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作品名:鍛冶屋のせがれ 少年多一 作者:羅々見 朴情

第12回   倉田さん

話が前後する。

多一が三年生のときのことである。

多一のクラスに倉田恵という女の子が転校してきた。

それはさわやかに晴れ渡った五月初旬のある日の午前

のことであった。

教室の前の廊下にお母さんと一緒に赤いランドセルを

背負った女の子が立っている。

担任の中森先生が

「今日から君たちに新しいお友達が一人増えます。」

と言って廊下にいるその女の子を教室の中に招き入れた。

その女の子は戸を開けて教室の中に入ろうとしていた。

お母さんはそのまま廊下に残っている。

だからだろうか、中森先生はその女の子に、

「戸は閉めなくてもいいですよ。」

と言った。

その女の子は小さな声で

「はい。」

と返事をしたが、その声は優しい声だった。

そして、着ている服はとても上等なものに見えた。

この転校生の倉田恵さんはどうやらお大尽のお嬢さんの

ようである。

勉強もできそうである。

中森先生が黒板の前に立っている倉田さんをクラスの

みんなに紹介している。

中森先生は倉田さんの横に立って

「今日から三年三組の新しい仲間になった倉田恵さん

です。倉田さんはお父さんのお仕事の関係で四国の香

川県から東京に引っ越してきました。」

とみんなに紹介した。 

へえ、四国の香川県から来たのか、と多一は少々驚いた。

多一は、南は神奈川県より遠くへ行ったことはなかった

ので、四国の香川県とはずいぶん遠い所から引っ越して

きたんだなぁと、感心してしまった。

そして、女の子がそんな遠いところから東京の学校に

転校するなんて、ずいぶんと不安を感じることだろう

な、とも思った。

たしかに黒板の前に立っている倉田さんの表情は少し

緊張しているように見える。

多一は中森先生から紹介されている倉田さんを見て、

色の白いきれいな子だなぁ、と思った。

長早小学校で一番きれいな女の子かもしれない。
 
倉田さんはきれいなだけではなく、清楚な感じもする

子で多一の理想のタイプの女の子であった。

これまで多一の周りには倉田さんのようなタイプの女

の子は一人もいなかった。
  
やっと自分の理想とするタイプの女の子に巡り会えたと

思った多一は当然のことながらこのときに倉田さんのこ

とを好きになってしまった。 





倉田さんが転校してきてからというもの、多一は学校

に行くのが楽しくてしようがなくなってしまった。

倉田さんが転校してきた当時などは、それこそ倉田さ

んの顔を見に学校へ行っているようなものであった。

家に帰っても一番初めに考えることは、明日はどう

やって倉田さんの気を引こうかということであった。

でも、多一はスポーツがあまり得意ではなかったし、

勉強もそれほど良い成績ではなかったので、クラス

の中ではそう目立つタイプではなかった。

それでも理科の時間だけは注目を浴びることが多かっ

た。

多一は当時の小学三年生では難しいと思われていた電

池式の照明器具や扇風機などを自分の家で作ったりし

ていた。

あるとき、そのことを知っていた中森先生からクラス

全員の前で

「元村、明日の理科の時間に君が作った扇風機をみん

なに見せてあげなさい。」

と言われたことがあったが、そのときはさすがに嬉し

かった。

多一はやはり鍛冶屋のせがれである。

物を作ることが好きだった。 

次の日、多一は自分が作った扇風機を理科の時間に皆

に披露した。

多一の作った扇風機とは、電池ボックスと模型飛行機

のプロペラを付けたマブチモーターを繋いだだけの簡

単なものだったが、長早小学校の三年生でこんなこと

をする子供は多一の他にはいなかった。

プロペラが回ると

「オオーッ」

という歓声が上がった。

クラスの皆は口々に

「元村、カッコいいもの作ったなぁ。」

「元村君、すごいわね。」

と言ってくれた。

多一はとても良い気分であった。

こういうことは、そう滅多にあるものではない。

そこで多一は倉田さんの反応は、どんなもんかな、と思

いそれとなく倉田さんの席のほうを見てみた。

