* セラフィムのF第三ブロックにある、ヒルダ・ノルドハイム博士専用のラボ。 そのドアを入った瞬間、ハルカは、大きな黒い瞳を更に大きく見開いて、リョータロウの元から、特殊ガラスで仕切られたラボの奥へと駆け出したのだった。 「012――――っ!!」 仕切りガラスに広い額と両掌を押し付けると、ハルカは、その向こう側に置かれたベッドに横たわる、美しいセクサノイドを一心に見つめ据える。 瞳を閉じたまま身動ぎもしない012の傍らには、腰のホルスターに納めたビーム銃に片手をやった姿勢で、セラフィムの艦長ソロモンが立っていた。 その長い銀色の髪から覗く紅の瞳が、ベッドに横たわる012を、どこか鋭い視線で見つめている。 特殊ガラス越しにその光景を凝視しながら、ハルカは、愛らしい顔を今にも泣き出しそうな表情で歪め、後方に立つリョータロウに振り返ったのだった。 「012に何をするつもり!?」 未だ、何故自分達が此処に呼ばれたか把握できないまま、リョータロウは、先程から数名の研究員と共にモニターの前に居る、ヒルダ・ノルドハイム博士を顧みたのである。 「一体これから、どんな実験をしようって言うんだ?」 ヒルダは、怪訝そうに眉根を寄せる若きエースパイロットを肩越しにちらりと見やると、唇だけで不敵に微笑するのだった。 「見てればわかるわ」 「あんたもそれかよ?」 不機嫌そうに前髪をかき上げるリョータロウに、ヒルダは、もう一度小さく笑ってみせて、冷静な口調と表情で静かに言葉を続けた。 「私の仮定が正しければ、なんの問題もないわ・・・・でも、万が一ということもある。これから、彼女の機能を停止させている磁波を切るわ。特殊な状況でシステムダウンしてるから、戦闘用システムで起動するはずよ・・・それがどういうことか、わかるわね?」 「タイプΦヴァルキリーが、艦内で暴れるかもしれないって?」 「その通りよ。それにソロモンに何かあったら、あなた達だって困るでしょ?もし危なくなったら、彼女の頚椎部を確実に撃って、いいわね?マキ少尉?」 やけに冷静なヒルダの言葉を聞いて、泣き出しそうだったハルカの顔が、悲痛と驚愕の表情に変わる。 そんなハルカの様子を横目で見ながら、苦々しい声でリョータロウは言う。 「なんで俺なんだよ?他にもいるだろう?」 「セラフィムで、一番射撃が上手いのは誰か?と聞いたら、ソロモンが、マキ少尉だと言ったからよ」 「あの野郎・・・・っ」 リョータロウは、実に複雑な顔で眉間にしわを寄せると、特殊ガラスの向こうに居るソロモンの長身を睨むように見るのだった。 何故かリョータロウは、こんな風にソロモンから指名を受ける時が多い。 それは偏(ひとえ)に、ソロモンが彼の力量を認めているからなのだが・・・撃ったら後味が悪くなりそうな役目は真っ平ごめんだと、胸中で悪態をつく。 その時、大きな黒い瞳に涙を貯めたまま、両手に拳を握ったハルカが、リョータロウの顔を仰いで大きく叫んだのである。 「やめてよ!撃たないで!012は、優しいんだ!ずっと僕の傍にいてくれたんだよ!?だから撃たないで!!」 ヒルダは、眼鏡の下の青い瞳を、泣きべそをかくハルカに向けると意味深に微笑して、特殊ガラスの向こう側をゆっくりと振り返ると、ラボ内に繋がるマイクに向かって言うのだった。 「ソロモン、磁波を解くわ・・・気をつけて」 『ああ』 いつでも銃を抜ける体制を取りながら、ソロモンは冷静な声色で短く答えた。 「あ・・・・っ」 ハルカは、大きな黒い瞳を見開いて、悲痛に形の良い眉を潜めながら、食い入るようにラボの中を見つめすえたのである。 012に照射されていた磁波レーザーが音もなく遮断され、身動ぎもせずに横たわっていた彼女が、長い睫毛を揺らして、今、ゆっくりと、そのサファイアの瞳を開いた。 