* アンダルス星系アルキメデスの大気圏には、静けさが訪れていた。 それは、アルキメデスの首都プラトンを暗黒の夜が覆った頃のことだった。 一時休戦に入り、アルキメデス戦艦隊が軍用ドックで弾薬とエネルギーの補給を行う中、プラトンにあるアルキメデス行政総本部、その中枢コンピュータルームには、明らかに軍人とは違う、白いショートローブを纏う二人の青年の姿があった。 灯りの消えた暗い室内を、小型パソコンのディスプレイが放つ淡い光が照らし出している。 中枢コンピュータのメインモニターはブラックアウトしたままだが、そのCPUだけを起動させて、コンソールから赤外線のコードを伸ばすと、ギャラクシアン・バート商会の若き経営者ショーイ・オルニーは、手中の小型パソコンにそれを接続させたのだった。 実に落着き払った冷静な顔つきをして、ディスプレイに流れてくるデータを眼鏡越しに追いながら、ショーイは、コンソールパネルを素早く叩く。 そんなショーイの傍らで、ビームライフルを構えたまま、『バート』の機関士フランク・コーエンが、鋭利な視線で暗がりを見回していたのだった。 フランクは、細かいウェーブがかかった髪の隙間から、ふと、腕時計のデジタル表示を見ると、意図して低めた声でショーイに言うである。 「船長、あと、約七分で全ての電力が復旧しますよ」 「了解」 ショーイは、コンソールパネルを叩く手を止めぬまま、沈着な声でそう答えて、形の良い眉を眉間に寄せたのだった。 アルキメデスの中枢コンピュータから流れてくるデータをコピーしながら、知的な紺色の瞳を眼鏡ごしにちらりと入り口の方へ向ける。 今、アルキメデス行政総本部の電力は、この中枢コンピュータルームを除いて、一時的にその供給がストップされていた。 何故なら、電力供給回線を断線させているのは、他でもない、ショーイの弟であるトーマ・ワーズロック率いるギャクシアン・バート商会の武闘担当者たちだからだ。 今頃、この行政本部を取り仕切っていた反乱軍の連中は、原因究明のため、沫を食って辺りを走り回っているだろう。 その混乱に乗じて、ギャラクシアン・バート商会の面々は、まんまと総本部に侵入したのである。 だが、そう時間が残っている訳ではない。 鮮やかな赤毛の下で、繊細な印象を与えるショーイの端整な顔が、鋭利な表情に引き締められた。 眼鏡越しに覗く知的な紺色の瞳が、ディスプレイのデータを追い、その指先は、ひっきりなしにコンソールを叩く。 ディスプレイに表示されたダウンロードメーターが、ゆっくりと減り始める。 あと、残り10秒で、この中枢コンピュータに残された、スペースエアポートの発着記録と出入国管理データの全てが、この小型パソコンにコピーされるはずだ。 ショーイが、安堵したように小さく息を吐いた、正に、その次の瞬間だった。 ロックの掛けられた中枢コンピュータルームの入り口から、野太い怒鳴り声が響いてきたのである。 「此処を開けろ!そこに誰がいるんだ!?」 鉄板が震える轟音が響き、開くことのないドアを、アルキメデス反乱軍の兵士がけたたましく叩いた。 ショーイは、ディスプレイに映し出された「CMPL」の文字を確認して、薄い唇だけで皮肉っぽく笑う。 「おやおや・・・脳みそが足りない連中でも、どうやら鼻だけは効くみたいだ。さすが、本能のままに生きている猿人だね」 その言葉に、ライフルを構えたまま、フランクが可笑しそうに笑った。 「確かに!!」 ライフルの安全装置を外しながら、腰につけてある通信レーダーの小さなモニターを見やると、フランクはニヤリと唇の角を持ち上げる。 「生体反応は四名、こっちに近づいてくるのは三名・・・あと5秒で、猿人が殴り倒されます」 「じゃ、カウントでもしようか」 揺るがない冷静さを保ったまま、小型パソコンを閉じて、ショーイは、ゆっくりとフランクを振り返ると、同じように唇の角をニヤリともたげたのだった。 