* ジルベルタ星系第四惑星トライトニア。 その大統領官邸に激震が走ったのは、アルキメデスのデボン・リヴァイアサン掃蕩作戦終了から、ほんの数時間後のことであった。 首都オーダムの高層ビル群に設置された大型ディスプレイには、現トライトニア大統領急逝を知らせるニュースが流されていた。 大統領官邸の中を慌しく走り回る職員と官僚たちの雑踏が、大きな扉の外側から聞こえてきている。 トライトニア標準時間は午後3時。 秘書室の大きな窓辺に立ち、黄色く濁る空を灰色の瞳で見つめていたジェレミー・バークレイは、上質のスーツを纏った細身の肩で一つため息をついた。 その背中に、ひどく気落ちした様子で官僚バーミットが、おずおずと声をかけてくる。 「胸中、お察しいたします・・・バークレイ秘書官。大統領閣下が、まさか演説中にお倒れになるとは・・・・」 「いや・・・トライトニアに住む人間の宿命だ・・・・父も、平均寿命以上を生きた、満足だろう」 こちらを振り返らないまま、力ない声でそう答えたバークレイの背中を、ますます気の毒そうな顔つきで、バーミットが見つめすえる。 バークレイは、もう一度、肩でため息をついた。 しかし、この時、官僚バーミットは知らなかったのだ、バークレイの灰色の瞳が、嬉々として輝いていることなど。 現大統領急逝を受けたトライトニア国会は、次の大統領候補として、このジェレミー・バークレイを擁立するだろう。 既に根回しは完了している。 筆頭秘書官という立場から、この星の最高権力者になれば、この星の全てを、容易に動かすことが出来る。 急逝した父は、ある程度の実権をバークレイに与えていたが、それでも、全てではない。 しかも父は、実に酔狂なことに、ガーディアンエンジェルとの関係を穏健体制に見直そうとまで言っていたのだ。 だが。 その父は死んだ。 思いの他あっさりと、バークレイ自らが手を下すこともなく。 蛇のようにぎらつくバークレイの瞳は、尚も嬉々として輝き、その唇は、野心を隠せず不気味に笑う。 トライトニアは、必ず宇宙の実権を握る。 デボン・リヴァイアサンのお陰で、アルベータ装甲は一時逃したが、最高権力者になれば、マルタリアに脅しをかけてでも手に入れることができる。 諸悪の根源たるテロリストも、片手で握り潰してやる。 タイプΦヴァルキリーの『不備』を矯正し量産型に変え、アーマード・バトラーの性能も更に引き上げる。 そして、ガーディアンエンジェルから再びNW−遺伝子を奪い、『老いる不完全な遺伝子』を『不老の完全な遺伝子』に変えるNW−遺伝子ワクチンを作り上げるのだ。 燃え盛る野心は尽きることはない。 この広大な宇宙を、必ず、この手に一つに握ってみせようと、バークレイは、自分自身にそう語りかける。 まもなく、惑星国家トライトニアは新しい最高権力者を生み出すだろう。 やがて、広大な銀河に点在する他の惑星国家をも巻き込むであろう宇宙の波乱が、今、正にその幕を上げようとしていた。
* アンダルス星系第六惑星アルキメデスの空は、一面の星の海に彩られ、再び戻った静寂の夜が、破壊された街の上に静かに横たわっていた。 アルキメデス標準時間は、既に、午後九時を少し過ぎた辺りを差している。 宇宙戦闘空母セラフィムの乗組員専用カフェテラスは、夕食の時間を大幅に過ぎたこの時間にも関わらず、今夜はやけに賑わっていた。 戦闘後の救護活動を終え、遅い夕食を取る船員たちが多いためだろう。 広いカフェテラスには賑やかな話し声と料理の香りが充満し、やっと休息を迎えることの出来た船員たちがあちこちで談笑している。 