ガラス越しにその光景を見ていたリョータロウが、癖毛の下から覗く黒曜石の瞳を鋭く細め、反射的に、腰のホルスターに下げたビーム銃に手をかける。 瞳に一杯の涙を浮かべたまま、固唾を飲んで見つめるハルカの視界で、012の体内に組み込まれたAIが起動し始め、その全身に張り巡らされた、人間の血管と同じ働きをする管が、にわかに青く輝いた。 点滅する光の粒が、瞬く間にしなやかな肢体を駆け巡り、やがて、緩やかにそれが止んで行くと、012は、無表情のまま、ベッドの上でゆっくりと半身を起したのだった。 鋭敏な生体センサーが、傍らに立つソロモンを感知したのか、012は、人間の女性と見紛うほど精巧に、そして美しく作られた顔を、ゆっくりとそちらに向けたのである。 そんな彼女を真っ直ぐに見つめながら、落ち着き払った声でソロモンは言う。 「君に聞きたい事がある・・・012」 研ぎ澄まされたサファイアにも似た、012の青い瞳が、同じ色をした髪の合間で鈍く閃くと、艶やかで綺麗なその唇が開き、機械的な声がゆっくりと答える。 『コノ人間二関スルデータハ、メモリーサレテイナイ』 その次の瞬間だった。 ソロモンは、銀色の前髪から覗く紅の瞳を鋭利に細め、瞬時に壁際に跳び退くと、今まで彼の体が在った空間を、青い閃光を上げた012の手刀が豪速で駆け抜けていった。 両方の二の腕から、揺らめく様に出現した青い閃光の刃。 それは、対人戦用としてタイプΦヴァルキリーの両腕に装備されている、人体はおろか、場合によっては、戦艦の内部から隔壁を切り裂くほどの威力を持つ、所謂レーザーブレードの一種である。 サファイアの如き青い髪が虚空に乱舞し、俊敏な身のこなしでベッドを飛び降りた012が、無表情のまま、レーザーブレードを携えた右腕を、ソロモンに向かって翻す。 「012、落ち着け、君はハルカにそんな姿を見せたいのか?」 ソロモンは、ホルスターのビームガンを素早く抜きながら、軽く身を反らせてそれをかわすと、冷静だが鋭い声色でそう言った。 俊足で眼前を通り過ぎた012を、輝くような銀色の髪から覗く紅の瞳で顧みて、ソロモンは、瞬時に安全装置を外す。 まるで猛禽類の眼光の如く煌くその両眼が、真っ直ぐに012の美しい顔を凝視した。 「012、止めるんだ・・・・っ」 012は、その言葉にはまったく反応せず、無表情な眼差のまま、厳しい顔つきをするソロモンの優美で精悍な顔を仰ぎ見た。 その爪先が、間髪入れずに床を蹴り、腕をクロスさせて眼前に掲げると、012は、弾丸のような迅速さでソロモンの前に踊り出る。 X型の青い閃光が唸りを上げ、それは、ソロモンの広い胸元を狙って容赦なく虚空を切り裂いた。 銀色の長い髪を揺らし、咄嗟に横へと跳んだソロモンの直ぐ脇を、X型に交差するレーザーブレードが豪速で通り過ぎる。 背後の隔壁が轟音を上げて弾け飛んだ。 湧き上がる白煙の中で、無表情の012が、両腕のレーザーブレードを構えた姿勢で、ゆっくりと首をもたげる。 極めて美麗な造形を持つ、しなやかな肢体。 ふくよかな胸元でたゆたう青い髪。 美しい顔を無表情に保つその無機質な姿は、まるで破壊の女神であるかのようだ。 一年前も、彼女は、こうやって、戦艦ケルヴィムの船員を次々と殺害し、内部から機能を失わせ、そしてハルカを強奪していったのだ。 ケルヴィムの艦内が、鮮血と死臭であふれ返ったあの壮絶な光景を、忘れるはずもない。 ソロモンは、形の良い眉を眉間に寄せると、端整で優美な顔を鋭く厳しい表情で歪めながら、ゆっくりとした歩調でこちらに近づいてくる012に銃口を向けた。 「止まれ、012。俺は君を撃ちたくない・・・ハルカのためにもな」 紅の瞳を鋭利に細め、沈着な声でそう言うと、ソロモンは、彼女の足元を狙って引き金を引いたのである。 