* マルタリアのリゾート都市、ノバーナの上空に二つの月が昇った。 紺色に染まる大気と海の狭間に、夕闇の強い風が吹き付け、水平線の彼方に沈む楕円太陽の影をゆらゆらと揺らめかせていた。 ネオンが灯った市外地から、10キロほど離れた海岸線の森の中に、一際目立つ豪華な屋敷がある。 太古のエデンに存在した、パルテノンと呼ばれる建物を模して建築されたその屋敷は、惑星マルタリアの国家主席、ベンジャミン・イズミルの所有する別荘であった。 小高い丘陵地と、生い茂る木々の合間にサーチライトの鋭い帯が緩やかに揺れている。 やはり、警戒は厳重のようだ。 海からの強い風に晒された丘陵地の端に立てられたバイクを、両足で支えながら、多機能ゴーグルの下で黒曜石の瞳を鋭く細めると、ツァーデ小隊の若きエースパイロット、リョータロウ・マキは、広い肩に下げたリュックの中から弾倉を取り出したのだった。 それを銃に装填して腰のホルスターに納め、もう一丁の銃にも弾倉を装填し、肩のホルスターに納めると、防弾ベストの胸元に装着されたリモコンでゴーグルのスコープを起動させる。 視界の端で拡大されていく屋敷の周りには、物々しく武装した警備兵達と、アンドロイド犬の姿が見える。 屋敷の三階にある大きなテラスには、マルタリア政府関係者と思しきスーツ姿の男性達と、カクテルドレスを纏った女性達の姿も見受けられた。 現在、晩餐会が催されているこのイズミル国家主席の別荘に、トライトニアとの会談を傍受するための盗聴器を仕掛けるのが、リョータロウに与えられた任務だった。 本来、この手の作業は、セラフィムのインフォメーションデスク、つまり、諜報部の仕事であるのだか、今回は、ソロモンの意向でリョータロウが任されることとなった。 それは、リョータロウの意志を汲み取ったソロモンの配慮からである。 レイバンパイロットは万能でなければならない、そのため、戦闘訓練の他にも、こういった潜入作戦の訓練も受けている。 艦長であるソロモンは、それをよく知っているからこそ、勝算を見こんで、リョータロウにこの任務を任せたのだ。 ソロモンは、リョータロウにとって、いけ好かない上官でもあるが、それでも、思慮深く有能な上官だ。 そんなソロモンの勝算も配慮も、リョータロウは、深く理解している。 ぶっきらぼうな感謝を抱いたまま、リョータロウは、凛とした眉を鋭く眉間に寄せて、厳しい表情でバイクのアクセルを開けたのだった。 防音処理を施された400CCのエンジンが、低い唸りを上げて回転数を上げる。 強い海風に逆らうように急発進した軍用バイクが、厳重警戒体制が敷かれたマルタリア国家主席の別荘に向かって、小高い丘陵地を駆け下りていく。 その機影を、紺色の空に昇った二つの月だけが、静かに眺めていた。
* 外部の物々しい警備体制を尻目に、惑星マルタリアの国家主席ベンジャミン・イズミル主催の晩餐会は、実に優雅に、そして穏やかに執り行われていた。 高価で品の良い衣服を纏った政府関係者やその夫人、マルタリア経済界の大物とその家族、そして女優や俳優など、その顔ぶれは実に様々である。 広いパーティルームの中心に据えられた大きなテーブルには、海産物中心の豪華な料理が並び、ゲスト達の談笑と、室内管弦楽団が奏でる古典音楽の柔らかな調べの合間には、高級アルコールの香りが漂っていた。 開け放たれテラスの窓から覗く二つの月が、夜辺に寄せる波間に揺れている。 そんな中、トライトニアの大統領子息にして、秘書官でもあるジェレミー・バークレイは、高価なソファにゆったりと腰を下ろし、このマルタリアにおける行政の長、国家主席イズミルに、実に人の良さそうな微笑を見せたのだった。 そんな彼の背後には、金色の髪と瞳を持つ涼麗な青年と、ルビーのような赤い髪と瞳を持つ妖艶な若い女性が、無言のままで佇んでいたのである。 