鍛冶屋のせがれ、少年多一はどこにでもいる普通の
小学生でした。
そして勉強はちっともしないで、遊んでばかりいま
した。
その為、家族からも事あるごとに
「遊んでばかりいないで、少しは勉強もしなくては
いけないよ。」
と言われていました。
そんな多一の最も好きな遊びは模型作りでした。
プラモデルの「ゼロ戦」や「飛燕」といった戦闘機や
「大和」や「陸奥」といった戦艦などをたくさん作り
ました。
また、その頃の多一の夢はと言えば、当時はまだ「夢
の超特急」と言われていた現在の新幹線の運転士にな
ることでした。
そして柔道も一生懸命やりました。
今、こうして幼い頃の自分を主人公にした物語を書い
てみると、私は多一が愛おしくてなりません。
自分のことなんだから当たり前だろう、と言われそう
ですが、今の私には多一が自分の孫のように思えるの
です。
そのように思えるのは自分の年齢のせいかもしれません。
ですから、この物語の中で多一の言動を書くときには思わ
ず笑ってしまうことが度々ありました。
さて、私は今回初めてこのような物語を書いたのですが、
物語を書くことでそれまで忘れていた幼い頃のことを幾
つも思い出すことができました。 「そうだ、おじいちゃんにはあんな癖があったなぁ。」
「おばあちゃんの作ってくれたおいなりさんは美味し
かったなあ。」
「あのおじさんにはずいぶんお小遣いをもらったっけ
なぁ。」
「あのおばさんは可哀そうだったなぁ。」
とか
「東長崎駅の改札口のすぐそばには井戸があって、その隣
には小さな和菓子屋さんがあったなぁ。」
というようなことです。
今は亡き祖父母や父、それと親戚のおじさんやおばさんの
ことを書くときには、当時のいろいろなことが思い出されて、
つい目頭が熱くなったこともありました。
幼い頃に優しくしてもらった思い出は心の中にいつまでも残
ります。
そして家族は勿論ですが、自分に優しくしてくれた人々には
特別な親近感を感じるものです。
思えば私はこれまでに何人の人々と巡り会い、そして別れて
きたことでしょう。
それを思う時、人の一生とは自分が考えている以上に重いもの
であると改めて感じました。
人にはその人なりの生き方というものがありますが、出来得
るものならば健康と豊かさに恵まれて、そのうえで優しく穏
やかに毎日を過ごしたいものです。
しかし、それは欲張りと言うものでしょうか。
おわり
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