ビーム銃独特の甲高い音がラボに響き渡り、空を二分した紅い閃光が、012の爪先の床を抉り取って弾け飛ぶ。 だが、012は歩みを止めない。 青く輝く熱線の刃を持つ腕を、彼女は、再び眼前でクロスさせ、膝に重心を置く。 その時、特殊ガラスの向こう側で、鬼気迫る光景を見やっていたリョータロウが、苦々しい表情をしてホルスターから銃を抜いた。 伸ばした腕で銃を構えながら、軽く片目を閉じたリョータロウの視界で、今、正に、美しきセクサノイドが、ソロモンに踊りかかろうとしていた。 そんなリョータロウの仕草に気付いたハルカは、呆然としたまま、華奢な身体をぴくりと揺らした。 今、目の前で起こっている光景と、似たような光景を、以前にも見たことがある。 極めて断片的に、フラッシュバックのようにして、その時の光景が頭の中を過ぎっていく。 その次の刹那。 ハルカは、澄んだ黒い瞳から零れ出した涙を止めることもできず、特殊ガラスを両手で強く叩いたのである。 そして、艶のある象牙色の頬に大粒の涙を零しながら、喉も張り裂けんばかりに絶叫したのだった。 「012―――――っ!!駄目だ―――――・・・・っ!! レムルを殺したら駄目だ――――――っ!!012―――――――っ・・・!!」 手が真っ赤になるほど、何度も何度もガラスを叩き、ハルカは、華奢な身体を震わせて首を横に振ると、尚も叫び続けた。 「012――――――――・・・っ!レムルを殺さないで―――――っ!! レムル――――――・・・っ!012を殺さないで――――っ!!」 余りにも悲痛なその叫びが、マイクを通してラボの中に届いた瞬間、何故か、012の動きがぴたりと止まった。 「殺さないで―――――――――――っ!!」 ハルカの瞳から零れ落ちる涙が、弾けるように宙を舞い、ビームガンを構えたリョータロウの頬に当った。 泣き叫ぶハルカを咄嗟に振り返ると、リョータロウは、癖毛から覗く黒曜石の瞳を、驚いたように大きく見開いたのである。 「ハルカ・・・・おまえ、今、何て呼んだ?ソロモンを何て呼んだ・・・っ!?」 その質問には何も答えずに、ハルカは、悲痛の表情でぶんぶんと首を横に振った。 特殊ガラスの向こう側で、012が、ゆっくりとハルカを振り返る。 ビームガンを構えたまま、ソロモンは、そんな彼女の様子を鋭い視線で凝視した。 その視界の中で、無表情だった012の顔が、みるみる人間らしい表情≠取り戻していく。 綺麗な頬に青い髪が零れ落ちた時、その両腕から、一瞬にしてレーザーブレードが消え失せた。 『あ・・・・』 それは、無機質だったサファイアの瞳に感情≠ェ戻った瞬間だった。 『WX・・・』 012は、その美しい顔を、切なくもどこか嬉々とした表情に満たし、咄嗟にその場から駆け出したのである。 特殊ガラスに両手をつきながら、ハルカの無事を確認すると、彼女は、迷子になった我が子を見つけた母親のように、ぺたんとその場に座り込むのだった。 『ぶ、無事だったのですね・・・良かった・・・良かった・・・』 ソロモンは、広い肩で一つ大きく息を吐き、何かを確信したような表情で、そんな彼女の背中を見つめすえると、構えていたビームガンをホルスターに納め、天井に取り付けられた通信装置に向かって言ったのである。 「ヒルダ・・・やはり、仮説は正しかったようだ。出口を開けてくれ」 その言葉と同時に、特殊ガラスの一部がゆっくりと床へ沈んでいく。 すると、弾かれたように駆け出したハルカが、溢れる涙を虚空に飛び散らせ、思い切り012の首に抱き付いたのだった。 「012――――っ!012―――――っ!!」 『無事で良かった、本当に良かった・・・WX』 華奢な肩を揺らして嗚咽するハルカを抱き締めて、012もまた、今にも涙を零しそうなほど嬉々とした表情で、綺麗な頬をその黒髪に摺り寄せたのである。 