すると倉田さんも多一の作った扇風機を見ていたのだが、

だからと言って、多一の視線と倉田さんの視線が合うこ

とはなかった。

多一は倉田さんからも

「元村君、すごい。」

と言ってもらいたかったのだが、倉田さんはそんなこと

をするような子ではない。

だから、倉田さんの前でカッコいいところを見せること

ができただけでも良かったなと思った。







倉田さんが転校してきてから早いものでもう半年が経った。

ある日の昼休みのことである。

理科委員の多一はプールの前に作られてある三年三組の

花壇の中に落ちているゴミを拾っていた。

多一の通う小学校には千二百人以上の生徒がいるので、

いろいろなゴミが自然に花壇の中にも入ってきてしまう

のだ。

多一は週に何度か、昼休みの時間に花壇の中に落ちてい

るゴミを拾うことにしていた。

そこへ武島という男子生徒がやってきた。

多一と武島は大の仲良しで、よく一緒に遊んだりもする。

武島は

「俺も手伝うよ。」

といって花壇の中に入ってきた。

多一はゴミを拾いながら

「おぉ、ありがとう。」

といって武島をみた。

二人はゴミ拾いをしながら、学校が終わったら「ハミルト」

の前の原っぱでキャッチボールをしようと話し合った。

「ハミルト」とは当時出回っていた「ヤクルト」と同じよう

な飲み物の名称である。

多一たちが通う小学校のすぐそばの南側に工場があり、工場

と道路を挟んだ東側が原っぱになっていた。

その原っぱで遊んでいるのは殆どが長早小学校の生徒であった。

二人は学校が終わったら、その原っぱでキャッチボールをしよ

うというのである。

だから、多一は家に帰ったらすぐに「ハミルト」の前の原っぱ

に行くことにした。





二人が原っぱに行ってみると、同じ小学校の五年生たちがソフ

トボールの試合を始めようとしていた。

その為、二人は五年生たちの試合の邪魔にならないように、

原っぱの一番端っこのファウルグランドでキャッチボールを

することにした。

その頃の小学生は試合ではソフトボールを使うのだが、キャッ

チボールだけのときは軟球を使うことが多かった。

ソフトボールをしている五年生の打った球が多一たちの近所に

ファウルとなって時々飛んできたりするので、二人はそれに

注意をしながらキャッチボールを始めた。

初めのうちはキャッチボールをしていた二人は、その後暫くし

て、それぞれがピッチャーとキャッチャーになって投球練習を

するようになった。

ソフトボールの投げ方ではなく、野球の投げ方での投球練習で

は二人とも、球にスピードはあるがコントロールが悪かった。

三年生の二人は球のコントロールを良くすることよりも、早い

球を投げることの方に関心があった。

何故なら、当時の多一たちがやっていた野球とは所謂ソフト

ボールのことであり、ピッチャーが練習や試合で正式な野球の

ように上から投げたりすることはなかったからだ。

だから球のコントロールを気にする必要はなかったのだ。

それに、当時は小学生がそのような本格的な投げ方をすると、

学校の先生たちから、肩を壊す、などといって注意されたり

したものである。




投球練習を続けている二人は少々疲れた。

そこで、多一は武島に

「おい、ちょっと休もうよ。」

と声をかけ、そばにあるベンチに向かって歩き出した。

「うん。」

と武島も返事をして、同じベンチに向かって歩き出した。

二人はベンチに腰を下ろした。

そのときも五年生たちはソフトボールの試合をしている。

武島は五年生たちのソフトボールの試合を見ながら

「なぁ、元村。 俺たちの三組で新しく野球チームを作ら

ないか?」

と切り出してきた。

多一は

「うん、俺もそのことは前から考えていたんだ。 あれば

いいな。」

と武島の考えに賛成をした。

武島は多一が自分の考えに賛成してくれたことが嬉しかった。

武島は

「じゃ、明日学校に行ったら、みんなにそのことを話そうぜ。」

と、すっかりその気になっている。

多一も武島同様、なるべく早いうちに三組に新しい野球チーム

を作ろうという気持ちになってきた。

今のように一人一人がばらばらだと練習や試合をするのが難しい。

