* トーカサス星系ローレイシア。 その星は、原始の植物と巨大な生物が共存する緑の惑星であった。 澄んだ大気と、塩化マグネシウムの海。 幾度となく開拓を試みられた星であるが、そこに生える植物は再生力が強く、切り倒した木々が、次の日には元の状態に戻っているという、驚異的な生命が息づく星であった。 そのため、ローレイシアは未だ発展途上であり、AUOLP(オールプ)にも加盟していない、全くの開拓惑星であった。 ローレイシアで物資と弾薬の補給を行うため、トーカサス星系にワープアウトしたセラフィムが、かの緑の惑星に到着するまでには、まだ有に6時間はかかる。 ブリッジ勤務から休憩に上がってきたルツ・エーラは、星屑の海を見渡せるカフェテラスで、艶やかな褐色の肌で彩られた綺麗な顔を、ここぞとばかりに険しく歪めたのだった。 そして、思い切りアイス・カフェオレのグラスをテーブルの上に置く。 「もう!!本当に一体何なのあの男?!私にどんな恨みがあるって言うの!? 腹立つ!腹立つ!腹立つ〜〜〜っ!!」 高く結った髪を振り乱しそうな勢いで、ひたすら怒り狂うルツの肩を、引き吊ったように笑って軽く叩くと、ストレートのツインテールが印象的なブリッジオペレーター、ナナミ・トキサカが、宥めるように言うのだった。 「で、でもさ、ほら、艦長の口ぶりだとさ、オルニー船長は、ルツの事を気に入ってるみたいだしさ。あれはあれで、愛情の裏返し・・・??」 「馬鹿なこと言わないで!!そんなはずないでしょ!?絶対有り得ない!有り得たらおかしい!!艦長が歳取るぐらい不自然!!ってゆーか気持ち悪い!?おじさんになった艦長なんて想像できないでしょ!?それぐらい想像できない!!」 両手でテーブルの縁を叩きながら、ひどく興奮気味に、訳のわからない例えを口にしたルツの怖い顔を、ナナミは、殊更困ったように笑ってまじまじと見つめすえた。 「そ、それは、た・・・確かに。ソロモン艦長は、ナナミが子供の頃から、ずっとあのまま変わらないんだもんね〜・・・NW−遺伝子ってなんか羨ましい」 「そうかな?」 鬼の形相だった綺麗な顔を、突然、いつもの落ち着いた表情に変えて、ルツは、片手でカフェオレのグラスを持つと、それを唇にあてがいながら感慨深げに眉根を寄せる。 「え?」 きょとんとした顔つきをするナナミをよそに、ルツは、特殊ガラスの窓辺に流れる銀色の星々に黒い瞳を向けると、呟くように言うのだった。 「だって・・・自分以外は、皆年取っていくんだよ?自分は変わらないのに、周りの人間は、自分より何倍も早く歳を取って・・・自分より先に、死んじゃうんだよ・・・それって、すごく寂しい・・・と言うか、孤独なんじゃないかな?」 その言葉に、ワイン色の制服の肩をハッと揺らして、ナナミは、ふと、考え込むようにへーゼルの瞳をテーブルの上に落とした。 「・・・・・そう言われてみれば・・・そうかもしれない・・・うん・・・多分そうだと思う。 ルツは相変わらず頭良いな〜・・・私、そんなこと考えもしなかった。そうだよねそれって、なんか寂しいよね・・・・一人だけ歳を取らないなんて。もし好きな人が歳を取っても、自分は若いままなんて・・・ナナミだったら耐えられないかも」 どこか切なそうに眉根を寄せて、オレンジジュースのストローに口を付けたナナミを、なにやら意味深な視線でルツが見やる。 テーブルの上に両手で頬杖を付いて、ルツは、やけに神妙な表情でナナミに聞くのだった。 「ねぇ、ナナミ・・・今、好きな人≠チてところでマキ少尉のことを思い浮かべたでしょ?」 「!!?」 ルツの口からその名前が出た瞬間、あからさまにナナミの頬が赤く染まった。 「な、何言ってるの・・・っ!?ナ、ナナミは別に・・・っ」 「別に隠さなくたっていいわよ。見てれば判るし・・・いいなぁ、若者は〜」 若干22歳という年齢にそぐわぬ、実に年寄りじみた台詞を吐いて、ルツは、ばったりとテーブルの上に伏すと、大きくため息をつく。 