「!?」 遮断されていたはずの通信回線から、幼い少年の絶叫が響いてきて、ソロモンは、思わずその動きを止める。 同時に、クラッシャーブレードを振りかざした『アルヴィルダ』もまた、宇宙空間でぴたりとその動きを止めてしまった。 発信源は、間違いなくあのシャトルだ。 「・・・・ハルカ・・・」 ソロモンは、WXと呼ばれていたアダム≠フ本当の名を口にする。 宇宙空間ですれ違う二機の合間に、不思議な静寂が過ぎった。 NW−遺伝子と名付けられた、特殊なDNA構造を持つアダム≠フ純粋さが、高ぶった士気を不思議と沈静化させる。 その時。 ノキアの通信回線が、セラフィムからの入電を知らせるデジタル音を上げたのだった。 主任ブリッジオペレーター、オリヴィアの冷静な声が、ソロモンの聴覚に的確な言葉を伝えてくる。 『ツァーデ小隊は任務完了しました。残り約180秒でスペーシアは爆破します』 ソロモンは、ブーストコントローラーを踏み込み、最大出力でバーニアを噴射させると、落着き払った声色で答えて言う。 「了解。セラフィムは、この宙域を全速離脱。先に行け、直ぐに追いつく」 『イエッサー』 オリヴィアからの通信が遮断される。 有視界の右舷上方で、ラボ・コロニー『スペーシア』が、隔壁を落としながら鈍く震えるのが確認できた。 ソロモンは、操縦桿を倒してノキアを旋回させ、その機首をセラフィムへと向ける。 片手でコンソールパネルと叩くと、眼前のモニターが、戦うことを忘れたかのような『アルヴィルダ』のコクピットを、拡大しながら鮮明に映し出した。 特殊ガラスで覆われた風防越しに、あの美しいセクサノイドの姿が見える。 形の良い眉を怪訝そうに寄せたソロモンの視界で、彼女は、全身に赤外線ケーブルを着けたまま、フリーズを起したように硬直し、美しいその顔を無表情で満たしていた。 「?」 ノキアの機体が緩やかに傾き、出力を落としながら、ゆっくりと『アルヴィルダ』に近づいていく。 その時、更に拡大されるモニター画面が、にわかには信じがたい現象を映し出したのだった。 人間の肌の質感と、寸分も違わない人口皮膚で覆われた012の白い頬に、星屑のように煌く何かが伝い落ちている。 まるで、サファイアを填め込んだような、透き通るブルーの瞳から、滴り落ちる透明な水滴。 秀麗な白い頬にはらはらと零れ落ちるそれは、人間で言うところの、涙だ。 「・・・なに・・・っ!?」 それを目にした瞬間、元来、冷静沈着で、何事にも動じないはずのソロモンが、『セクサノイドが涙を流す』という鮮烈な驚愕に、その紅の瞳を見開いたのである。 人工人体、つまり、機械であるはずのセクサノイドが・・・泣いている。 セラフィムに向かって牽引されるシャトルを見送るように、じっとその方位を見つめながら、まるで、人間そのものあるかのように涙を零している。 人間が作り出したアンドロイドの中でも、セクサノイドと区分される個体は、より緻密で複雑な情緒プログラムが組まれ、人間の感情を20%以上理解し、自らも人間と同じ感情を持つ超AI搭載型高知能人工人体の事だ。 自らの体つきや、組み込まれた情緒プログラムにより、自分が、人間で言うところの男性であるか、女性であるか、その自覚もきちんとできる。 タイプΦヴァルキリーと呼ばれるこのセクサノイドは、群を抜いて人間に近い情緒プログラムを有しており、加えて戦闘用であるがため、複雑な戦術と偶然必然の攻撃に即時に対応できるよう、より精密なシステムプログラムが組み込まれた個体だった。 だが、まさか『涙を流す』という行動まで、その情緒プログラムの中に組み込まれているとは、流石のソロモンも知り及んではいなかった。 