端整な顔を苦痛に歪めながら、それでも士気を失わない強い眼差しのまま、リョータロウは、軍服の下から閃光弾を取り出し、その起爆スイッチを押した。 それを思い切り07に投げつけると、涙を飛び散らせてその腕にしがみついたメイヤを抱えるようにして、T−1機が待機する断崖に向かって俊足で駆け出したのである。 二人を追って駆け出そうとした07の足元から、凄まじい白煙と爆音が立ち昇り、破裂するような強烈な光が辺りに迸った。 「!?」 余りにも眩い光の渦に、07の視覚センサーが、一瞬その機能を失う。 炸裂する閃光と立ち昇る白煙を背中にして、リョータロウは、傍らのメイヤに向かって叫ぶように言うのだった。 「このまま走れ!!」 「リョータロウ、リョータロウ!!ごめん、ごめんなさい・・・私のせい・・・!」 二つの月が照らす宵闇に、メイヤの宝石のような涙が舞い飛んだ。 「おまえのせいじゃない」 息を上げながらそう答えたリョータロウは、片手で額の傷を押さえたまま、鮮血の帯が滲んだ唇で小さく笑う。 そして、最後の一発となったグレネードを懐から取り出すと、起爆スイッチを押し、フリーズを起した07に向けて、容赦なくそれを投げつけたのである。 轟音と爆風が海辺の森を轟かせ、地面から湧き上がった凄まじい爆発が07の肢体を飲み込んでいく。 同時に、赤く霞んだリョータロウの視界で森が開け、漣を寄せる海上を二機で旋回するレイバンのマーカーランプが飛び込んできたのである。 07は追ってこない。 あれで破壊できたかどうかは定かではないが、それでも、一時的に機能を停止させることができれば、今はそれでいい。 メイヤを片腕に抱いたまま、強い海風が吹き付ける断崖に立ったリョータロウが、血染めの襟元に着けた通信機のスイッチを押した。 「アーサー、遅くなった、現着だ」 額の傷から流れ落ちる鮮血を片手で拭い、通信機に向かってそう言ったリョータロウの耳に、ツァーデ小隊隊長アーサー・マクガバンからの応答が返ってくる。 『随分と派手にやってたみたいだな?無事か?』 「流石にやられた、早くT―5をよこしてくれ」 脈打つような激痛に精悍な頬を歪めながらも、覇気を失わない声でリョータロウがそう答えると、通信機の向こう側で、アーサーは愉快そうに笑ったようだった。 『たまにはそれもいいだろう』 その返答と同時に、T―1機でリモートコントロールしていたT―5機が、バー二アを垂直に倒しながら、出力を落としてゆっくりと上空から降下してくる。 ダークブラックの機体を彩る赤いマーカーランプを、細めた視線で仰ぎながら、リョータロウは、更に痛みを増してくる額の傷を片手で強く押さえるのだった。 指の隙間からは未だに鮮血の帯が零れ落ち、その端整な顔が、止めどない痛みで苦悶に歪む。 青ざめた彼の横顔を、心配そうに見つめていたメイヤが、ぎゅっとその腕にしがみついた。 「リョータロウ、大丈夫?心拍数が上がってる、平気なの?本当に大丈夫なの?」 レイバンのバー二アが巻き起こす旋風が、メイヤの髪を激しく虚空に乱舞させた。 ルビーの瞳に一杯の涙を貯めた彼女に、ゆっくりと振り返りながら、リョータロウは、血色を失った唇で軽く微笑したのである。 「大丈夫だ。おまえこそ、この機体に乗れば、もうトライトニアには戻れない。裏切り者になる覚悟は出来てるか?」 メイヤは、綺麗な額をリョータロウの腕に摺り寄せて、大きく頷くと、唇だけで微笑んだのだった。 「うん・・・・嬉しい・・・これで一緒にいられる」 「・・・・またそれかよ?」 ぶっきらぼうだが、どこか照れたような声色で答えたリョータロウが、断崖のふちに垂直着陸したレイバンに向かって歩き出した。 レイバンの低いエンジン音と、打ち寄せる漣の音がひしめくように響く中、天空に浮かぶ二つの月の光が、メイヤの赤い髪をたおやかに照らし出している。 輝きながら揺れる髪が、鮮血の帯が伝うリョータロウの頬をふわりと撫で、宵闇の最中を舞い踊った。 リョータロウは、レイバンの傍らに立って搭乗ウィンチに手をかけると、そんな彼女の髪に触れながら、徐にその唇を開いたのである。 「コクピットを開く、直ぐにウィンチを降ろしてやる。少し待ってろ」 「うん」 ルビーの瞳を嬉々として輝かせ、綺麗な唇で笑ったメイヤの指先が、リョータロウの頬を伝う鮮血を拭い、僅かに背伸びをすると、驚いたように黒曜石の瞳を見開いた彼の唇に、軽くその唇を押し当てたのである。 「!?」 「すごく好き・・・・」 くったくなくあどけなく、そして甘く紡がれた彼女の言葉と同時に、搭乗ウィンチがゆっくりと上昇していく。 