「4、3、2・・・1」 とたん、中枢コンピュータルームの外側で反乱軍兵士達の怒声が上がった。 「なんだ貴様ら!?」 「毎度〜、ギャクシアン・バート商会で〜す」 中枢コンピュータルームのオート・ドア前に、そんなふざけた台詞が響くと同時に、背後を振り返った兵士の一人の顔面が、振りあがった長い足に思い切り蹴り飛ばされる。 「ぐは!」 鼻血を噴きながら横に吹き飛び、崩れるように床に倒れこんだ兵士の延髄を、ブーツの底でしたたかに踏みつけて、ショーイ・オルニーの腹違いの弟、トーマ・ワーズロックは、片手に銃を構えた姿勢でニヤリを笑うのだった。 その時既に、他の兵士達もまた、薄暗い通路の上に倒れ伏し、全員が全員、白目を剥いて気絶している。 その傍らには、白いショートローブ姿の青年が二人、トーマを振り返りながらにんまりと笑っていた。 一人は、20代前半と思われる黒髪で細身の青年で、片手には小型のマシンガンを持ち、もう一人は、、グレネードランチャーを肩に担いだ、トーマより長身で尚且つ体格の良い、30代の前半と思しき屈強な青年であった。 それは『バート』の整備士フウ・ジンタオと機関士のクラス・オーベリであったのだ。 武闘担当とショーイが称する通り、フウは、今や数少ない古の格闘術の使い手であり、クラスは、かつて、惑星バルロスの傭兵だったという経歴を持っている。 細身だが機敏な動作を得意とするフウと、体格も良く、見るからに傭兵上がりといった風体を持つクラス。 そんな彼らを、知的な紺色の瞳で顧みて、トーマは、もう一度、ニヤリと唇の角をもたげると、ショートローブの衿に付けられた通信機に向かって言うのだった。 「ミッションコンプリート、早くバートに戻ろうぜ、ショーイ」 その返答の代わりに、中枢コンピュータルームのオート・ドアが開き、白いショートローブ翻したショーイと、ライフルを肩にひっかけたフランクが、飄々とした顔つきで姿を現したのだった。 「ご苦労。じゃ、早速戻ろうか。脳細胞に猿人の単細胞が移ると困るからね」 「ご名答」 トーマは愉快そうに笑って、構えていた銃を腰のホルスターに戻し、総本部の裏口に向かって走り出したのである。 ギャラクシアン・バート商会の面々が纏う白いショートローブが、暗い通路の只中に翻った。 電力が戻るまであと三分。 電力が戻れば、セキュリティーシステムが起動し、侵入者を狙ってあちこちからビームの閃光が飛んでくることだろう。 黒髪を揺らしながら、トーマの傍らを走っていたフウが、やけにおっとりとした口調でトーマに言う。 「セラフィムのマキ少尉がいれば、もう少し早く片付いたかもしれませんね〜? トーマさん、そう思いません?」 その言葉に、トーマは、緊張感もなく大きく笑った。 「ほんとだよな、あいつ、ギャラクシアン・バート商会に就職する気ないかな? リョーがいると、何かと助かるしな」 トーマのその言葉に返答したのは、意外にもショーイであった。 鮮やかな赤毛を弾ませながら、相も変わらず冷静な口調で彼は言う。 「マキ少尉は無理だね。ソロモンは、彼を戦艦指揮官にするつもりだから」 「え!?嘘!?まじ!?誰がそんなこと言ってたんだよ?」 弾む焦茶色の髪の下で、トーマは、驚いたように紺色の眼を見開くと、飄々とそんなことを言ったショーイの横顔をまじまじと見つめやる。 走る足を止めることもなく、ショーイは、冷静な口調と表情で答えて言うのだった。 「マキ少尉をバートの船員として欲しくて、以前、ソロモンに打診したことがあったんだ。その時に、そう言ってたよ」 『リョータロウが、どうしてもバートに乗りたいと言うなら、仕方ないが。セラフィムの艦長としては、今、あいつをバートやる訳にはいかないな、ショーイ。 