* トーカサス星系ローレイシア。 原始の植物と巨大な生物が共存する、その緑の惑星は、まだ発展途上であり、大型の宇宙船が碇泊できるスペースエアポートは整備されてはいない。 塩化マグネシウムの海に碇泊する、セラフィムの巨大な船体が、小さな二つの太陽に照らされて暁色に染まっている。 あと残り一時間で、全ての積荷の搬入が終わるだろう。 ローレイシアの衛星イルヴァの青白く大きな陰が、セラフィムの左舷から昇り始めた早朝、人気(ひとけ)もなく、しんと静まり返ったラウンジの一角に、レムリアス・ソロモンの姿があった。 大きなソファに深く座り、窓辺から昇るローレイシアの月、イルヴァの秀麗な姿を眺めつつ、ソロモンは、柔らかな肘掛に頬杖を付くと、その傍らに立つ美しいセクサノイドをちらりとだけ顧みた。 ふくよかな胸元にたゆたう青い髪。 均整の取れた美麗な造形を持つしなやかな肢体。 窓辺のイルヴァと同じ、繊細で秀麗な美しさを持つ顔立ちの彼女は、トライトニアの戦闘用セクサノイド、タイプΦヴァルキリーと呼ばれる012に相違ない。 サファイヤのように輝く人工眼球が、警戒を解かない様子で、ソロモンの優美で端整な横顔を見つめている。 その手首と足首には、磁気レーザーの錠がかけられており、歩いたり物に触れたりすることは出来るが、一切の戦闘行動は取ることができない。 012は、訝しそうに綺麗な眉を寄せながら、静かにその艶やかな唇を開くのだった。 『私はあなたの敵です。あなたを殺そうとしました。それなのに、何故、護衛もつけずに、こうして私といるのです?』 「君はハルカの意向を尊重する・・・だから、護衛など必要ない。それに、その拘束帯は強力だ、いくら君でも、そう簡単には破壊できない」 イルヴァを見つめていた紅の瞳を、ゆっくりと012の美しい顔に向けて、ソロモンは、唇だけで小さく微笑した。 そして、組んでいた長い足を組替えながら、落着き払った表情と口調で言葉を続けたのである。 「ハルカは、いや、君がWXと呼ぶあの子は、君を、とても大切な存在として認識している。ハルカは俺にとっても大切な子供だ。そんなハルカが大切している君を、破壊しようとは思わない。君の気持ちも、それと同じだろう?012?」 『・・・・・・』 どこか切な気な表情をして、ふと、押し黙った012のサファイヤの瞳と、輝くような銀色の髪から覗くソロモンの紅の瞳が、まっすぐにぶつかりあった。 やけに穏やかで、それでいて、妙に緊張感のある不思議な沈黙が、静まり返ったラウンジに流れる。 ソロモンは、もう一度小さく微笑して、精悍で優美な頬にかかる長い銀色の髪を、さり気無くかき上げた。 「君は機械だ、だが、君には人の心がある・・・・・・君は、ハルカを愛しているだろう?まるで母親のように・・・」 『私には・・・・わかりません。でも・・・・』 「でも?」 『WXと・・・・離れたくはありません。WXが哀しい顔をすると、とても辛くなります』 「それが愛情というものなんだ・・・・・・なぁ、012?これからあの子のことは、ハルカ≠ニ呼んでやってくれないか?」 『何故?』 「ハルカ・アダミアン。それがあの子の本当の名前だからさ。あの子は特殊な子供だ、だが、れっきとした人間だ。WX≠ニいう名は、トライトニアがあの子を人間として扱っていなかった証拠だ。だから、君には、人間としてあの子の名前を呼んでやって欲しい」 その言葉に、012は、不思議そうに小首を傾げた。 長い睫毛に彩られたサファイヤの瞳が、ゆっくりと瞬きしながら、ソロモンの顔を凝視する。 『人間としての・・・名前・・・?』 「そうだ・・・・」 『・・・・・』 どうも納得できない様子で012は、ますます不思議そうな顔つきをする。 ソロモンは、そんな012のサファイヤの瞳から、ふと視線をそらし、微かな笑みを唇に浮かべたまま、窓辺に昇る美しいイルヴァを見つめすえた。 「実のところ、俺は、君のことを012≠ニは呼びたくないんだ」 『何故です?それは私の識別コード、人間の名前と同じ役割と果たすものです』 「確かにそうかも知れない・・・だが、それは人間の名ではない」 『私はセクサノイドです、人間ではありません』 「俺には、君が機械だとは思えないんだよ。 君は、ケルヴィムを沈めた、憎むべき敵だ。だが君は、この一年、ハルカを大切に育てくれた。実験体のモルモットとしてではなく、人間として。 トライトニアの人間が、ハルカを人間として見ていなかったのに、君だけは、ハルカを愛してくれた。 機械は人間を愛することは出来ない、だが、君にはそれができる・・・君の身体は機械だ、だが、君の心は、人間そのものだ。だから俺は、君を人間として扱いたい」 そう言ったソロモンの言葉には、一切嘘はなかった。 ハルカは、ソロモンにとってもまた、愛すべき存在なのだ。 ガーディアンエンジェルの本拠地、人工惑星メルバが、敵対する惑星国家ジルーレの攻撃を受けて以来、ハルカはずっと、ソロモンの統率する船の中で育ってきた。 赤ん坊であったハルカを、搭乗する船員達が、まるで自分の子供であるかのように、入れ替わり立ち代わり面倒を看て大切に育ててきた。 拉致されるまでの10年間、ずっと。 そんなハルカを、012もまた、大切に扱ってくれたのだ。 