その涙の訳が、体(てい)の良いトラップという考え方もできるが、そうであるならば、何故、“アダムの護衛”という立場にある012は、すぐさまシャトル奪還に走らないのか? 今、彼女が操縦ユニットとして搭乗する『アルヴィルダ』は、補助バーニアだけで宇宙を漂いながらも、セラフィムに向かおうとはしていない。 それどころか、コクピットの美しいセクサノイドは、『アルヴィルダ』のシールドを全て解除し、火器制御システムすら全機能を停止させてしまっている。 人間が搭乗すよりも遥かに優れた機動力を発揮する、人型戦闘兵器アーマード・バトラーの操縦ユニット、タイプΦヴァルキリーが、戦うこうとを放棄した、それがその瞬間だった。 一年前、ソロモンが指揮していた高速戦艦ケルヴィムを、この一機で撃沈させた前歴があるにも関わらず、彼女は任務を放棄した。 何故、彼女がそんな行動を取ったのか、その本当の理由を、今のソロモンは知る由もない。 ただ、一つ言えることがあるとすれば、彼女は、“アダム”の声に驚くほどの敏感な反応を示したのだ。 厳しい顔つきをしながらも、ノキアの操縦桿を僅かに倒して、ソロモンは、『アルヴィルダ』にダークブラックの機体を寄せる。 その後方で、惑星トライトニアが所有するラボ・コロニー・スペーシアが鈍い爆音を上げて、本来の軌道を外れていく。 もう時間が無い。 スペーシアが、この宇宙に沈みいくのはまもなくだ。 そうなれば、この宙域は、凄まじい大爆発で満たされるはずだ。 コロニーの爆発に巻き込まれたら、例え、強固な装甲を持つアーマード・バトラーであっても、木っ端微塵に吹き飛ぶだろう。 アダムは・・・いや、ハルカは、『012を殺さないで』とそう言った。 その言葉が、幾重にもソロモンの脳裏を過ぎっていく。 何故、このセクサノイドが涙を流したのか・・・一体どんなプログラムがそこに組まれているのか、それが気にならない訳ではない。 彼女を拘束して、セラフィムへ連行する。 ソロモンはそんなことを思い巡らせると、ヘルメットシールド越しにちらりとレーダーレンジ見やるのだった。 その中で、彼が指揮する戦闘母艦セラフィムが、まもなく爆発が及ぶだろうこの宙域を、出力最大で全速離脱していく。 それを確認したソロモンの長い指先が、手元に迫り出したコンソールパネルを素早く叩き、モニターに開いたウィンドウで照射位置を設定すると、そのまま照射スイッチをオンにしたのである。 途端、『アルヴィルダ』の正面上方に迫るノキアの機体下部から、四本の磁気レーザーが照射され、その赤い磁気レーザーのうち一線が、特殊ガラスで作られた『アルヴィルダ』のキャノピ(風防)を突き抜け、コクピット内で、無表情のまま硬直する012の白い額を一直線に捕捉したのだった。 その瞬間、012は、長い睫毛に縁取られたサファイア色の瞳を大きく見開いた。 磁気レーザーの影響をまともに食らい、そのAIが急激にシステムダウンを起していく姿が、モニター越しに見て取れる。 012は、惑星トライトニアが誇るアンドロイド技術の粋を集めて製造されたセクサノイドだ、牽引用磁気レーザー程度で、システム崩壊を起すとは考えにくい。 システムダウンは、あくまでも一時的なものだろう。 その時、遮断されていた通信回線が再び開き、通信ウィンドウに現われたリョ―タロウが、まるで猛犬が吠え立てる勢いで怒鳴ったのである。 『何やってんだよあんた!?そんな危ないモンをセラフィムに持って帰るつもりかよ?そいつはタイプΦヴァルキリーだぞ!ケルヴィムをたった一機で墜とした化け物なんだぞ!っーか、その前に、早くそこを離脱しろよ!そいつと心中するつもりかよ!?』 まったくもって上官に対する言葉とは思えない言いようだが、それでも、リョータロウは、吠え立てるほどにソロモンの身を案じているのである。 