唖然としたまま、遠くなっていくメイヤの笑顔を見下ろして、リョータロウは、僅かばかり照れたような顔つきをすると、血に染まる肩を竦めて軽く頭を振ったのである。 彼女は、どこまで意味を把握して、その言葉を口にしたのだろうか・・・なんとも言えない複雑な心境のまま、リョータロウは、昇りきったウィンチから、風防の下にあるレイバンの外部コンソールを開いたのである。 そこに承認IDを打ち込むと、閉じていたキャノピがゆっくりと開き、リョータロウは、機敏な物腰で操縦席に飛び乗ったのだった。 計器モニターを素早くチェックして、バー二アの出力を地上離陸設定に切り替えると、低いエンジン音が次第に高い音へと変化していく。 鈍いモーター音を上げて下がったウィンチに、メイヤが手をかける様子が、眼前のモニターに映し出されると、それを確認しながら、リョータロウは、血色の無い唇を僅かにほころばせた。 このまま、この機体に搭乗すれば、彼女は、もう、トライトニアで道具扱いされることもなくなる。 少しばかり危険は伴うが、人間と同じに扱われるだろうガーディアンエンジェルの戦闘空母で、戦闘に出されることも無く、人間と同じ環境で生活することもできる。 あの、無邪気であどけない性格を矯正されることもなく、ありのままの姿で。 そんな事を思って、リョータロウは、安堵したようにため息をつき、傍らに置かれたヘルメットに手をかけた。 開いた風防の向こう側に、ゆっくりと、くったく無く微笑むメイヤの姿が現われてくる。 「来い」 操縦席に座ったまま、リョータロウは、そんな彼女に片手を差し伸ばした。 「リョータロウ」 メイヤの唇が、彼の名を呼び、嬉々として輝くルビー色の瞳が、真っ直ぐに彼の顔を見つめすえると、差し伸ばされたその大きな手に、しなやかな指先が触れようとする。 その時不意に、レイバンの通信機から、どこか苦々しい響きを持つアーサーの声が、揺るがない落ち着きを保ったまま響いてきたのだった。 『リョータロウ、離陸しろ。高エネルギーアンノウンが、こちらに向かって急速接近している』 「・・・!?」 その通信が途切れかけた、正に、その瞬間だった。 メイヤを見つめるリョータロウの視界の隅に、細く鋭い閃光が駆け抜けたのである。 刹那、磁気レーザーと思われるその先端が、あろうことか、今、彼の手に触れようとしたメイヤの頭部を貫いたのだった。 とたん、大きく瞳を見開いた彼女の体が急激に後方に傾く。 「メイヤ―――――っ!?」 「私、一緒・・・ニ・・・行ク・・・・・・リョー・・・・・タロウ」 虚空に乱舞する赤い髪の下で、ルビー色の瞳が、にわかに光を失っていく。 急激にシステムダウンを起したメイヤの身体は、糸の切れた傀儡のように力を失い、吸込まれるように宵闇の中へと落ちていく。 咄嗟に彼女へと伸ばしたリョータロウの指先が、寸前の所で空を掴んだ。 「メイヤ――――――っ!!」 揺らめく赤い髪が、二つの月の光を受けてキラキラと輝きながら、リョータロウの視界から消えていく。 『接近中のアンノウンは、ヴァルキリーだ。リョータロウ、早く離陸しろ。任務は完了したはずだ。今、トライトニアのヴェルキリーと交戦することは、セラフィムにとってメリットにはならない』 思わず外へ飛び出しそうになったリョータロウを、鋭くも冷静なアーサーの声が制止した。 その声に促されたリョータロウは、悔しさを滲ませた険しい表情で、ぎりりと奥歯を噛締める。 レイバンのレーダーには、確かに、高エネルギー反応を示すカーソルが点滅し、それは急速にこちらに近づいて来ている。 それは、グレネードをまともに食らったはずの07が、まったく破壊されていなかったを明白に物語っていたのだった。 恐らく07は、敵戦逃亡をはかろうとしたメイヤのメインスイッチを、磁気レーザー照射で切ったのだ。 もうレイバンの直ぐ傍まで迫った、強靭なタイプΦヴァルキリー、07の高エネルギー反応。 このデータから、07は、未だに機動力を失っておらず、両腕のクラッシャーブレードもその機能を保持したままだということが伺える。 リョータロウは、メイヤを連れ戻したいというその衝動を、必死の思いで抑え付けながら、キャノピのクローズドスイッチを掌で乱暴に叩いた。 開いていた特殊ガラスの風防が、ゆっくりと閉じていく。 ダークブラックの両翼に青い六芒星のエンブレムを掲げたレイバンのバー二アが、轟音と共に青白い炎を吹き上げると、その機体が、急激に夜空へと垂直上昇していく。 