その光景を横目で見やりると、リョータロウは、やはり大きく息を吐いて、不機嫌な顔つきをしながらソロモンの元へと歩み寄ってくる。 ソロモンは、何か物言いた気なリョータロウの顔を、紅の瞳で真っ直ぐに見つめると、端整な唇で小さく微笑したのだった。 「悪かったな、リョータロウ。また、余計なことにつき合わせて」 「本当だよ・・・!ふざけんなよ、呼び出すなら呼び出すで、どんな用件か伝えてからにしてくれよ!!肝が潰れんだろ・・・っ?」 さも腹立しいと言った口ぶりでそう答えると、リョータロウは、ビームガンを腰のホルスターに納めながら、ソロモンの顔をジロリと睨んだ。 「これぐらいで潰れるような、軟弱な肝じゃないだろう?」 ソロモンは、どこか愉快そうな表情でそんなことを口にすると、極自然な仕草で、ゆったりと腕を組むのだった。 銀色の前髪から覗く紅の瞳が、怒ったようにこちらを睨むリョータロウを凝視している。 全くもって悪びれないその視線を受け止めながら、リョータロウは、眉間に深いしわを寄せると、さも不愉快そうに自らの前髪をかき上げる。 「なんだよそれ・・・・っ?面倒なことばっか俺に振りやがって、本当に悪いと思ってんのかよ?」 「ああ、もちろん」 ソロモンは、軽く肩を持ち上げて見せると、優美で端整なその顔を、いつになく穏やかに綻ばせる。 そんな上官を訝しそうに見やると、再び大きくため息を吐いて、リョータロウは拗ねた子供のように唇を尖らせながら言うのだった。 「あんたの言う“もちろん”は嘘くせーんだよ・・・っ」 「随分と疑り深いな?リョータロウ?おまえは、そんなに俺を信用できないか?」 「信用してるとかしてないとか、それ以前の話だろ?」 「そうか?」 「そうだよ!」 まったく・・・と付けたして肩を竦めると、リョータロウは、もう一度大きくため息をついて、先程から、ずっと012に抱き付いたまま嗚咽するハルカに視線を向けた。 まるで、離れ離れだった親子が対面したかのような光景を眺めながら、彼は、どこかほっとしたように、小さく微笑したのである。 「ソロモン・・・・あいつ、さっきあんたをレムルって呼んだ。もしかすると、思い出してきてるのかもしれない・・・前のこと」 リョータロウの記憶の中で、ソロモンをレムル≠ニいう愛称で呼ぶのは、たった一人だけのはずだった。 それが、他でもない、NW−遺伝子を持つ純粋無垢な少年、ハルカ・アダミアンだ。 勿論、ソロモンは、それを十分知っているはずだ。 前で腕を組んだまま静かに瞑目すると、端整な唇の隅を柔和にもたげ、ソロモンは冷静な声色で短く答える。 「聞こえてたよ」 「・・・・なんだよ、聞いてたのかよ?だったらもう少し嬉しそうな顔しろよ?」 「おまえこそな」 「なんだよそれ?」 拗ねたように唇を尖らすリョータロウを、瞑目を解いたソロモンの瞳が、実に可笑しそうに眺めやる。 初めてリョータロウに出会った時は、流石のソロモンも、こんな風に彼の自然な表情を見ることが出来るようになるとは思ってもいなかった。 薄汚れた髪の下から、憎しみに溢れた眼差しで見つめていた黒曜石の瞳は、今やその憎しみの断片すら残していない。 リョータロウは良い意味で変わったと、今更ながらソロモンは思う。 尤も、子供の面倒を看るのが得意で、短気なところは相変わらずだ・・・とも。 にわかに騒がしくなっていたF第三セクションには、こうして、いつもの静けさと落ち着きが戻ったのだった。 宇宙戦闘空母セラフィムが、惑星ローレイシアに着艦するまであと数時間。 そのつかの間の休息が終わるのは、この出来事の後、32時間後のことである。
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