* 宇宙戦闘母艦セラフィムのF第三ブロックに設置された医務室で、歳若い女性医師ウルリカ・クレメノフは、リョータロウ・マキの額に包帯を巻き終わると、赤いマニキュアで彩られた指先で、さり気無く彼の前髪をすくい上げたのだった。 そして、思わず、唸るようにこう呟いたのである。 「その傷、確実に残るわよマキ少尉。それも、かなり強面に見える感じで・・・可愛い顔してるのに、なんだか勿体無いわね?」 「可愛いってなんだよ・・・っ?」 パイロット用の耐Gシャツ姿で、憮然と椅子に腰を下ろしていたリョータロウは、まるで噛み付くようにそう言うと、実に不機嫌そうな顔つきで長い足を組み替えた。 流石に、傷の痛みは引いてきたが、その心中の怒りは治まらないままだった。 あの強靭なヴァルキリー、07に対する怒りというよりは、寧ろ、メイヤを連れてくることが出来なかった自分に対する怒りの方が大きい。 今何故か、リョータロウの脳裏には、妖艶に、そしてあどけなく微笑する彼女の美麗な顔が駆け巡って仕方が無い。 リョータロウは、苛立った様子で苦々しく眉を寄せると、爛と輝く黒曜石の瞳で、よく磨かれた医務室の床を睨みつけたのである。 そんな彼の様子を横目で見やり、ウルリカは、ローズのルージュで彩られた唇で、小さく微笑するのだった。 ブラックブロンドの短い髪を片手でかきあげながら、カルテが表示されているモニターを眺めながら、ウルリカは、落着き払った声で言う。 「眼をやられなく良かったわね。レーザーブレードで付けられた傷の割には、この程度で済んだし・・・ゴーグルをかけていたのが幸いしたのね。視神経にも脳波にもなんの問題もない、このまま、パイロットは続けられるわ。じゃ、肩の傷を縫合するわね」 リョータロウは、何かを考えこむような鋭い表情でシャツを脱ぎ捨てると、それを診察台の上に投げて、精悍な唇を無言のままで引き結んだ。 決して体格が良いと言う訳ではないが、彫刻ような筋肉の造形を持つ、引き締まった上半身と筋肉質ですらりと長い腕。 今夜、いつになく無口で、やけに大人びて見えるその端整な顔に、憂いにも似た悔しさの影が落ちている。 そこはかとなく湧き上がってくる苛立ちで歪んだ、鮮烈な凛々しさを持つ切れ長の目元。 そんな彼の表情を、ウルリカは、小型の縫合ガンを手にしみじみと眺めやると、なにやら感心したようににんまりと笑うのだった。 「あらやだ・・・・・・私、今、マキ少尉にすごく男を感じちゃった。なんだか、今日はいつものマキ少尉と、ちょっと違う」 リョータロウは、鮮血に濡れたままの前髪の下でじろりとウルリカを睨みつける。 包帯の下から覗く鋭い眼光に怯むでもなく、ウルリカは、くすくすと笑いながらリョータロウの左肩に縫合ガンをあてたのだった。 「誉めてるんだから、そんなに怒らないで。相変わらず短気ね」 小さな破裂音と共に特殊繊維の糸が射出され、縫合時の軽い痛みが、リョータロウの顔を歪ませる。 その時、医務室のオート・ドアが静かに開き、そこからシルバーグレイの軍服を纏った優美な青年が、ゆっくりと姿を現したのだった。 リョータロウの視線が、良く見知ったその青年の顔を顧みる。 その視界の中で、緩やかにたゆたう銀色の長い髪と、その隙間から覗く、柔和にしてどこか猛禽類の鋭さをも併せ持った美しい紅の瞳。 艶やかなブロンズ色の肌と、精悍だが、どこか中性的な優美さと繊細さを兼ね備えたその顔立ち。 リョータロウの傍らに立ち、端整な唇で静かに微笑したのは、この宇宙戦闘空母セラフィムの艦長、レムリアス・ソロモンであった。 「大分やられたな?リョータロウ?」 「ソロモン」 ソロモンのすらりとした長身を仰ぎながら、リョータロウは、実に悔しそうに黒曜石の瞳を細める。 そして、喉の奥から絞り出すような、実に悔しそうな声色でこう言った。 「俺は、あいつを、助けられなかった・・・・・・っ」 あいつ、というのは、トライトニアのタイプΦヴァルキリー011、リョータロウがメイヤと名付けた、妖艶で美麗な女性体セクノサイドのことである。 ソロモンは、もう一度、柔和に微笑してみせると、大きな掌を彼の髪に乗せ、相変わらず落着き払った冷静な面持ちで、口を開くのだった。 「生身でタイプΦヴァルキリーの相手をしたぐらいだ、おまえは、やれるだけの事はやったさ。