その点に関しては、敬意と感謝を示したい。 だが、そんなソロモンの言葉の真意を、まったくもって理解できない012は、綺麗な眉を眉間に寄せて、ますます不思議そうに首を傾げるのである。 『それは、どういう意味ですか?』 そんな彼女の様子を横目で見ながら、その質問には答えずに、実に穏やかな口調でソロモンは言う。 「君に名前をつけていいか?012≠ナはなく、人間としての名前を?」 『あなたが私をどう呼ぶか、それはあなたの自由です。私はただ、それをメモリーして、あなたの声に反応するだけです』 012のその言葉を、黙って聞いたソロモンの瞳に、ローレイシアの衛星イルヴァが映る。 研ぎ澄まされたサファイヤの如き、深く青い輝きを放ち始める、この惑星の月であるイルヴァは、とても穏やかで清楚な美しさをもっていた。 紺碧の海の果に、大きく浮かんだローレイシアの月。 ひどく穏やかな表情をしながら、ソロモンは、静かに唇を開くのである。 「イルヴァ・・・・」 『?』 「これから、君の名前は、イルヴァだ・・・」 012は、きょとんとした顔つきをして、ふと、ソロモンの視線の先にある、ローレイシアの衛星に、その綺麗な青い瞳を向けた。 『・・・・私には、あなたが今どんな思考でそう言っているのか、理解ができません。でも、あなたがそう呼ぶのなら、それは私の名前であると認識しておきます』 「ああ・・・・」 艶やかな青い前髪の下で、012の・・・イルヴァと名付けられたセクサノイドが持つ、サファイヤの瞳が、ソロモンの端整な横顔を見つめすえる。 彼が醸し出す、その柔和な佇まいは、どこかWXの・・・ハルカの持つ雰囲気に似ていた。 じっとこちらを見つめるイルヴァの視線に気が付いて、ソロモンは、ゆっくりと、その紅の瞳を彼女に向けた。 「一つ教えて欲しいことがある・・・君のメモリーの中には、一つだけ開くことの出来ないファイルがある。それには、何のデータが入っているんだ?」 『あなたに敵対する意志がないことは認めます。しかし、まだ、あなたが私の味方であるとは認識していません、したがって、それを教えることはできません、ハデスの番人<激リアス・ソロモン』 実に率直なイルヴァの答えに、ソロモンは、喉の奥で愉快そうに笑った。 「俺のことは好きに呼んでいい・・・だが、ハデスの番人≠ニ呼ぶのだけはやめてくれるか?イルヴァ?」 イルヴァは、怪訝そうな顔つきをすると、艶やかでふくよかな唇で、何故か、小さく微笑したのである。 『・・・・・わかりました』 ハルカの前でしか見せなかった綺麗な微笑みが、今、ソロモンの紅い瞳に映り込む。 人間の女性と寸分違わない、ごく自然なその表情には、本当に、感心するしか手立てがない。 彼女は、とても美しい。 それは、清楚で穏やかな、月の光のような美しさだ。 ワーズロック博士は、このセクサノイドを、一体誰に模して作り上げたのか・・・ そんなことを思ったソロモンの視界で、イルヴァが、ピクリと、そのなだらかな肩を揺らしたのだった。 宝石のような青い髪の下で、サファイヤの瞳が、何かに気付いたように大きく見開かれる。 「どうした、イルヴァ?」 肘掛に頬杖をついたまま、怪訝そうに眉根を寄せたソロモンが、そう声をかけた瞬間だった。 イルヴァの綺麗な唇が静かに開き、ゆっくりと返答の言葉を発したのである。 『イヴは生きている、太古のエデンに住んだ有能な数学者の星にいる=x 「!!?」 いつもは冷静沈着なソロモンの顔が、不意に、驚愕の表情へと変わった。 その時である。 突然、セラフィムの艦内に、けたたましいスクランブル警報が鳴り響いたのだった。 襟元につけられた小型通信機から、主任オペレーター、オリヴィア・グレイマンの声が、珍しくうろたえながらソロモンを呼んだ。 『艦長!トーカサス星系上で敵艦隊のワープアウト反応を感知しました!かなりの数です!!至急、ブリッジへお戻りください!!』 「わかった、直ぐにいく」 銀色の髪の合間で、柔和であったソロモンの瞳が、にわかに、猛禽類のような鋭さを湛えた。 機敏な物腰でソファを立つと、広い背中をイルヴァに向けながら、ソロモンは、鋭利だが冷静な声で言うのである。 「ハルカを頼む、イルヴァ」 シルバーグレイの軍服の裾が、ふわりと虚空に棚引き、その俊足が、ブリッジに向かって駆け出していく。 イルヴァは、そんな彼の後姿を見送りながら、僅かに小首を傾げたのだった。 とても不思議な感覚がする。 それは、彼女の持つ高機能AIが、今まで一度も学習したことのない、実に奇妙なものだった。 長い睫毛に縁取られたサファイヤの瞳が、ふと、窓辺に輝くローレイシアの月を顧みる。 澄んだ大気の外側で輝く、青く美しい衛星の姿。 『・・・・イルヴァ』 何故、ソロモンが、その名前を彼女に与えたのか、今の彼女には知る由もない。 ただ、何ともいえない高揚感が、そこにあるだけ。 ローレイシアの月と同じ名を与えられた、美しいセクサノイドは、しなやかなその手を窓に押し当てながら、青い髪がたゆたう綺麗な頬を、窓越しに浮かんだイルヴァ≠ノそっとすり寄せたのだった。
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