リョータロウは子供の頃から、いつもこんな不器用な口の効き方しか出来ない青年だった、その分、一本気で根は優しい。 ソロモンはそれを、人一倍よく知っている。 ヘルメットシールドの下で、軽く唇をもたげると、ソロモンは、ブーストコントローラーを踏み込んで、ノキアのメインバーニアを最大出力で噴射したのだった。 「ハルカに、『殺さないで』と頼まれたら、それ無視する訳にはいかないだろ。このヴァルキリーに懐いてるんだ」 通信ウィンドウの中で、リョータロウは、あきれ返ったように大きくため息をつく。 『ったく・・・コロニーだろうが戦艦だろうが惑星だろうが、容赦なく沈めるくせに、ガキと女にはとことん甘いんだ。“ハデスの番人”が聞いて呆れるぜ』 その言葉に、ソロモンは愉快そうに一笑した。 「勝手に誰かが付けた名前だ。俺は、そんな名前を名乗った覚えは無いよ。一度もな」 黒い流星のように輝くノキアの機体が、『アルヴィルダ』を下方に牽引しながら、まもなくスペーシアの爆発が及ぶだろうこの危険宙域を、閃光の如き速度で急速離脱していく。 その僅か5秒後。 正規の軌道を外れ、宇宙の闇に沈み始めたラボ・コロニー『スペーシア』が、ビックバンのような激しい閃光を上げると、凄まじい爆音と共に大爆発を起したのだった。 果てしなく広がる無限の闇に、真っ赤な光の渦が迸り、白煙の帯を引きながら弾け飛んだ無数の残骸が輝く塵のように飛散する。 その鋭利な切っ先が、赤い軌跡を描きながら静寂の宇宙空間に広がって行った。
* 惑星トライトニアが所有していたラボ・コロニー『スペーシア』が撃沈した宙域から、ガーディアンエンジェル所属の宇宙戦闘空母セラフィムが全速離脱していく。 暗黒の闇に伸び上がる深紅の閃光が、星のしじまを突き抜けていった。 巨大な船体が行く遥か後方の宇宙空間で、『スペーシア』が微塵となって吹き飛んでいく。 セラフィムと交戦した者達の末路は、常に宇宙の海の藻屑だ。 だからこそ、この船の艦長たるレムリアス・ソロモンは、ハデス(墓場)の番人≠ネどという、なんとも恐ろし気な通称で呼ばれている。 尤も、その通称を、本人が快く承諾している訳では決してないのだが。 セラフィムの大型ドックに格納されたシャトルの内部で、ソロモンと、戦闘機レイバンの若きパイロット、リョ―タロウ・マキは、実に一年ぶりに、アダム≠ニの再会を果たしたのだった。 だが。 アダム=AWXと呼ばれていた幼い少年は、激昂して艶やかな黒髪を振り乱すと、大きな瞳に大粒の涙を零しながら、無機質な部屋に足を踏み入れたリョ―タロウに向かい、果敢にも殴りかかってきたのである。 「012を返せ―――っ!!悪者!!テロリスト!!012を、012を早く返せぇぇぇ―――――っ!!」 不意打ちを食らったリョ―タロウが、何とも困った表情をしながら、両拳を振り上げる少年の腕を掴んだ。 小脇に抱えていたヘルメットが、軽い音を上げて白い床の上へと転がり落ちる。 パイロットスーツのままのリョ―タロウは、凛とした眉を眉間に寄せて、茶色に染めた癖毛の下から、まじまじと少年の顔を見つめ据えてしまった。 「おい、何やってんだよおまえ?まさか、俺が誰だかわからないのか?」 「わかるもんか!僕の友達に悪者なんかいないよ!!」 華奢な体を捩り、リョ―タロウの手に必死で抵抗しながら、少年は、ぽろぽろと涙をこぼしたまま、その澄んだ黒い双眸でジロリと彼を睨みつける。 きょとんと目を丸くして、リョ―タロウは、背後から姿を現した、ソロモンのすらりとした長身を仰ぎ見る。 「どういう事だよこれ?」 