そんなルツの様子を、顔を真っ赤にしたままのナナミが、きょとんと目を丸くして思わず凝視してしまう。 「ど、どうしたの急に・・・?」 「あいつのせいよ、全部あいつのせい・・・私を『つまらない女』扱いしたあの眼鏡男!!こんなに気力消耗したのは全部あいつのせいよ!!撃たれろ!!もう応答するな!!沈め!!撃沈されてしまえ――――――っ!!」 「ル、ルツってば・・・そんなに気にしてたんだ・・・?」 困ったように笑うナナミを、テーブルの上に伏したままジロリと見やると、ルツはすかさず言うのだった。 「気にするわよ!だって、『つまらない』よ『つまらない』!?顔が良くて頭が良くても!実業家で金持ちでも!あんなのはクズよクズ!!」 「オルニー船長・・・・く、クズなんだ・・・」 苦笑するナナミから視線を逸らし、ルツは、ワイン色の制服の肩で大きくため息吐くと、すっかり迫を失った黒い瞳を力なく伏せる。 「当たり前よ!!あ〜あ・・・短気で年下じゃなければ、マキ少尉は申し分ないのになぁ・・・あの歳で、ベテラン揃いのツァーデ小隊所属だし、子供には優しいし、見た目も悪くないし、出世しそうだし・・・・・あの嫌味で高飛車な眼鏡男と、これからも通信取らなきゃならないなら、もうブリッジ降りてお嫁に行きたい・・・貰ってって言ったら貰ってくれるかな?マキ少尉?三つも年上じゃ却下かな・・・?」 余りにも突拍子の無いルツの言葉に、飲みかけのジュースを吹き出しそうになって、ナナミは、思わずテーブルを叩くとその場で立ち上がった。 「だだだ、駄目!!マキ少尉を狙うのだけはやめて!!」 その時、真っ赤な顔でそんなことを口走ったナナミの背後から、聞き覚えのある青年の声が、突然話し掛けてきたのである。 「俺がなんだって・・・?」 「!!?」 耳まで真っ赤に上気させて、ナナミは、咄嗟に背後を振り返った。 するとそこには、いつの間にやら、ツァーデ小隊の若きパイロット、リョータロウ・マキが、実に怪訝そうに眉根を寄せて立っていたのだった。 その傍らには、艶やかな黒髪と澄んだ黒い瞳を持つ愛らしい少年、ハルカ・アダミアンがいる。 ハルカは、未だに警戒したような顔つきで、その場にいた二人のブリッジオペレーターの顔を、まじまじと仰ぎ見た。 次の瞬間、その視線を受け止めたナナミが、大きなへーゼルの瞳を潤ませて両腕を伸ばすと、頬を紅く上気させたまま、ハルカの華奢な体をぎゅっと抱き締めたのである。 「ハルカくん!!」 突然のその出来事に、ハルカは、黒く澄んだその瞳をきょとんと丸くして、思わず身体を硬直させてしまった。 「!?」 「おかえり!おかえり!心配してたんだよ!!元気だった!?何もされなかった!?大丈夫!?背が高くなったね・・・ナナミ、またハルカくんに会えて嬉しいよ!!」 そんなナナミの行動の意味が判らず、ハルカは、まるで助けを求めるかのように、傍らに居るリョータロウを顧みる。 「こ、このお姉さんは、誰?」 リョータロウは、唇だけで困ったように微笑すると、茶色に染めた癖毛を片手でかき上げながら言うのである。 「本当に誰の事も忘れてるんだな?おまえ?ナナミだよ。おまえのゲーム仲間で、おまえを一番過保護に扱ってたブリッジオペレーターの・・・」 ナナミは、リョ―タロウの言葉にハッと肩を揺らすと、きょとんとしているハルカの顔を、驚いたような顔つきで凝視した。 「ハルカくん、ナナミのこと忘れちゃったの・・・?そんなはずないよね?だってハルカくんは・・・」 その質問に返答しようと口を開いたのは、当のハルカではなく、リョータロウであった。 どこか苦々しい声色で、彼は言う。 「強制的に記憶を消されたそうだ・・・そのうち元に戻る、らしい。だから、艦内を案内して回ってる。でもまぁ、セラフィムはケルヴィムと違うから、記憶を取り戻させるだけの効果があるかは、知らないけどな」 それを聞いたナナミの瞳から、にわかに、ぽろぽろと涙が零れ出す。 