* ソロモンが、F第三ブロックからブリッジに戻った頃、メディカル・セクションの診察室では、歳若い女性医師ウルリカ・クレメノフが、モニターに表示されたカルテを横目で見ながら、ブラックブロンドの短い髪に手を入れて低く唸っていた。 ブルーシルバーの軍服姿でその傍らに立つリョータロウ・マキは、凛とした眉を怪訝そうにしかめ、診察台に横たわるハルカ・アダミアンを顧みたのである。 数名の看護士に身体のチェックをされながら、緊張したようにきょろきょろ辺りを見回すハルカを眺めやり、リョータロウは、苛立ったようにウルリカに聞くのだった。 「で、どうなんだ?ハルカはどうして記憶を無くしたんだ?」 「エースパイロットがそうカリカリしないの。待ちなさい、今教えてあげるから。 脳波は異常なし、頭部に手術痕もなし、脳内に異物を取り付けられている形跡もなし・・・でも、催眠効果薬物の反応は陽性」 モニターと座席が一体となったデスクに腰を下ろしたまま、ウルリカは、ミニスカートから覗くすらりとした足を組替えて、渋い顔つきをするリョータロウを仰ぎ見る。 そして、ローズのルージュが引かれたふくよかな唇を、ゆっくりと開くのだった。 「催眠暗示による記憶健忘・・・ということかしらね」 「治るのか?」 「脳細胞が破壊されるほどの強い薬物は検出されていないわ」 「だから、治るのか!?」 殊更、苛立って端整な顔を歪めながら、リョータロウは、思わずウルリカに詰め寄よった。 そんな彼の眼前に片手を上げると、若き女医は、大きくため息を吐いて言うのである。 「ちょっと待ちなさいって言ってるでしょ?医者の言うことは最後まで聞く。 いい、ハルカは完全なるNW−遺伝子≠フ持ち主なのよ。トライトニアは、それを知っていて彼を拉致したの。いくらなんでも、人類の宝を廃人にする訳がないわ。 ハルカは、一時的に記憶を無くているだけ。催眠効果が切れれば自然と思い出すはずだわ」 「だったら、回りくどい言い方しないで最初からそう言えよ!」 「ちゃんと聞かないから、回りくどくなるんでしょ?ちゃんとカルシウム摂ってる? いつもイライラしてたんじゃ、ツァーデ小隊は勤まらないわよ?」 何とも呆れた口調でそんなことを言ったウルリカを、バツが悪そうな視線で顧みて、リョータロウは、片手でぼりぼりと頭を掻く。 拗ねた子供ように唇を尖らせる、彼の仕草が可笑しかったのか、ウルリカは、くすくすと笑いながら言葉を続けた。 「記憶が無い以外は完全な健康体よ。一応、ちゃんとしたケアは受けていたみたいね」 「ああ、世話役らしいセクサノイドに随分懐いてたから、そいつがずっとハルカの面倒を看てたんだろ・・・それにしたって、なんでいちいち記憶なんか消したんだ?トライトニアの連中?」 「考えられるとするなら、逃亡を防ぐためかしらね?通論だと、人間は、たった30%しか脳を機能させずに歳老いて死んでいく。でも、完全なNW−遺伝子を持つハルカは、70%・・・下手をするとほぼ100%、脳を機能させることが出来る。複雑なコンピュータープログラムだって、1〜2度見れば覚えてしまうような天才児よ。いくら子供とはいえ、そんな頭の良い子を野放しになんかできないわ。記憶を消してしまえば、それだけ扱い易いしね」 「・・・・あ、なるほど」 なにやら、感心したようにそう呟いて、ふと、診察台のハルカを見たリョータロウに、ウルリカは、やけに改まった口調で言うのである。 「まぁ、お勉強はこれぐらいにして・・・・ところでマキ少尉、あなた、この間のメディカル・チェックをサボったわね?レイバン部隊の義務よ、せっかく来たんだから、今此処で受けていきなさい」 「はぁ!?」 リョータロウは、素っ頓狂な声を上げて、突然話の焦点を変えたウルリカを振り返ると、前髪から覗く黒曜石の瞳を盛んに瞬きさせたのだった。 そんな彼の腕をここぞとばかりに掴み上げると、ウルリカは、ローズの唇をにんまりと吊り上げたのである。 「サボった罰として、採血の針は太いのにしてあげるからね・・・マキ少尉」 「っ!?」 凛とした眉の隅を引きつらせたリョータロウの両脇を、いつの間にやら背後に待機していた二人の男性看護士が掴んだ。 「ツァーデ小隊のエースパイロットが、注射が怖くてメディカル・チェックをサボったなんて、誰にも言わないから安心して」 そう言って、さも人が良さそうに微笑んだウルリカを、ぴくぴくと顔を引きつらせたリョータロウがジロリと睨む。 「言ってんじゃねーかよ!?おい!こら!離せ―――――っ!」 二人の看護士に引き摺られ、じたばたと暴れるリョータロウの姿が、急速に医務室の奥へと消えていく。 「この鬼医者―――――――っ!!」 そんな絶叫すら全く無視しきって、ウルリカは、ニッコリと微笑むと、手を振りながらその勇姿を見送ったのである。 このしばらく後、げんなりと青い顔をしたリョータロウが、這うようにして検査室を出来てきたのは、言うまでもない。
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