リョータロウには、そのうち、ガーディアンエンジェルの戦艦指揮を預かって貰うつもりだからな』 モニター越しにそう言って、愉快そうに笑ったソロモンの顔が、ふと、ショーイの脳裏を過ぎっていった。 「うちとしても、飛び抜けて優秀な人材は欲しいからね。事業も拡大したいし。でも、ソロモンにそう言われたら、無理矢理スカウトはできない」 少々残念そうにそんな事を言って、ショーイは、珍しく大きなため息をついた。 セラフィムのレイバンパイロット、リョータロウ・マキは、どうやら、この偏屈で高飛車なギャラクシアン・バート商会の経営者にも、一目置かれる存在であるようだ。 裏口へと向かう通路を、俊足で曲がりながら、トーマが、感心したような顔つきで声を上げる。 「うっは!あいつ、やっぱり大分買われてるんだ、あのソロモン艦長に!」 「この僕が欲しいと思う人材なんだ、ソロモンだって同じさ」 「なぁ、ショーイ、リョーが駄目ならさ、『可愛い通信オペレーターの女の子』を貰うってのはどうだよ?」 なにやら、からかうようにそんな事を言ったトーマを、眼鏡越しのショーイの瞳が、ちらりと眺めやった。 トーマの言う、『可愛い通信オペレーターの女の子』と言うのは、他でもない、ゼラフィムのブリッジオペレーター、ルツ・エーラの事である。 「それは本人の意志次第だな。まぁ、僕は彼女に何か勘違いされているから、無理だと思うがね」 皮肉くっぽく笑ったショーイに、トーマは、苦笑しながら答えて言うのだった。 「判ってるなら、もう少し言い方考えてやれよ」 「それは無理だね。僕は元から、ああいう言い方しか学習してない」 「つくづく、損してるよな・・・おまえ」 飄々とした兄の言葉に、トーマは、白いショートローブの揺れる肩を竦めて、もう一度困ったように笑うのである。 だが、この時、トーマは知らなかったのだ。 後に、バートのブリッジに、本当に、その可愛い通信オペレーターが搭乗することになろうとは。 白いショートローブを揺らしながら、通路を駆け抜けた五つの足音が、目の前に迫った総本部の出口から外へと飛び出していった。 セキュリティーシステムは、あと40秒で起動するはずだ。 だが、緊急事態は、その時起った。 突然、プラトンの市街地に轟音が響き渡り、宵闇の空に眩い閃光が走り抜けたのだった。 「なんだ!?」 一瞬足を止め、驚愕して叫んだトーマの眼前で、巨大な爆炎が吹き上がったのである。 中庭の石畳が上空高く舞い上がり、辺りには、スクランブルを知らせる警報が鳴り響いた。 軍事基地からは戦艦隊が次々と発進していく。 暗黒の夜空からは、凄まじいビーム砲とミサイルが豪雨の如く降注ぎ、首都プラトンは、一瞬にして深紅の炎で満ち溢れた。 ミサイルが着弾すると同時に紅蓮の火柱が轟々立ち昇り、凄まじい爆風が街路樹をしならせて、降り落ちるビームの先端が聳え立つ高層ビル群を吹き飛ばしていく。 「どういうことだ!?なんでプラトンが攻撃されてる!?」 トーマの焦茶色の髪が、爆風に煽られて激しく揺れる。 白いショートローブが千切れんばかり棚引き、驚愕に大きく目を見開くトーマの傍らに、他の船員達が慌てた様子で駆け込んできた。 形の良い眉を眉間に寄せながら、閃光が閃く上空を仰ぐと、ショーイは、抱えていたパソコンを開き、アルキメデス草原と呼ばれる広大な大地に着艦する高速トランスポーター『バート』に、通信回線を接続したのである。 「何が起っている?現状を報告してくれ、ジャック」 その声に、すぐさま、バートの通信士、ジャック・マクウェルからの返答が返ってきた。 『船長!トライトニア艦隊がアルキメデスの軌道上にワープアウトしてきました! やつら、ワープアウトと同時に、何の警告もなくいきなり地上を撃ち始めたんです!直ぐに迎えにいきます!』 ショーイは、眼鏡の下から覗く紺色の瞳を鋭利に細めると、冷静な口調で答えて言うのだった。 「いや、来るな。