハルカの頭をくしゃくしゃと撫でたのである。 「星だよ・・・・・・赤い星の欠片」 からかうようにそう答えたリョータロウを、ハルカの澄んだ眼差しが嬉々として振り返った。 「ほんと!?」 「ほんとだよ」 「見せて!!」 「駄目だ」 「何で!?」 「何でも」 リョータロウは、精悍な唇だけで可笑しそうに笑う。 ハルカは、少々不満そうに唇を尖らせて、上目遣いにじっとリョータロウの顔を見つめると、少し長すぎるパジャマの袖から、夜空に向かって大きく片手を伸ばすのだった。 「リョータロウ!僕にも取って!!」 「自分で取りにいけよ」 「行けないよ!」 「諦めるなよ」 そんな奇妙な会話が、星屑の降るセラフィムの甲板に響いては消えていく。 ハルカは、艶やかな黒髪を揺らしてちょこんと起き上がると、実に不満気にため息をついて、大きすぎるパジャマの肩を竦めたのである。 「リョータロウの意地悪・・・・」 ハルカは、拗ねた様子でそう呟いて、広大な宇宙にも似た澄み渡る黒い瞳を、瞬く星の海が広がる美しい夜空に向けたのだった。 ひんやりとした甲板に寝転がったまま、両腕を頭の後ろで組んで、リョータロウは、ハルカと同じ空を仰ぎ見る。 きっと、ハルカは知っているのだ、表面には出さなくても、今、リョータロウの心が悔恨と哀しみに満ちていることを。 NW−遺伝子児であるハルカは、聡明で人の気持ちに敏感な少年である。 例えその理由を知らなくても、リョータロウの胸の内にある鮮烈な痛みを、肌で感じ取っているのだろう。 こんな時間だというのに、突然、リョータロウの部屋に来て「リョータロウ、散歩に行きたい!」と言い出したのは、きっとそのせいだ。 それに気付いているリョータロウは、ひどく切な気に微笑して、夜空を仰ぐハルカの華奢な背中に向かって言うのだった。 「・・・・ハルカ、レイバンに乗せてやれなくて、悪かったな」 そんなリョータロウを振り返ると、ハルカは、光が差すようにニッコリと笑って、あどけなない表情で口を開くのだった。 「だってリョータロウ、眼、怪我してるんでしょ?僕、リョータロウの怪我が治るまで我慢できるよ!」 余りにもハルカらしいその返答に、唇だけで微笑(わら)って見せると、リョータロウは、「そうか」とだけ答えて、押し黙った。 赤い流星の降る空を見つめるリョータロウの髪が、静かな風に音もなく弄ばれる。 黒絹の空の合間に、星屑の涙とも言うべき赤い星が落ちていく。 そこに重なるのは、あの美麗なセクサノイド『メイヤ』のあどけなくも甘い笑顔であった。 もう、二度と会うことの出来ない、人間以上に人間らしかった彼女を思うと、その心には、血が滲むほどの痛みが走り抜ける。 美しい夜空を映す黒曜石の瞳に、ふと、深い哀しみが宿った。 その時、リョータロウの傍らで夜空を見上げていたハルカが、やけに無邪気に笑って、突然、こう切り出したのである。 「リョータロウ。僕ね、レイバンパイロットの資格試験受けることにしたんだ! 僕も、リョータロウみたいにセラフィムを守るんだ!ナナミちゃんも、気合入れて発進アナウンスしてくれるって言ってたよ!」 何か勘違いしたようなその言葉の語尾に、心痛に苛まれていたリョータロウが、思わず吹き出した。 哀しみの欠片が滲む瞳を僅かに細めると、リョータロウは、唇だけで可笑しそうに笑ったのである。 「なんだよそれ?発進アナウンスは関係ないだろ?」 「だって、ナナミちゃんがそう言ってたんだもん!僕、ツァーデ小隊に入れるように頑張るから!」 そう言って、何故か意気込むハルカを見つめながら、ゆっくりと半身を起したリョータロウの手が、いつものように、くしゃくしゃとハルカの髪を撫で回した。 そして、からかうような口調でこう言ったのである。 「ツァーデ小隊に配属されたら・・・おまえ、ひどいぞ?」 「え?なんで?」 きょとんと目を丸くしたハルカに向かって、リョータロウは、底意地の悪い口調で言葉を続ける。 「おまえがツァーデ小隊に入隊したら、俺が、徹底的にこき使ってやる。泣き言なんか言うなよ」 「えーっ!?何それ!?そんなのひどいよリョータロウ!!」 「だから、ひどいって言っただろ?」 「もぉ!リョータロウの意地悪っ!!」 実に不満そうに頬を膨らませるハルカを、さも可笑しくて仕方ないと言うような表情で眺めやると、リョータロウは、もう一度小さく微笑(わら)った。 そんな彼の瞳の奥に、いたたまれない切なさの影が落ちる。 不意に笑いを納め、やけに神妙な面持ちに変わったその眼差しが、真っ直ぐにハルカの顔を見つめすえる。 ハルカは、リョータロウの眼差しを正面から受け止めると、きょとんと小首を傾げ、不思議そうに聞くのである。 「・・・リョータロウ?どうしたの?」 リョータロウは、やけに穏やかな声色で答えて言う。 「ハルカ・・・・おまえは、俺みたいになるなよ。一度守るって決めたものは、絶対に守り抜け・・・・・・絶対にな」 その言葉に、ますます不思議そうな顔つきになって、ハルカは、ふと、何かを思いついたように華奢な肩を揺らし、相変わらず無邪気な口調で答えるのだった。 「リョータロウはいつだって、みんなのこと守ってるでしょ?リョータロウがそんなこと言うのなんか変だよ・・・っていうか、今の言い方、なんだかレムルみたいだった!」 全く予想外のその返答に、リョータロウは、凛とした眉を眉間に寄せると、何故か不満そうな声色で反論したのである。 「馬鹿・・・・・・そんな訳あるかよ」 「だって、すっごくレムルに似てたよ?そういえばリョータロウ、最近、段々レムルに似てきたよね?」 「はぁ?似てねーよ・・・・」 「似てるよぉ!だって、今言い方、本当にレムルみたいだったもん!」 「だから、似てねーってば・・・っ!」 「似てるってば!」 アルキメデスの夜空に、赤い星屑の涙が降る。 果てしない宇宙の海原が騒乱に揺れ、全ての局面が急速に動き出すのは、静寂と美しい星々に満たされたこの夜から、更に五年の月日が流れてからのことである。
【NEW WORLD〜第二序曲〜】 END
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