* 戦艦ドック『ドーラ』に曳航されているセラフィムのラウンジには、数時間ぶり執務室を出たレムリアス・ソロモンの姿があった。 大きな窓の向こう側では、工具を抱えたドーラの整備班が、ひっきり無しに動き回っている。 アルベータ装甲吹き付けも70%まで完了し、この分なら、予定より早く出港できそうだ。 ソファにゆったりと腰を下ろしたまま、そんなことを思って、コーヒーのカップを持ち上げたソロモンの傍らに、ふと、誰かが立つ気配がした。 銀色の前髪の隙間から、鮮やかな紅の瞳をちらりとそちらに向けると、そこに立っていたのは、月の光のような穏やかな美しさを持つ青い髪の女性である。 ごく自然な表情で微笑する彼女は、トライトニアを裏切って、このセラフィムに乗船したタイプΦヴァルキリーと呼ばれるセクサノイド、イルヴァであった。 イルヴァは、なだらかな肩に広がるサファイア色の髪を小さく揺らして、小首を傾げると、綺麗な唇で、もう一度、柔和に微笑(わら)ったのである。 「ハルカが、マキ少尉の心配をしています」 その言葉に、ソロモンもまた、端整な唇の角を軽くもたげ、背もたれに深く身を委ねると、相変わらず落着き払った声色で答えて言うのだった。 「リョータロウには特命を出した。あいつの事だ、任務が完了したらすぐに戻ってくるだろう」 「特命?」 イルヴァは、不思議そうな表情をして、サファイアのような人工眼球で、ソロモンの端整な顔を真っ直ぐに見つめすえたのである。 ソロモンは、コーヒーカップに唇をつけながら、小さく頷いた。 「ああ・・・・もしかすると、君と同じタイプΦヴァルキリーを、連れて帰ってくるかもしれない」 「それは、どういう意味ですか?」 その場に立ち尽くしたまま、ますます怪訝そうな顔つきをするイルヴァを、どこか可笑しそうに眺めやりながら、ソロモンは静かに答えて言うのだった。 「つまり、あいつも、ヴァルキリーを人間として見ている・・・そういう事だ。この船の連中は、君を機械扱いしたりはしないだろう?リョータロウも例外じゃない」 「・・・・・・・・この船の人たちは、とても不思議です」 「何故?」 「どうして、敵である者を・・・・・・ましてや、私のような戦闘用セクサノイドまで、受け入れてくれたのですか?」 「この船に乗っている船員たちの多くは、元からガ―ディアンエンジェルに所属していた訳じゃない。元は敵対関係にあった人間達が、自ら志願してガーディアンエンジェルの船に乗っている。この船に乗りたいと志願する者を・・・・例え、現在敵対関係にある惑星の人間だったとしても、セクサノイドだったとしても、そんな連中が拒絶するはずがない。 君も、望んでこの船に残っているだろう?イルヴァ?」 「・・・・・はい」 「今、このマルタリアにいるヴァルキリーが、トライトニアを捨ててこの船に来ると言うのなら、その意志は受け入れる。ただ、それだけだ」 「トライトニアでは、絶対に考えられないことです、そんなこと」 「方針の違いだ。気にすることでもない」 「・・・・大らか、なのですね?やっぱり、この船の乗員は不思議です」 そう言って、イルヴァは、まるで、花が開くように艶やかに微笑んだのだった。 サファイアのような青い髪が、なだらかな肩でふわりと揺れる。 その美しい微笑みにつられるようにして、ソロモンは柔和に笑うと、片手に持っていたコーヒーカップをソーサーの上に置き、長い足を組替えて、徐に口を開くのだった。 「なぁ、イルヴァ?」 「はい、なんでしょう?」 「君は、この船の連中を味方と認識したか?」 その質問に、僅かばかり困ったような顔つきをすると、イルヴァは、綺麗な唇の角を穏やかにもたげ、改まった様子で、一歩だけ、ソロモンの座るソファへと歩み寄ったのである。 そして、サファイアの色をした美しいその瞳で、小さく微笑するソロモンを真っ直ぐに見つめ据えると、穏やかに頷くのだった。 「・・・・はい」 ソロモンは、肘掛にゆったりと頬杖を着いて、もう一度静かに唇を開く。 「そうか・・・ならば、君の手首と足首にあるレーザー錠は、外すことにするよ」 「別に、私はこのままでも良いと思っていますよ」 実にくったくない表情でそう言って、イルヴァは、レーザー錠が填められた手首をわざとらしく見せつける。 