君とタイキだけじゃ、この対空砲火の中でバートを航行させるのは無理だ、急いで帰る。そこで待機してくれ」 『し、しかし!』 「船長命令だ」 『・・・・は、はい、了解しました』 いたたまれない声色でそう言ったジャックの声と共に、通信回線はそこで切れた。 ショーイは、ゆっくりと傍らに立つトーマに振り返ると、落着き払った物腰で、静かに口を開くのである。 「トーマ、緊急事態だ、トライトニア艦隊がアルキメデスを攻撃してる。アルキメデスごとデボン・リヴァイアサンを根絶やしにするつもりかもしれない。このクーデターには、あのテロリストが一枚噛んでるって、もっぱらの噂だからね」 冷静さを失わないまま、ショーイがそう言った時だった、不意に、上空がパッと閃くと、宵闇に漂う雲の合間から、無数の青いビームが、光る雨の如く落下してきたのである。 「総本部を狙ってる!!」 フウがそう叫ぶと同時に、トーマは、厳しい顔つきをしながら、素早くその身を翻した。 「一旦本部内に退避した方がいい!!この本部なら、直撃を受けても直ぐには倒れない!!」 「得策だ、後のことは中で考えよう。このまま逃げ出して、ビーム砲を食らっても馬鹿らしいからね」 やけに冷静な口調でそう答えて、ショーイもまた、総本部に向けてその身を翻したのである。 二人の後を追うように、フウとクラス、そして、フランクが疾走し始める。 「とりあえず、セキュリティーを片っ端からぶち壊すしかねーな」 クラスは、疾走しながらそんな事を呟き、肩に担いでいたグレネードランチャーを総本部の裏口に向けると、瞬時に照準を合わせ、容赦なく引き金を引いたのだった。 轟音と共に発射されたグレネードが、ガラス張りのドアを木っ端微塵に砕き散らし、間髪入れずに連射されたグレネードが、広い通路の中で爆炎と爆音を上げて炸裂する。 ギャラクシアン・バート商会の面々が、もうもうと上がる白い煙の中に飛び込んだ途端、天空から降ってきた青いビームの先端が、先ほどまで彼らが立っていた辺りに着弾したのであった。 轟音と共に地面がめくれ上がり、整然と植えられた木々が高エネルギー粒子に焼かれて轟々と深紅の炎を揺らめき立たせる。 凄まじい衝撃波が通路内を駆け抜け、咄嗟に床に伏せた彼らの頭上に、爆風で運ばれた土埃を降注がせた。 「あぶね〜・・・間一髪!」 もくもくと上がる白煙と土埃の中、トーマの隣に伏せていたフランクが、そんな声を上げる。 しかし、少し離れた所にフウと共に伏せていたショーイが、ゆっくりと顔を上げながら、なんとも言えない渋い声色でこう答えるのだった。 「いや・・・そうでもない」 もくもくと上がる白煙の最中に、数人の人影が浮かび上がってくる。 この通路のセキュリティービーム砲は、クラスの放ったグレネードで破壊されていたが、いつの間にやら、頭脳がないぶん鼻の効く反乱軍の兵士達が、ライフル銃をこちらに向けて、憮然とそこに佇んでいたのだった。 「・・・・・あっちゃー」 トーマは、その長身を床に伏したまま、形の良い眉を眉間に寄せて、思わず唸った。 この状況は、間違いなく緊急事態だ。 しかし、いたって冷静な顔をして、ショーイは、こんな言葉を口にしたのである。 「本能だけで生きてる人間は、始末が悪いね・・・無駄に鼻が効いて」 ショーイの指先が、小脇に抱えた小型パソコンから、メモリースティックも素早く抜き取り、それを、ワークパンツのポケットへと忍ばせた。 そんなことにはまったく気付いていない無骨な兵士は、勝ち誇った様子で大きく言い放つ。 「武器を捨てろ、手を上げながら立ち上がるんだ!」 白煙が漂う通路にこだまする、けたたましいスクランブル警報。 騒乱の最中にあるアルキメデスの夜は、まだ明けることはない。
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