この日は咲と飲みに行く約束をしていたので、定時になってすぐに会社を出た。お店の前ではすでに咲が待っていて、いっしょに中に入った。明るいテーブル席に座り、ビールを飲みながら会話を楽しんでいた。 咲があさりの酒蒸しを食べていると、手塚さんとのデートはどうなった、と聞いていた。 「あー、あれね……」 私は一通りのことを話した。相談者が手塚ではなかったこと、相談者はリスナーアンケートの結果とは違うデートコースを選んで成功したこと、そして、私が何かに気付いてないこと…… 「私って何を見落としてるんだろう……少なくとも、先週まではちゃんと手塚さんとデート楽しんでるつもりだったのになぁ」 私は頬づえをしながら軟骨フライを口に運んだ。店内にはいきものがかりの「気まぐれロマンティック」が流れている。本当に恋愛って気まぐれだと思う。 「相談者からのメール見せてもらえますか?何かわかるかも」 私はバッグの中からクリアファイルを取り出して、咲に手渡した。中には「マルーン」さんからのメールがプリントアウトされたものが入っている。私が見ても先入観が入っているから、咲に見てもらおうと思って持ってきたものだ。咲は大根サラダを食べながら読んでいく。 「うーん、確かにこれなら手塚さんだと勘違いしても仕方ないですよね……」 「そりゃそーだよ。3週目まで私のときと全くいっしょだもの」 「見た映画までいっしょですもんね」 「そう、そこまでいっしょだったら……」 そこまで言って私は引っかかった。 「あれ、なんで私が見た映画のこと知ってるの?」 「ん?……あ、しまっ……」 「しまった、じゃないの、ちょっとどういうことなの!?」 確かに咲には2週目に映画のデートに行ったとは言ったことがある。だが見た映画のタイトルまでは言ってない。私と手塚が見たのは「カフーを待ちわびて」という映画だ。「マルーン」からのメールにも、その映画を見に行ったと書いてあった。 「ねえ、私その映画のタイトルまで言ったことないよね?なんでそのタイトル知ってるの!?」 「あ、いや、その……」 咲は何か知っている。そういえば、咲が関わったことといえば…… 「そういえば、最初に手塚さんから食事に誘われたとき!あの時ほかのメンバーがね、咲ちゃんとの打ち合わせが入って行けなくなったって言ってたんだけど」 「あー……」 咲は口を少し開いたまま、私と目を合わせようとしない。私は笑みを浮かべ、焼き鳥の串をくるくる回しながら咲に迫った。 「さぁーって、知ってること全部話してもらうわよぉー」
咲はカシスオレンジに一口つけると、ゆっくりと話し始めた。 「『4 weeks love story』の1週目、放送聞いてて私思ったんです。この方法で瑞希さんと手塚さんをうまく繋げようって」 「はぁ!?じゃあ何、あの食事に誘うのって、咲ちゃんが全部考えてたってこと?」 「んー、まぁ、そうなります……かな」 確かに、手塚のことを異性として気になっている、ということは咲に話したことはある。勝手にキューピット役を買って出たってことか。 「じゃあ、急な打ち合わせってのも?」 「ごめんなさい、私が一方的に入れました。もう一人のほうは手塚さんがうまく回してくれたみたいですけど」 やっぱり根回しがあったのか。さすがに咲まで関わっていたとは思っていなかったが。 「そのときの手塚さんの反応ってどうだったの?バレたらどうしようとか」 「それが……いつかはバレるつもりでやるって言ってましたよ」 「バレるつもり?」 どういうことだろう。手塚の意図はわからないけど、そもそもこんなあからさまなフリ、あっさり見抜かれても確かにおかしくない。 私は口直しにきゅうりの漬け物を食べると、次の質問に移った。 「じゃあ次。どうして私と手塚さんで見た映画のタイトル知ってたの?」 鳥つくねを食べていた咲は、あれも私でして……とバツを悪そうにした。 「2週目の放送で、次は映画ってなりましたよね。私の番組でこの前moumoonが来て、そのときにその映画……『カフーを待ちわびて』ですよね、それの招待券もらったんですよ、ほら主題歌を歌ってるから、『EVERGREEN』って曲。そういうのがあると誘いやすいかなーと思って」 「で、そのことを手塚さんに話して?」 「そうです。それで次の日の木曜日に、手塚さんに券を渡して……そうそう、あの後に瑞希さんに拉致されたさんですよ」 「あのときか……」 咲に初めて今回の「4 weeks love story」の相談者と手塚との行動について相談したときだ。むしろ咲が全部仕組んでいたとは。 私はジントニックを軽く飲んでから、次の質問に移った。 「で、3週目。水族館に行かせようとしたのもそう?」 カシスオレンジを飲んでいた咲はグラスを傾けたまま、こちらに見つめた。 「あれは違いますよ。とゆーかぁー、あれは完全に瑞希さんが悪いですよ!」 「なんで?私がプラネタリウム行きたいって言ったのに、誘われたのは水族館だよ?」 「だって先週プラネタリウム休みでしたもん」 「え……」 プラネタリウムは休み……だったの? 「あのとき、また瑞希さんに誘拐されましたよね。あの後調べてみたんですけど、その週はメンテナンスだったかで休みだったんですよ。だから誘おうにも誘えなかったんですよ」 「だって『マルーン』さんは……」 咲は「マルーン」のメールの紙を見直していた。 