多一は汽車や電車が大好きであった。 藤蔵とゆきは多一がまだ赤ん坊だった頃からそれぞれが
暇を見つけては多一を乳母車に乗せて近くの西武鉄道の
東長崎駅に電車を見せに行っていた。
当時、東長崎駅は貨物列車の停車場でもあって、電車の
ホームの南側には貨車の入替え用の操車場があり、そこ
には線路が数条敷かれてあった。
そして、線路のさらに南側は荷積みや荷降ろし用の広場
となっていて、当時は誰でも自由に出入りすることがで
きた。
藤蔵たちはその広場に入り数条敷かれてある線路のすぐ
そばまで乳母車を押して行き、多一に電車や貨車を見せ
ていた。
赤ん坊の多一は電車が到着するたびに小さな両手を叩い
て喜んでいたが、運良く貨物列車が到着したときなどは
全身でその喜びを表した。
そして、その喜びを分かち合おうとして
「おじいちゃん、おばあちゃん、貨物列車が来たよー。」
という意味のことを赤ちゃん言葉で一生懸命藤蔵とゆきに
伝えるのであった。
この頃はまだ高速道路などなかった時代であるから貨物輸
送の中心は鉄道であった。
今を去ること十年以上も前に貨物輸送をやめてしまった西
武鉄道も、まだその当時は十両ほどに連結された貨車を小
さな電気機関車が引っ張っていた。
まだ小さかった多一にはそれがなんとも力強く、勇ましい
ものに見えていた。
貨物列車は到着するとすぐに入れ替え作業を始める。
入れ替え作業は十両ほどの編成で繋がっている貨車の連結
を編成の途中で解除することから始まる。 その後、電気機関車が操車場の中をあるときは何両かの貨
車を引っ張って、またあるときは電気機関車だけで走るこ
とを繰り返して今度は東長崎駅発の貨物列車の編成を組み
立てる。
多一は入れ替え作業で貨車と貨車を連結するときの
「ガッシャーン」という音が大好きであった。
だから、貨車同士が連結されるときには多一も一緒になっ
て「ガッシャーン」と大きな声をあげるのであった。
そして機関車や貨車がポイントを通過するときなど、それ
こそ目を丸くしてレールと車輪の動きを見つめていた。 大好きな電車や貨物列車を間近で見ることが出来る東長崎
駅は多一にとってはこの上なく楽しい場所であった。
そして、藤蔵とゆきは電車や貨物列車が大好きな多一に、
それぞれが電車や汽車の絵本を何冊も買ってやるのであった。
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