ソロモンは、銀色の髪から覗く紅の瞳を、さも愉快そうに細めて柔和に微笑した。 「君が良くても、俺が嫌なんだ。君を、捕虜にしているみたいで」 「それは、”ハデスの番人”と呼ばれる人が言う言葉には思えませんね?」 ごく自然な仕草で青い髪をかきあげて、ひどく可笑しそうそう言ったイルヴァを、ソロモンは、どこか困ったような顔つきでまじまじと見やる。 「その名前は、俺が自分で名乗った名前じゃない・・・やめてくれないか?俺をそう呼ぶのは?」 「わかっています・・・」 ますます人間の女性らしくなっていくイルヴァに、特に戸惑う訳でもないが・・・そんな彼女を見ていると、ソロモンは、ふと、まだ少年であった頃にずっと傍にいた、あの少女のことを思い出すことがある。 仕草となく表情となく、もし、あの少女が、イルヴァの外見と同じような年齢になっていたのだとすれば、きっと、こういう女性であったに違いないと、漠然とだが、そんな思いが過ぎる時があった。 イルヴァは、そこはかとなく、”一人目のイヴ”に似ている。 もうしばらく疼くことの無かった、心の古傷に、一瞬だけ、脈打つような痛みが走った。 思わず苦笑して、静かに両手を組むと、紅の瞳で真っ直ぐにイルヴァを見つめ据えて、ソロモンは、落着き払った口調と表情で言葉を続けたのである。 「イルヴァ・・・君のメモリーにある、ロックの掛かったファイルには、一体何が入っているんだ?無理にとは言わないが・・・少し教えてもらえないか?もしかすると、そこには、この宇宙を震撼させるようなデータが入っているんじゃなのか・・・?」 その言葉に、イルヴァは、少しだけ切なそうに微笑むと、両膝をゆっくりと床の上に着いて、ソロモンが頬杖をついている肘掛に、なだらかな肩を寄せたのである。 神妙な声色で、イルヴァは言う。 「きっと、ガ―ディアンエンジェルは知りたいはずですね・・・このファイルの内容を」 「そうだな、知りたくないといえば、嘘になるな」 「・・・いいですよ、開いてもかまいません・・・・でも、これを開けば、トライトニアとの関係は、間違いなく、悪化します」 「・・・・そんな内容だとは思っていたさ」 「ノルドハイム博士の所へ、連れて行ってください・・・お教えします」 さして驚いた様子も見せず、相変わらず冷静なソロモンの優美な顔を見つめたまま、イルヴァは、綺麗な唇だけでもう一度小さく微笑してみせる。 ソロモンは、何かを思案するように、その紅の瞳を僅かな間だけ閉じると、銀色の前髪の隙間でゆっくりと瞼を開き、揺るぎない強さを持つ真っ直な視線で、イルヴァのその月の光のような穏やかな美貌を顧みたのだった。 「すまない・・・正直に言うと、君を利用しているみたいで、なんだか気が重いんだ」 「私なら大丈夫です、レムリアス」 そう答えたイルヴァのサファイアの髪に、ソロモンの長い指先が、そっと差し伸ばされる。 銀河を形作る一つの星となったあの美しい少女も、かつて、ソロモンをそう呼んでいた。 その長い指先に触れる、柔らかく透明な青い髪。 一人目のイヴは、とても無邪気で愛らしく、そして、陽の光のような美貌を持つ少女だった。 イルヴァとは少し違うが、それでも、今、何故こうも、あの少女とイルヴァの姿が重なって見えるのか、さすがのソロモンも不思議でならない。 慈しむように髪を撫でるその手を拒むでもなく、イルヴァは、どこか嬉しそうに綺麗な顔を綻ばせると、静かにその手を握って、まるで子猫のように綺麗な頬を掌に寄せたのだった。 今のイルヴァにとって、人として扱われることが一番心地よく感じられる。 トライトニアのラボでは、決して味わうことの出来なかった、例え様もないその高揚感。ソロモンに初めて『イルヴァ』という名前を貰ったあの時と、その感覚はよく似ていた。 静かにサファイアの瞳を閉じて、彼女は、もう一度彼の名を呼んだ・・・「レムリアス」と。 それは、戦艦ドック『ドーラ』の外に、穏やかな波が打ち寄せる宵辺の事であった。
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