「『マルーン』さんの住所はけっこう遠いですね……たしかこの町には別のプラネタリウムがあるので、『マルーン』さんはそっちに行ったってことになりますね、きっと」 うちのラジオ局は可聴範囲がかなり広い。咲は軟骨フライを食べながら聞いてきた。 「プラネタリウムには行けない理由、手塚さんからちゃんと聞いたんですか?」 「いや……」 あのときは私が興奮してしまって手塚の話はほとんど聞いてなかった。なにか言い訳したそうな感じもあったけれど、全て私が遮ったんだ。そういえば水曜日の放送中、私がプラネタリウムに行きたいと行った時、少し首を傾げていたようにも見えた。その時にはもう、プラネタリウムが休みだということを知っていたのだろうか。 「結局、私が悪かったってことか……手塚さんの話を全部聞かずに自分の思い込みで決めちゃって……」 咲がいつの間にか軟骨フライを全部食べきっていた。 「いえ、私も少し反省してます。自分で勝手にいろいろ進めちゃって……なんとか軌道修正しようと、水族館デートも勧めてみたんですけど……逆効果でしたか」 咲は「1リットルの涙」がどうのと言っていたことを思い出した。咲なりになんとか仲直りしてもらおうと思った行動だったのだろうか。 「……私は何に気付いてないんだろう」 「あー最初からずっと言ってるやつですか」 「確かにプラネタリウムが休みなのを知らなかったのは、私の思い込みというか、話を聞こうとしなかったからなんだけど……でもそれとは違う気がするなぁ。なんかこう、もっと前から気付いていなかったの、そういう意味合いで言われたような……」 「うーん……」 私も咲も黙り込んでしまった。確かに咲がいろいろ策を巡らしていたことはわかった。でも結局、私が何に気付いていないのかは分からなかった。沈黙が続くと咲が口を開いた。 「食べ物もなくなってきましたし、何か頼みましょうか?」 「卵焼き食べたい!あとは咲ちゃんに任せる」 咲が店員に声をかける。 「卵焼きと、カレイの煮付け、あとカキフライと……山芋サラダ!」 「けっこう食べるねぇ……」 「私、好き嫌いとかないですから」 「いや、そうじゃなくて、こうやって私がいろいろ悩んでいるのにだよ……」 そういうところを気にしないところが咲の好きなところでもあるのだけれど。 「いやいや、食べながらのほうが話が進むかなーと思ってですよ」 「確かに、間違いないけどさ……」
私と咲はグラスの飲み物をちびちび飲みながら、食べ物が運ばれるのを待っていた。 「手塚さんからは、どういう風に『気付いていない』って言われたんですか?」 「どうって……確か……」 手塚イコール「マルーン」だと思っていた私に向かって、自分は「マルーン」ではない、それに気付いていないのが、目の前の相手と向かい合っていない証拠だと言われた。 「ということはですよ、手塚さんは密かに自分は『マルーン』さんではない、という何か隠れたメッセージを送っていたんじゃないですか?」 「メッセージ、ねぇ……」 「瑞希さん、ちゃーんとデート楽しんでたんですよね。だったら思い出してみてくださいよ」 「言われなくても、何回も思い出したけど、それっぽいこと言われたことないんだよね」 咲は突然身を乗り出してきた。 「いやいや瑞希さん、そういうのは案外ストレートには言わないんですよ、男ってものは」 「どしたの?」 「言葉だけじゃなくて、しぐさとか雰囲気とか、そういうので何かなかったんですか。全部思い出してみてくださいよ」 私はジントニックを一口飲んでから、これまでのことを思い出していた。 「そりゃ細かいところまでは覚えてないけど、だいたいのことは覚えてるよ。どんな風に誘われて、どこへ行って何を食べて、どんなことを話して、なんだったらそこでどんな曲が流れてたのかも……」 今月の「4 weeks love story」が始まってからの、手塚とのやりとりと思い出していく中で、私は1つのシーンで思考を止めた。そのシーンそのものは特別なメッセージを感じさせない、ありふれた光景だった。だがそれは確かに…… 「ねえ、『マルーン』さんからのメール見せて!」 「え、あ、ちょっと」 咲から「マルーン」のメールが書かれた紙を取り上げ、もう一度最初から読み直して行く。そして確信を持った。あれこそが、手塚から私に向けたメッセージだったのだ。 それだ。それが私の気付いていないことだった。それに気付いていれば、少なくとも手塚イコール「マルーン」だと決めつけることはできないはずだ。それなのに私はそのメッセージに気付かず、手塚が「マルーン」だと思い込んでいた。それが手塚を傷つけていたんだ。私は手塚と向き合っていないんだと。 謝らないと。何も気付かずに、本当に相手と向き合ってないのは自分だったって。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。私は財布から適当に千円札を何枚か取り出して、テーブルの上に放り出した。 「ごめん用事ができた!足りない分は払っといて。明日また払うから」 「え、ちょ、ちょっと」 ちょうど店員がさっき注文した料理を運んできたところだった。 「じゃあごめん、また明日!」 「ちょっと、こんなに一人じゃ食べられないんですけどー、瑞希さーん」
お店を出て時計を見た。この時間ならまだ会社にいるか、ちょうど帰っているくらいだ。私は携帯電話を出して、手塚に電話をかけた。
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