そんな船員たちに混じり、やはり食事の席に着いていた、ブリッジの主任オペレーター、オリヴィア・グレイマンと、通信オペレーター、ナナミ・トキサカは、何か珍しい動物でも見るような視線で、向かいの席に座るルツ・エーラをまじまじと見つめていたのだった。 ルツは、先ほどからずっと無言でそこに座り、身動(みじろ)ぎもしないまま、ぼうっと宙を見上げている。 コーンスープをスプーンですくいながら、訝しそうに眉根を寄せ、ナナミが、恐る恐るそんなルツに声をかけた。 「ル、ルツ?ちょっと・・・だ、大丈夫?何かあったの?メディカルセクションから戻ってきてから、なんか、変だよ?」 つい先刻まで、ERでショーイに付き添っていたルツは、『バート』の整備を終えたギャラクシアン・バート商会の従業員と役目を交代し、食事を摂るため、ナナミと、そしてオリヴィアと共にカフェテラスに来ていた。 だが、しかし。 彼女は、テーブルの上に置かれたベジタブルドリアに手をつけることもなく、何故か、ずっとこんな様子なのである。 その上、ナナミに話し掛けられていることすら、全く気付いていない。 不思議そうに小首を傾げたナナミの隣で、グリーンサラダをつついていたオリヴィアが、そっと片手を伸ばし、ぼうっとしているルツの頬を軽く叩いたのだった。 「ルツ?ルツってば?熱でもあるの?ほんとに、貴女ちょっとおかしいわよ?どうしたの?」 そこで初めて、話し掛けられていることに気付いて、ルツは、ハッと我に返ったのである。 「え、え、え?な、何ですか主任?何か言いました??」 黒い瞳をぱちぱちと瞬きさせながら、ルツは、なにやら焦った様子でオリヴィアの美麗な顔を覗き込む。 オリヴィアとナナミは、殊更不思議そうに首を傾げ、思わず、互いの視線を合わせたのだった。 私服の肩を軽く竦め、小さくため息をついたナナミが、なにやら、決意を決めたように眉の端を吊り上げると、突然、単刀直入にこう切り出したのである。 「オルニー船長と何かあったの?って言っても、まだ意識不明って聞いてるけど・・・ERから戻ってきてから、ルツ、なんか、すっごく変だよ?話してみてよ!すっきりしちゃうよきっと!!」 ナナミは、片手にスプーンを握り締め、犯人を追及する刑事ばりの口調と表情で、さも何かあったんだと言いたげにルツの顔を見つめすえている。 その言葉に、あからさまに頬を赤くしたルツは、困ったような照れたような、そんな複雑な表情でうつむいたのだった。 そんなルツの仕草に、ナナミは、何故かにんまりと笑う。 「やっぱり何かあったんだ・・・?あんなに悪口言ってたのに、一言も何も言わないのは絶対おかしいと思ったんだ!!」 「べ、別に何があった訳じゃないよ・・・・っ!あの、ただ・・・その」 いつものルツらしくなく、もごもごと口篭もるその態度に、殊更確信を得た様子で、ナナミは、興奮気味にテーブルの端を叩いたのだった。 その振動で、テーブルの上に置かれていた食器が軽く跳ね上がる。 「なになに!?一体何があったの!?もったいぶらないで話してみてよ!ナナミ、なんでも相談に乗るよ!!」 相談に乗るというよりは、寧ろ野次馬根性だと・・・傍らでミネラルウォーターに口をつけていたオリヴィアは苦笑した。 「ちょっとナナミ、よしなさい、急にそんなこと聞かれても、ルツだって困るでしょ?ね、ルツ?」 ルツは、膝の上に置いた手をぎゅっと握り締め、破裂しそうな程真っ赤な顔で答えるのだった。 「いえ!ほんと、そんな、何かあったとかじゃなくて・・・っ、ただ・・・」 「ただ?」 「見てはいけないものを見てしまったというか・・・・聞いてはいけないことを聞いてしまったというか・・・・その、とにかく何もないんです!!」 その答えに、オリヴィアとナナミは、再びお互いの顔を見合わせる。 