極めて容姿端麗なその二人を、足先から頭の天辺まで、舐めるような視線でまじまじと眺めやりながら、イズミルは、肉の垂れ下がった顎を指で撫で、厚く締まりの悪い唇の角を、感心したようにもたげたのだった。 「ほぉ・・・これが、トライトニアのタイプΦヴァルキリー?いやはや・・・これはこれは・・・思っていたよりも、随分と美形だな」 「戦闘能力だけではなく、その見た目の美しさも徹底的に追求して作り上げられたセクサノイドですから。それに彼らは、アンドロイドにはない特殊な身体構造を持っておりましてね」 そう答えると、バークレイは、薄い唇を思惑有り気に吊り上げて、上品なグレイのスラックスに覆われた足を、緩やかな仕草で組替えたのだった。 その時、バークレイの左後ろに立っていた赤い髪の女性体セクサノイド・・・本来、敵であるはずの青年に『メイヤ』と名付けられた011は、蛾美な眉を僅かに潜めたのである。 そんな彼女の美麗で妖艶な顔を、マルタリアの最高権力者が、再び、舐めるような視線で見つめやった。 メイヤは、そんなイズミルから咄嗟に瞳を反らし、鏡のように磨かれた床の上へと、切な気な視線を落とす。 彼女は今、面白い遊び道具を見つけたかのような、実に厭らしいイズミルの表情と視線に、ひどい嫌悪を感じている。 昼間出会った、敵であるあの青年は、こんな風に物を見るような邪な視線で、彼女を見つめたりはしなかった。 揺るぎない強さを持つ真っ直ぐな瞳で、凛と彼女を見つめていたはずだ。 メイヤは、片手をふくよかな胸元で握り締めて、複雑な表情をしながら瞳を閉じる。 『タイプΦヴァルキリーに、人間と同じ感情があるのは俺にだって判る。 おまえは、そんな命令に従うのは嫌なんじゃないのか?』 強い潮風が吹き付けるノバーナの岬の端に立ち、凛と鋭い表情でそう言ったあの青年の姿が、まるでバグでも起したかのように、繰り返しそのAIに浮かんで仕方が無い。 それが一体なんなのか、これまで、そんな感情を学習したことのないメイヤには全く判らないでいた。 ただ一つだけ判ることがあるとすれば、この期に及んでメイヤは、もう一度、あの青年に・・・トラトニアにとっての宿敵、ガーディアンエンジェルの一員であるリョータロウ・マキに会いたいと、はっきりとそう思っている事だけだ。 だが彼は、あくまでも彼女の敵である。 次に会うことがあるのなら、それは恐らく、戦場だろう。 嫌だよ・・・ リョータロウ・・・ 私、リョータロウと闘いたくないよ・・・ 戦闘プログラムが起動した時のメイヤは、情緒プログラムで学習したデータが、戦闘用プログラムによって完全に遮断されてしまう。 情緒プログラムと戦闘プログラムの伝達システムに不具合があるため、彼女は、アーマード・バトラーに搭乗時に、情緒プラグラムで行動していた時の記憶を、一時的に失ってしまうのである。 その時のことを思うだけで、思考回路がショートしてしまいそうなほど、ひどく辛い思いに苛まれる。 闘いたくない・・・・決して口には出せないその言葉が、バグのように彼女のAIに生まれ出でた時、国家主席イズミルの愉快そうな声が、メイヤの鋭敏な聴覚センサーを通り抜けたのだった。 「なんだ?このセクサイノイドには、恥じらいでもあるのか?バークレイ秘書官?」 ハッと瞳を開き、ゆっくりと顔を上げたメイヤの視界に、薄ら笑いを浮かべたイズミルの肉付きの良い顔が飛び込んでくる。 リョータロウ以外の人間には、触られたくない・・・っ! そんな思いが思考回路を過ぎり、不安気に一歩後退したメイヤを、ソファに腰を下ろしたまま、バークレイが静かに振り返った。 「ええ。基本的には、かなり人間に近い感情があると、このセクサノイドの製作者は申しておりました。まぁ、それがどれほどのものなのか、私は判りかねますが。 もしご興味がおありなら、お試しになられても結構ですよ。