最近雨はめったに降らなくなった。 忌ま忌ましいくらいに今日も空は一点の曇りもなく晴れ渡っている。外の世界に用のない自分にとって輝く太陽は怖れと嫌悪感を抱くだけのものとなっていた。日光が部屋に射し込むと自分というみじめな存在が浮き彫りなるようで、胸が喪失感に満たされるような何ともたまらない気持になる。それでも日中カーテンを閉め切ったりしないのは理由があった。
長引く不況のせいで、職場にいてもいなくても変わらないような人材は早々解雇された。自分もそのうちの一人で、一日中部屋にこもり、アパートの外に一歩も出ない日が何日か続いた。今日が何日で何曜日か分からないし知る必要もない。今するべきことは求人情報を手に取り、そこから新しい仕事を探すことだが、極度にものぐさな性格ゆえいつまでも行動に移ることはなかった。現代は自室にこもっても手軽に娯楽が手に入る。無限の刺激を求め、無限の時間をそこで潰した。
しかしそんな気楽な生活が続けるほど世の中甘くない。元から高くない生活水準はさらに降下し、今は食べる・寝るという生命維持のための基本運動しかしなくなった。それでも危機感が湧くわけでもなく、食料調達以外の目的で外に出ることはなかった。今この空間で呼吸をしているのは、自分ともう一つ。小さなベランダにある名も知らない植物。
サッカーボールより一回り小さい植木鉢はこの部屋に越してきたときからあった。その中の植物は自分こそが部屋の主だと言わんばかりに緑の葉を盛大に着飾って居座っていた。それが妙に癪に障った上、一点の迷いなく成長するその姿勢は、自分のような人間にとって一番目にしたくないものだった。自分の物ではないし腹いせもあり、すぐに捨ててやろうと思ったが枯れてない植物をごみとして認識することはできなかった。それに何よりも鉢や土の捨て方や曜日を調べるのが面倒だった。
カーテンを閉め切らない理由はこの植物が原因である。 ここに住み始めてから一度も朝の水やりを欠かしたことはない。ものぐさな性質なのによく続けていると思う。必要最低限のこと以外何もしてこなかった自分を記憶してくれる唯一の存在と考えると、とても愛おしく感じられた。形も彩りもよく育った葉に触れると心が静まるような感覚を覚えるのが不思議だった。
よく人は自由気ままな猫になってみたいと言う。そんな感覚で、この植物になりたいと思ったことが何回かある。水と光以外何も求めない、動く必要もない。じっとしているだけで身体を精いっぱい伸ばし、華やかに成長するそれがひどく自由に、そして超越的な何かに見えた。 自分とは正反対で、外の世界を求めるように光の方角へ成長するそれが羨ましく思った。そしてその嫉妬心から、物にあふれ空気の汚れたこの世界に何の希望を抱くのだろうと勝手に思った。
社会とつながっていた日があったことを忘れるぐらい月日のたったある日、最低限の生活ができなくなるくらい貯蓄が底をつくことに気づいた。生命の危機に晒されても怠惰な性質を払えるわけでもなく、ただひたすら惰眠を貪った。そしてこのまま共に朽ちてほしいという自己愛から植物の水やりさへもしなくなった。 明日という日が訪れるという当たり前の事実に不安を抱きながらいつかは永遠になるであろう眠りの世界へ身を投げた。
最初に違和感を覚えたのは体に触れる空気の流れだった。その次は解放感を得たような視野の広さ。窓も戸も閉め切ったこの狭い空間の中で不可解なことが続けて起こる。周囲のものを一度に取り込む視野に軽い酔いを覚えながら、自分の身に何が起こっているのか確認しようとした。
微風で飛んでいきそうな軽い上半身。二本しかないはずの腕は無数の細い枝になり、二本あるはずの足は一本の力強い茎になって土の中で根をはっていた。あのベランダの植物になってしまった事実よりも、痛むような喉の渇きに水を欲求する気持ちのほうがずっと強かった。
軋むような音を立てながら開いたベランダの戸の先に、巨人のような自分がいた。すぐにあの植物だと分かり、驚きの声を心の中で上げる。次の瞬間、冷たく、しかし今までにない爽快感を全身で感じた。いつも使っていた如雨露で水を与えられていた。ちょうどいい加減で小さな雨は止んだ。
水やりをすませ、部屋の中に引っ込むといつも着ていたスーツに着替え始めた。ネクタイの結び方が分からないようで、途中まで頑張っていたがとうとう諦めた。助言しようにもこちらに伝達手段はないわけで、その様子を見守るだけだった。部屋を一通り見回しベランダを一瞥すると、まるで恐れるものは何もないと言いたげな背中を向けて、ドアノブに手をかけた。ドアが閉まった後、部屋には静寂の息吹きだけが残った。
お互い適材適所の位置についたと思ったが、自分は怠惰な性格だから植物としても、花も咲かさずつぼみのまま枯れていくのだろうと思った。
end.
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