ナナミは、訳がわからないといった様子できょとんとルツを見つめ返し、オリヴィアは、何かに気付いて、可笑しそうに笑ったのだった。 綺麗な顎の下で徐に両手を組むと、オリヴィアは、やけに落ち着いた声でこう言ったのである。 「・・・・ルツ、まんまと艦長の策に嵌ったわね?」 「・・・・え!?何ですかそれ!?それ、どういう意味ですか主任!?」 ルツは、驚いたようにその黒い瞳を見開くと、思わずテーブルに身を乗り出して、可笑しそうに笑うオリヴィアを見つめすえる。 軽く肩を竦めながら、やけに艶のある仕草でブロンドの髪をかきあげると、オリヴィアは、静かに言葉を続けるのだった。 「艦長が貴女をERに連れて行ったのは、その『見てはいけないもの』を見せたくて、『聞いてはいけないこと』を聞かせたかったからよ・・・多分」 「なんですかそれ!?え?そ、それって、つまり・・・」 「前にも言ったじゃない?オルニー船長はあれで、本当は根が優しい人なんだって・・・それを、ルツに知って欲しかったんじゃないのかしら?ルツは、オルニー船長をかなり誤解してるからね」 その返答を聞いて、思わずぽかんと口を半開きにしたルツの顔を、さも愉快そうに見つめたまま、オリヴィアは、赤いルージュの唇でもう一度穏やかに微笑したのである。 そんなオリヴィアの様子を、隣の席から感慨深そうに眺めていたがナナミが、ふと口を開いた。 「主任って・・・本当、艦長の考えてることよく判ってますよね?ナナミ、感心しちゃいます」 「これでも、もう10年も艦長の下で働いてるからね。でも、ノルドハイム博士には負けるわよ」 「ノルドハイム博士かぁ・・・そういえば、ナナミのパパも言ってましたよ、ノルドハイム博士は、ずっと艦長の傍にいる人だって。美人なのに結婚しないなんて勿体無いって」 ナナミは、可笑しそうにそう言って、冷めかけたクリームパスタを口に運んだのである。 ナナミの家系は、親子三代に渡ってガーディアンエンジェルに所属する、生粋の組織構成員だった。 そのためナナミの父親もまた、つい二年程まで、整備士として戦闘空母エステルに乗船していた。 だからこそ、彼女の父親は、ガーディアンエンジェルに関する大抵の事情を、歳若い船員達よりも把握しているのだ。 もごもごと口を動かしながら、ナナミは、くったくない表情で言葉を続ける。 「ノルドハイム博士は頭が良いから、その辺の男の人じゃ相手にならないのかな??」 その言葉に答えたのは、意外にも、再び我に返ったルツであった。 「多分、違うと思う」 ルツは、やっとその手にフォークを取りながら、何やら感慨深げに眉間を寄せて、やけにしみじみした口調で言葉を続けたのである。 「結婚なんて考えられないほど、研究に没頭してるって言うのもあるだろうけど・・・」 その言葉の語尾を、何故か突然、オリヴィアが続けた。 「艦長の傍にいたいのよ・・・・例え片思いでもね」 その的確とも言うべき見解に、ルツとナナミが、きょとんと目を丸くして、どこか寂しそうに笑うオリヴィアを顧みた。 パスタを乗せたフォークを口元で止めて、ぱちぱちと瞬きしながら、すかさずナナミは聞くのである。 「主任、何でそんなことが判るんですか!?」 「それは・・・・」 「それは!?」 ナナミとルツが、声を揃えてそう聞き返す。 オリヴィアは、僅かばかり困ったように蛾美な眉を寄せると、一つ小さくため息をついて、ミネラルウォーターに手を伸ばしながら、徐に口を開いた。 「・・・・・内緒」 激しい戦闘を終えたセラフィムには、こうして再び、つかの間の安息が訪れたのである。
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