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作品名:ボクらの世界 作者:ポチβ

第2回   エガオ
 コンコンッという軽い音の後、部屋の扉が開かれた。開かれた扉から米沢さんが顔をのぞかせる。
「ヒコ、そろそろお昼食べる?」
「うん、腹減ったぁ。」
「そう、わかった。すぐ作るからね。15分くらいしたら降りてきて。」
米沢さんは、タダヒコが3歳になったとき、身の回りの世話をするために雇われ、それ以来ずっと住み込みで働いている。116階が米沢さんの住まい兼食事スペースとなっているのだ。米沢さんには、優しそうなおばちゃんというのがぴったりな形容だとタダヒコは思う。正確な年齢は、タダヒコも知らない。聞いてみたこともあるが、いつも笑ってごまかされる。女性にそんな事を聞くのは失礼なことなのよと教えられもした。
 適当に時間をおいて下の階に下りると、ちょうど米沢さんが茹であがったスパゲッティを皿に盛り付けているところだった。白く立ち昇る湯気が、視覚からもタダヒコの食欲を刺激する。大小の皿に盛られたスパゲッティに真っ赤なミートソースがかけられていく。グーと思わずなってしまったタダヒコの腹の音に、米沢さんはくすっと笑った。
「そんなに食べたらまた太るよ。」
大盛りの皿を抱え込むようにしてスパゲティを食べている米沢さんを見て、タダヒコは言わずにはいれなかった。
「大丈夫よこのくらい。あんたこそもっと食べないと、いつまでもヒョロヒョロのまんまだよ。」
と言って米沢さんは笑った。米沢さんはよく笑う。発明に行き詰まりタダヒコが悩んでいる時でも、そんなことお構いなしで笑っている。この世の中、何がそんなに楽しいのだろうか。タダヒコには米沢さんが何を楽しんでいるのかは分からなかったが、そんな米沢さんの笑顔を見ているのは好きだった。
 タダヒコにとって、米沢さんは母親同然の存在だ。そしてまた、部屋に閉じこもりっぱなしで人と接点を持たないタダヒコにとって、唯一の友達でもある。

「ヒコ、最近なんか作ってるの?」
別に嘘をつく理由もないから、タダヒコは何も作ってないと答えた。ただ、何も作っていないということを意識すると少し後ろめたい気持ちになった。
「それじゃさ、食べても太らなくなる薬とか、あっとゆう間に痩せられる機械とか発明してよ。」
タダヒコの気持ちを知ってか知らずか、米沢さんはよくこんなことをいう。
「ヨネのためになんか作ってあげないよ。そんなに痩せたけりゃ食べなきゃいんだよ。」
「あんたもケチよね。天才君のくせに。」
そういって口をとがらせる米沢さんを見ていると、タダヒコとどっちが年上かわからない。
「じゃあ、誰のためなら発明するの?」
「・・誰のためって言われても。」
こんなとき、タダヒコは自分が分からなくなる。発明するために作られたタダヒコにとって、発明は自らの存在を保証するために必要なことであるとともに、それで十分だった。
「フッ、なんて顔してんの。ヒコはまじめすぎるのよ。そんなに考え込むことじゃないでしょ。」
そういって、米沢さんはまた笑う。
「自分のために作ればいいじゃない。自分がほしいものを、自分のために作りなさい。周りのことなんて関係ない。あんたの人生なんだから。」
米沢さんはそう言いながらタダヒコの頭をなでた。タダヒコは照れ臭かったけど、救われる気がした。発明とかを抜きにして、自分の存在を認めてくれる人がいることがうれしかった。

「さっ、食べ終わったなら食器かして。さっさと片付けちゃうから。それと、あとで買い物行くけど、夕飯何がいい?」
「いま食べたばっかりなのにもう夕飯の話?だから太るんだよ。」
「関係ないでしょ。いいから、何がいいの?」
「じゃあ、エビフライかな。」
結局は子供ねっといいながら米沢さんは笑った。ご飯に旗でもたてといてあげようか、なんてくだらないことを自分でいって更に笑った。
 自分の部屋に戻ったタダヒコは、またイスに座って外を眺めながる。自分のために発明する。米沢さんはそう言ったけど、自分は何がほしいのだろう。何も思いつかない。逆に何か失いたくないものはあるだろうか、とも考える。そして、気付いたのは米沢さんにはずっとそばにいて欲しいと思う自分だった。自分のためと言われるとよく分からない。だったら、自分が大切に思う人のために何かしようか、それが自分のためということではないかという考えにタダヒロは至った。しかたない、‘あっとゆう間に痩せる機械’でも作ってみるか、そう考え始めた。
 
 その日、買い物に出かけた米沢さんは帰ってこなかった。そして、次の日の朝、タダヒコのもとにタダヒコの作りの親である本岡教授から連絡が入った。昨日、買い物中だった米沢さんは、見ず知らずの男に腹部を包丁で刺され病院に搬送された。病院に着いた時にはすでに意識はなく、懸命の治療もむなしく、つい先ほど息を引き取った。淡々と伝えられるその内容に、何一つ現実味を見いだせず、タダヒコはあいまいに相槌をうっていた。何が何だか分からなかった。
 突然突きつけられた現実に、タダヒコの頭の処理速度は全く追いつかなかった。ふと気付くと、タダヒコは泣いているのだった。ただただ、涙があふれ出してくる。とめどない涙はタダヒコのほほを濡らし、雫となって落ちた。その涙は、つい先ほど出来上がった‘あっという間に痩せる機械’の設計図をにじませた。
 水分という水分を涙として流してしまったタダヒコは、脱水症状になった気がした。米沢さんが死んだ。もう、あのご飯は食べられない。もう、頭をなでてもらうこともできない。もう、あの笑顔は見られない。もう・・・。
 いつの間にか日は傾き夕日が窓から差し込んでいた。もう一度、会いたい。タダヒコは、気が付くとそればかり考えていた。もう一度、もう一度。自分の中で生まれた初めての願望。自分のために発明すればいい、米沢さんはそう言った。自分のため。タダヒコは机の上にまっさらな紙を広げ作業に取り掛かった。自分のための発明を作るために。


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