でもチームを作ればそれがやり易くなる。

だから多一も

「うん、そうしよう。」

と言ったのである。 






多一がそう言ったちょうどそのとき、見覚えのある二人の女の

子が「ハミルト」の工場の前の道を歩いて行くのが多一と武島

の目にとまった。

それは倉田さんとやはり同級で倉田さんと仲良しの広田京子で

ある。

二人は多一たちには気づいていない。

武島が

「あれ、広田と倉田だ。」

と言ったとき、多一は黙って広田と倉田さんの姿を眺めていた。

武島は

「倉田って頭が良いな。」

と言って多一のほうを向いた。

多一は

「そうだな。」

と答えた。

武島はさらに

「絵も歌も上手いしな。」

と倉田さんを高く評価した。

それについては多一も異論はない。

倉田さんは勉強なら何でも良くできた。

図工も音楽も良くできた。

それでも、体育だけは苦手のようで身体の動きがちょっとス

ローであった。

それでも倉田さんに限って言えば、それが優雅に見えてしま

うのである。

多一は倉田さんのその独特な優雅さにも惹かれていた。

毎日学校に着てくる服も品が良くて高級なものばかりだった。

多一は自分が倉田さんを好きなことを武島に気付かれないよ

うに、さりげなく

「倉田の家はお大尽みたいだな。」

と言ってみた。

多一は自分が倉田さんを好きなことを誰にも知られたくは

なかった。

と同時にまだ誰にも知られてはいないと思っていた。

武島は

「そうらしいな。 倉田のお父さんは大会社の部長で将来の

社長候補らしいよ。 なんでも二三年に一回、日本中をあっち

こっちと転勤しているんだって。 だから、倉田は俺たちの学

校にそれほど永くはいないかもしれないな。」

と言うのである。

多一は思わず心の中で

「えっ、なんだって。」

と叫んでしまった。

なんと、倉田さんはそれほど永くは長早小学校にはいないかも

しれないのだ。

多一は倉田さんがまた何処かの学校に転校するかもしれない、

などとは考えてもいなかったのでがっかりしてしまった。

多一の気持ちを例えるならば、それはパンパンに張り詰めてい

た風船が急にしぼんでしまったようなものである。

しかし、そんな気配を武島に感づかれてはならないのでやはり、

さりげなく

「へえ、そう。」

と受け答えた。

武島は

「でも倉田は東京の私立中学校を受験するんだってな。 だか

ら倉田のお父さんとお母さんはこれ以上、倉田に転校はさせたく

ないらしいよ。」

とも話した。

多一は武島に 

「でも、お父さんがまた転勤になったら転校しなきゃならな

いんだろう。」

と聞いてみたが、武島は

「そうだよな。」

としか答えられない。

当時、単身赴任という制度があったかどうかは定かではないが、

小学生の多一と武島はそれを知らなかった。

多一は

「どうすんのかな。 それと倉田はどこの中学校を受験する

のかな?」と独り言のようにつぶやいた。
 
武島は

「そこまで俺は知らないよ。 元村、倉田に聞いてみろよ。」

と多一に言ったが多一は

「ああ。」

と素っ気なく答えた。

でも、そんな素っ気ない素振りとは裏腹に多一は倉田さんのこ

とならば何でも知りたかった。





 
そんなことを話していたら広田京子が多一たちに気付いた。

すると広田は倉田さんと一緒になって、こちらに向かって歩い

てくる。

多一たちはどうしたんだろうと思った。

やがて、広田と倉田さんは多一たちの前まで来て

「武島君、これ忘れたでしょ。」

と言って一枚の封筒を差し出した。

武島は 

「ああ、いっけね。」

と言ってその封筒を広田から受け取り、二つに畳んでポケットの

中にねじ込んだ。

それは給食費を入れる封筒であった。

終礼のとき、武島はその封筒を教科書と一緒にランドセルに入れ

たつもりであったが、どうやらうっかりして教室の床に落として

しまったらしい。

それを運良く今日の掃除当番の広田が拾ってくれた。

広田は給食費を入れる封筒は大事なものなので学校からの帰りが

けに武島の家まで届けようとしてくれたのだ。

しかし、帰り道の途中で偶然にキャッチボールをしている武島と

多一の姿を目にしたのでそれを渡しにきてくれたのであった。