あと、ほんの僅かなところだった。 あと、ほんの僅かだけ此処に到着する時間が早ければ、あの無邪気でくったくないメイヤを、“機械”ではなく“人”として生活できる環境に連れ帰れるはずだった。 自由にしてやれる筈だった。 それなのに・・・ 甲高いエンジン音を上げて上昇してくレイバンのモニターが、夜の暗がりの中に立つ、バトルスーツ姿の青年を鮮明に映し出している。 涼麗な顔を冷淡な無表情で彩ったまま、その腕に、長い睫毛を伏せたメイヤの体を抱えるその青年は、強靭な男性体ヴァルキリー07に相違ない。 「・・・・畜生――――――っ!!」 リョータロウは、心の底から懇々と湧きあがる激しい怒気に堪えきれず、端整な顔を殊更険しく歪めると、震えるほど強く握った拳を、特殊ガラスの風防に強く叩きつけたのだった。 額につけられた傷の痛みが、のたうつようにその心まで締め上げ、痛烈な苦痛となって血を滲ませていく。 黒曜石の瞳を、悔しさを隠せない悲痛の輝きを宿して爛と輝かせると、リョータロウは、ヘルメットシールドを下ろしながら、ぎりりと奥歯を噛締め、コンソールを叩いて、レイバンの航行システムをオート・マニューバに切り替えた。 赤く染まる視界で、二つの月が燃えている。 レイバンのバー二アから、轟音と共に青い炎を吹き上った。 宵闇に陽炎を描いた二機のレイバンが、一瞬で超音速を超え海の彼方へと消えていく。 断崖に吹き付ける海風の中で、07は、流星の如き速度で空を駆けるレイバンを、不気味なほどの冷静さを保ちながら見つめ据えていた。 そんな彼の片手に握られているのは、磁気レーザー照射用の小銃である。 金色の髪がゆらゆらと虚空にたゆたい、その隙間から覗く冷酷な瞳が、鋭利な輝きを宿しながら、自らの腕に抱えたメイヤの美麗な顔を顧みるのだった。 「馬鹿が」 騒乱を極めるイズミル国家主席の別荘では、未だ、デボン・リヴァイアサンとの攻防が続いている。 紺色の夜空に浮かぶ二つの月影が、07の影を地面の上へと鋭利に映し出していた。 困惑と騒乱の夜は、こうして、幕を下ろすこととなった。 だが、デボン・リヴァイアサンに関わる攻防は、これだけでは終わらなかったのである。
* トライトニアの大統領子息、ジェレミー・バークレイは、高級ホテルの一室で、憤慨にその顔を歪めて、背後に立った07の長身を振り返った。 「くそ!デボン・リヴァイアサンの連中め!とんだ横槍を入れてくれたものだな!!」 先ほど、バークレイの元には、国家主席イズミルの秘書官から、「会談は、再開未定で延期する」との連絡が入った。 何の事は無い、トライトニアの要人を狙ったデボン・リヴァイアサンの襲撃に、マルタリアサイドが怒りを示したのだ。 そこには、このまま会談を続ければ、また、何があるがわからないと言う懸念も見え隠れしている。 マルタリアは軍事国家ではない、あくまでも商業国家だ、そのため、きな臭いことには関わりたくないという、意志の表れでもあった。 苦々しく眉間を寄せたバークレイは、部屋の入り口に立っている部下をちらりと見やり、怒りに歪んだ瞳で吐き捨てるように言うのである。 「トライトニアに戻る。シャトルの発進準備をしておけ。それと、本国の艦隊に出撃命令を出せ。アルキメデスのクーデターもデボン・リヴァイアサンが絡んでいる、ガーディアンエンジェルが旧政府の支援に向かったと報告を受けているが、この際だ、奇襲をかけて全て一掃してしまえ!」 「はい!承知しました!」 部下は、深々と頭を下げると、慌てて扉の向こうへ駆け出していった。 そんな後姿を見送って、尚も怒りがおさまらない様子のバークレイが、その鋭い灰色の瞳で、冷淡な無表情のままそこに佇む07の涼麗な顔を見つめすえる。 「07、おまえと011も出撃準備をしておけ。アマード・バトラーはシャトルにある。メンテナンスが終わったら、おまえと011は、このまま、アルキメデスに向かうんだ。 いいな」 「わかりました、バークレイ秘書官」 07は、冷静な声色でそう答え、涼麗な美貌の顔になんら表情を現すでもなく、ゆっくりと、バークレイに背中を向けたのだった。 バークレイは、無意識に親指の爪を噛みながら、野心と怒気に燃える灰色の瞳を、研ぎ澄まされたナイフの如く歪めたのである。 「テロリストめ・・・ガーディアンエンジェルの船ごと、殲滅させてやる!!」 その毒々しい呟きが、二つの月が照らす窓辺の風に舞い踊っていた。
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