訳がわからないと言った顔つきをするリョ―タロウの肩を、軽く片手で叩き、ソロモンは、相も変わらず冷静な表情のまま、静かにその長身を折るのだった。 輝くような銀色の長髪から覗く紅の瞳が、真っ直ぐに、愛らしい少年の顔を凝視する。 少年は、形の良い眉を吊り上げて、僅かばかり怯えたように一歩後退した。 「セ、セクサノイド・・・・!?」 「俺はセクサノイドじゃないぞ、人間だ。どうやら、俺のことも覚えていないようだな?ハルカ?」 端整にして精悍だが、どこか中性的な優美さを持つソロモンの顔が、なにやら愉快そうに綻んだ。 そんな彼の微笑を睨むように顧みて、少年は、涙を零したままぎゅっと唇を噛締める。 「君は誰!?誰なの!?何でそんな名前で僕を呼ぶの!?012は、僕をWXって呼んでたよ!!」 「WXか・・・それは名前じゃない、おまえの染色体方式だ。おまえの本当の名前は、ハルカ。ハルカ・アダミアンだ・・・・わかるか?」 ソロモンの言葉の語尾を続けるように、リョ―タロウが、ぼりぼりと頭を掻きながら、呆れかえった様子で口を開く。 「WXなんて、そんな機械のような名前あるかよ。大丈夫かおまえ?トライトニアの連中に、一体何されたんだ?」 「何言ってるの!?早く012を返してよ!!012をどうするつもりなの!?僕をどうするつもりなの!?」 ひどく興奮した様子でそう叫ぶと、WX・・・いや、ハルカ・アダミアンという本名を持つ幼い少年は、大粒の涙を飛び散らせながら、首を大きく横に振るのだった。 華奢な肩を嗚咽で激しく震わすハルカを、黒曜石のような瞳で見やると、リョータロウは、ますます困った顔つきをして、思わずソロモンを顧みる。 ソロモンは、パイロットスーツを纏う広い肩を僅かに竦めると、ゆっくりとその場で立ち上がり、やけに冷静な声色でリョ―タロウに言うのだった。 「リョータロウ、ハルカをウルリカに診せてくれ。おまえの言う通り、何かされてるのかもしれない。ウルリカで判らなければ・・・後は、ノルドハイム博士の領域だ」 グローブを着けたままの大きな掌が、ハルカの髪にそっと置かれる。 ハルカは、ポロポロと涙を零したまま、ソロモンの優美な顔を睨むように仰ぎ見た。 端整な唇の端を穏やかにもたげ、ソロモンは、優しく微笑してみせる。 「背が伸びたなハルカ?安心しろ、おまえの012は無事だ。後で会せてやる、それまでは大人しくしてるんだぞ」 ぎゅっと唇を噛締めながら、ハルカは、何故か素直に頷いた。 ソロモンはもう一度柔和に微笑すると、くしゃくしゃとその黒髪を撫でてから、静かにその広い背中を向けたのである。 ドアを出て行くソロモンを、怪訝そうに眉根を寄せたリョータロウが呼び止めた。 「おい、どこに行くんだよ?」 「ノルドハイム博士の所だ・・・ブリッジには、直ぐに戻ると伝えてくれ」 足を止めることなく、後手にひらひらと片手を振ったソロモンを、実に訝しそうな顔つきで見やりながら、リョータロウは、腰に両手を置いた姿勢で小さく吐息する。 そして、ゆっくりと、その視線をハルカに向けると、精悍な唇で軽く微笑しながら言うのだった。 「お帰りハルカ。まともに戻ったら、また散歩≠ノ連れてってやるからな」 「さ、散歩・・・!?」 「そ、散歩。おまえ、好きだっただろ?」 「?????」 涙に濡れた黒い瞳をきょとんと丸くして、ハルカは、訳がわからないというように、まじまじとリョータロウの顔を仰ぎ見る。 リョータロウは、なにやらにんまりと唇を歪めると、以前のように、片手の拳でぐりぐりとハルカの頭を小突いたのだった。 大いなる静寂を抱いた宇宙空間を行く船に、つかの間の安息が訪れていた。
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