それに、きっちり任務も遂行してきたしな」 「・・・・・・・」 「そんな傷を負ってまで、彼女を現状から救おうとした・・・俺はおまえの勇気を誉めるよ。リョータロウ」 「またあんたは・・・・そうやって、なんでも知ってるような事言いやがって」 リョータロウは、苦々しい表情でそう呟くと、凛とした眉を眉間に寄せ、ふいっとそっぽを向いてしまう。 しかし、今、くしゃくしゃとその髪を撫でるソロモンの手を、振り払うことはしなかった。 リョータロウがまだ12歳の少年であった頃から、ソロモンはいつもこうだった。 胸の内を察して、反論できないような言葉で慰めたり、誉めたり、叱ったりする。 相変わらず、子供扱いされていることが判るからこそ、なんだかひどく腹立たしい。 だが、今、髪を撫でている、父のような、兄のような、そんな感覚を覚える大きな掌に、妙な安堵感を覚えるのもまた事実であった。 だからこそ、いけ好かない。 それでも・・・・・ リョータロウは、一つ大きくため息を吐くと、不貞腐れた表情のまま、組んだ足に頬杖を付く。 そんな二人のやりとりを可笑しそうに眺めていたウルリカが、徐にソロモンを振り返り、落ち着いた口調で言うのである。 「マキ少尉の視力には何の異常もありません。額の傷は少し深いので、傷跡は残ることになります。傷口が開く可能性があるので、丸一日ほど、出撃は控えさせてください」 「わかった。ありがとう、ウルリカ」 揺れる銀色の前髪の下から、柔和な視線でこちらを見たソロモンに、ウルリカは、白衣の肩を軽く竦めて見せると、ローズのルージュが引かれた唇で小さく微笑する。 「それにしたって、艦長自ら様子を見に来るなんて。言ってくだされば、報告しましたのに」 「リョータロウに特命を出したのは俺だ、だから、つい気になってな。もう戻るよ」 そう答えると、ずっとそっぽを向いたまま黙っているリョータロウに向き直り、ソロモンは、銀色の前髪から覗く紅い瞳で、彼の首筋辺りをちらりと見てから、彫刻のような筋肉の造形がある、引き締まったその背中に言うのだった。 「ゆっくり休め、リョータロウ。くれぐれも、射撃場に篭るなんてことはするなよ」 「・・・・・・」 リョータロウは、仏頂面で唇を引き結んだまま何も答えない。 だが、その背中が「言われなくてもわかってる」と、そう言っていた。 昔からリョータロウは、何かあると射撃場に篭って、まるでその苛立ちを吐き出すかのように、数時間も出てこないことがある。 ソロモンは、そんな彼の癖を良く知っているのだ。 端整な唇だけで小さく笑うと、彼は、シルバーグレイの軍服の裾を揺らしながら、静かに医務室のオート・ドアを出て行ったのである。 ドアの向こうに消えていくソロモンの後姿を見送りながら、ウルリカは、さも可笑しそうにくすくすと笑った。 そんなウルリカを、不機嫌そうなリョータロウの瞳がじろりと睨む。 「何が可笑しい?」 「相変わらず、艦長とマキ少尉は、部下と上官じゃないなと思って。なんて言うか、兄弟というか、親子というか」 ウルリカは、白衣のポケットに両手を入れながら、尚も愉快気に笑う。 リョータロウは、どうも納得できない様子で不機嫌に言うのだった。 「なんだよそれ・・・・?」 「救助惑星でもなく、メルバでもなく、艦長の指揮する船で育ったのは、マキ少尉とハルカぐらいだものね・・・・きっと、見込まれてるのよ。 そのうち艦長は、マキ少尉に、戦艦の一隻ぐらい任せるつもりなのかも」 「そんな訳あるかよ」 リョータロウは、仏頂面のままそう答えて、意味深な微笑を唇に刻むウルリカの顔を、黒曜石の瞳で睨むように凝視した。 ウルリカは、ますます意味深な視線でそんなリョータロウを見つめ返すと、ポケットに入れていた片手を差し伸ばし、その首筋を指先で軽く小突いたのである。 「艦長も気付いてたみたいだし・・・・意外と隅に置けないのね」 「はぁ??」 「まぁ、優秀な指揮官になるには、色々経験しないとね。まだ、若いんだし」 「なに言ってんだよ??」 怪訝そうに眉根を寄せるリョータロウに、ウルリカは、可笑しくてたまらないといったように笑うと、その質問に答えることなく、意味深な視線のまま、こちらを見つめるばかりだった。 その視線の真相を、リョータロウが、驚愕のうちに知る事になるのは、医務室から自室に戻ってからのことである。
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