人間の命令には忠実な筈です、所詮彼らは機械ですから」 バークレイの言葉に、メイヤは、ひどく哀しそうな表情になって、再びうつむき加減になるのだった。 そんな彼女の傍らに立つ、極めて涼麗な男性体セクサノイド07は、金色の前髪の下で、相変わらずの冷淡な無表情を作り上げたまま、髪と同じ色をした綺麗な瞳を鋭く細めたのである。 そんな彼らの様子に全く気付く様子もなく、バークレイの向かいに座っていたイズミルが、口元をにやにやと歪ませながら、ゆっくりとソファを立ち上がった。 大ぶりのスーツに包まれた、肉付きの良い体を揺すりながら、メイヤと、07の前に歩み寄ると、瞼に埋もれそうなほど小さな目で、品定めでもするかのように、二人の全身をしみじみを眺めやったのである。 「ふ〜ん・・・本当に、見た目は全く人間と変わらないのだな?」 独り言のように呟いたイズミルの手が、無言のままでそこに立つ07の胸元辺りを撫でまわし、美青年とも言えるその端整な顔を仰ぎ見たのだった。 07は、冷淡な無表情を崩さずに、金色の瞳だけを動かして、厭らしく邪な顔つきをしたイズミルを凝視する。 イズミルは、自らの肉付きの良い顎を指先でつまみ、厚い唇を歪ませながら、さも、興味津々と言った面持ちで独り言のように呟くのである。 「見事な造形美だな・・・・・実にそそる顔立ちをしている」 鼻息を荒くしたイズミルの視線が、今度は、傍らでうつむいたままでいるメイヤに向く。 メイヤは、そのなだらかな肩をぴくりと震わせて、恐る恐るイズミルの方を顧みた。 何故か、体が震え出す。 だが、これは恐怖の震えではない、明らかに嫌悪の震えだ。 それを良いように勘違いしたイズミルが、ますます邪に笑って、細く引き締まったメイヤの腰に手をやったのである。 「・・・・っ!?」 蛾美な眉を眉間に寄せて、思わずその手から後退りしたメイヤを、ソファに座ったままでいるバークレイが、ジロリと鋭く睨みつけたのだった。 「011、首席閣下に失礼だぞ」 その言葉に、メイヤは、しなやかな肢体を硬直させたまま、揺れる前髪の下で、おずおずとイズミルの顔を見つめ返したのだった。 イズミルは、満足気な顔つきでバークレイを振り返ると、上機嫌に眉尻を下げて、ゆっくりと首を横に振ったのである。 「いや、気にしないでくれバークレイ秘書官。恥じらいがあって愛らしいじゃないか?」 「・・・そう言っていただけると、ありがたいのですが・・・この011は、少々問題のある個体でして」 バークレイは、不意に、形式ばった笑顔を作り、さも困ったように眉間を寄せると、わざとらしい口調で言葉を続けるのだった。 「まるで少女のような性格でしてね、自由奔放なところがありますから、閣下になにか失礼があっては困るかと・・」 「まるで、少女、か・・・いや、それはそれで面白そうだ」 イズミルの厚く締まりの無い唇が、にんまりといやらしく微笑する。 「バークレイ秘書官・・・この二体、これから少し借り受けてもいいか?」 イズミルからその言葉が出た瞬間、バークレイは、してやったりとその灰色の瞳を細めたのだった。 そして、心中で「この色情じじぃめが・・・」と悪態をつきながら、実に人の良い表情で何の気なくこう言うのである。 「お気に召されましたか?どうぞお好きになされて結構ですよ・・・さすがに、お譲りは出来ませんが、今夜一晩、どうぞタイプΦヴァルキリーをじっくりと研究なさってください」 そこはかとなく野心がにじみ出るバークレイの瞳が、ふと、二体のセクサノイドの方へ向いた。 さり気無く目配せするバークレイを、07は、ただ、真っ直ぐに見つめすえ、メイヤは、唇を震わせたまま、ただ、じっとうつむいたのである。 バークレイの思惑通り、事は順調に運んだかのように見えた、だが、それは、あくまでもこの時までの事であった。
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