ナナミは、小さく肩を震わせながら、ツインテールを揺らして首を横に振ると、怒ったような表情で呟いたのだった。 「そ、そんな・・・・ひどいよ、そんなことするなんて・・・無理矢理浚っていったくせに・・・なんで思い出まで消されなきゃならないの・・・!?ハルカくんが可哀想・・・可哀想」 「何で・・・泣くの?」 ナナミの涙にひどく戸惑った様子で、ハルカは、艶やかな前髪から覗く黒い瞳を盛んに瞬きさせると、全く訳がわからないと言った表情で、再び、リョータロウを仰ぎ見た。 「・・・この船は、悪者の船じゃないの?どうしてみんな僕に優しいの?」 「まぁ、確かに悪者かもしれないけど・・・少なくとも、みんなおまえの仲間・・・というか、友達というか・・・家族みたいなもんなんだよ。だから、おまえを、機械みたいな名前で呼ばないだろ?」 そう言うと、リョータロウは、くしゃくしゃとハルカの頭を撫でたのである。 「・・・・・・」 ハルカは、何かを考え込んでじっと床を見つめると、その華奢な掌で、嗚咽するナナミの背中を慰めるように撫でたのだった。 『スペーシア』には、ずっと面倒を看てくれていた012以外、彼と接する者は誰もいなかった。 不安と孤独。 寂しさと虚無。 だから、012が居なくなったら、自分一人だけになってしまうと思っていた。 でも、この船には、 彼と接点を持とうとする人間が沢山いる。 自分と012以外、誰も居なかったあの無機質な部屋。 寧ろあれが不自然な状況であったのだろうか。 ハルカは、複雑な表情をしたまま、やけに懐かしく感じるリョータロウ笑顔を、しみじみと見上げたのである。 そんな彼等の様子を、感心したように眺めていたルツが、ふと、その唇を綻ばせた。 ルツは、このセラフィムのブリッジオペレーターに志願するまで、レムリアス・ソロモンが統率する船には乗ったことがなく、カーディアンエンジェルに所属する別の戦艦のブリッジオペレーターを務めていたのだ。 そのため、完全なNW−遺伝子≠持つこの少年、ハルカ・アダミアンに会うのはこれが初めてである。 それでも、ハルカが、本当に船員達に愛されていたことは、その光景を見ただけで直ぐに理解することができた。 純粋で頭の良い少年だと聞いていたが・・・それが、こんなに幼く見える少年だったなんて想像もしていなかった。 もっと生意気で大人びた子供だと思っていたのに。 彼は大人びている所か、本来の年よりも幼く見える、無垢で素直な瞳の持ち主だ。 それが、誰からも愛される理由なのだろうか・・・ ルツは、しみじみとそんな事を考える。 その時だった、不意に、リョ―タロウの衿元に着けられた小型通信機から、入電を知らせるアラームが鳴ったのである。 そのアラームの音は、艦長からの直接入電を示す音であった。 リョ―タロウは、凛とした眉を訝しそうに寄せて、ちらりと襟元を見やる。 通信機の向こうで、相変わらず冷静なソロモンの声が短く言うのだった。 『リョ―タロウ、ハルカを連れて、第二研究室まで』 「・・・イエッサー」 『念のため、ビームガンを携帯してこい』 「ビームガン?どうして?」 『来ればわかる』 「なんだよそれ?」 『念のためだと言っただろう?』 ソロモンは、回線の向こう側で微かに笑ったようだった。 怪訝そうな顔つきのまま、リョータロウは、傍らでナナミの背中を撫でているハルカを、黒曜石の瞳でちらりと顧みる。 その視線に気がついて、ハルカは、きょとんとこちらに振り返った。 この数分後、ハルカは、空白の一年を共に過ごしたあの美しいセクサノイドと、再会することになる。 今まで、一度たりとも見たことのない、戦闘用ヴァルキリーとして一面を垣間見ることになろうとも知らずに。
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