武島は広田の優しい行為に

「ありがとう。」

と礼を言った。

広田は

「ポケットなんかじゃ、また落ちちゃうんじゃない。」

と言った。

「うん、大丈夫だよ。」

と武島は軽い返事を広田に返した。

キャッチボールをするためにここへ来た武島はグローブとボール

しか持ってきていなかったので、かばんのようなものは何もなかった。

広田は

「また落としたって知らないわよ。 ね、倉田さん。」

と倉田さんのほうを向いて同意を求めた。

倉田さんはニコニコしながら、こっくりと可愛らしく頷いた。

「じゃ、渡したわよ。 行こう倉田さん。」

広田は武島に給食袋を渡したので家に帰ろうとしている。

「もう行っちゃうの?」

と多一は心の中でつぶやいた。

多一は倉田さんともう暫く一緒にいたかった。

武島は広田に

「ありがとう。」

と、もう一度お礼を言った。

広田は笑顔でこちらを振り返り小さく手を振った。

倉田さんも笑顔でこちらを振り返り、やはり小さく手を振った。

やがて二人は原っぱから道路へ戻りそれぞれの家に帰って行った。
 
武島が

「広田って優しいな。」

と言うので多一も

「ああ。」

と答えた。

広田は可愛らしくて勉強のできる子であった。

その上優しい子だからクラスでも人気が高かった。





そのとき

「なあ、元村。 知ってるか。」

と武島が多一に聞いてきた。

「何をだ。」

多一はそう答えるしかない。

武島は

「広田はな、黒木が好きなんだ。」

と急に話題を変えてきた。

黒木満は多一の親友でとても大人しい生徒であった。

黒木の家は駅前商店街で大きな本屋を営んでいる。

黒木の成績は学年でもトップクラスで、そのうえピアノも上手

かった。

当時は男の子でピアノが弾ける子など、そうはいなかったので

黒木は女の子の憧れの的であった。

「そうらしいな。 黒木はどうなんだ。」

多一も広田が黒木のことを好きだということは知っていたが、

別段それについて興味はなかった。

広田は素敵な子で多一とも仲は良かった。

武島は 

「うん、黒木も広田のことは好きなんだけどな。」

となんだか歯切れの悪い言い方をした。

多一は 

「だけどな、って言うと?」

と武島に回答を求めた。

多一はどういうことなのか知りたかった。

「うん、これは噂だけど、黒木は倉田のほうが良くなっちゃった

みたいなんだ。」

と答えた。

その言葉を聞いて多一はドキッとした。

黒木のように勉強ができて、その上ピアノも上手な金持ちの息子が

倉田さんを好きらしい、となれば多一の心中は穏やかではいられ

なかった。

ましてや黒木は多一の親友である。 

その黒木が倉田さんのことを好きになっているかもしれないので

ある。

多一の心は動揺した。 

しかし、それを武島に感づかれてはならないので平然と

「へえ。 それじゃ広田が可愛そうだな。 で、広田はそのことを

知っているのか?」

と言ってみた。

武島は

「うーん、よく分かんないけど、感づき始めているかも知れないな。

なにしろ女の勘は鋭いっていうからな。」

と大人びたことを言う。

多一は

「さっきは広田と倉田が一緒に歩いていたけど、もしかすると二人の

仲は悪くなっちゃうかもしれないな。」

と近未来に生じるかもしれないことを予想した。

武島は

「そうなると、いわゆる三角関係ってことになっちゃうな。」

と、また大人びたことを多一に言った。

黒木が本当に倉田さんを好きになっていたとしたら、たしかに広田は

可愛そうだ。

でも多一にはなんの関わりもないことだ。

それよりも多一が一番気になることは倉田さんのことだ。

倉田さんは黒木のことをどう思っているのかということであった。

多一は何としてもそのことを知りたくなった。

そこで武島に感づかれないよう素っ気なく

「倉田は黒木をどう思ってるのかな。」

と聞いてみた。

「俺も分からないけど、嫌いじゃないみたいだな。」

と武島は微妙な答え方をした。

更に

「黒木と倉田って何か共通するものがあると思わないか?」

と言うのである。

「共通するものぉ?」

「うん、二人ともお大尽の家の子供だろ。 上品な感じ、といったら

良いのかなぁ。 そういう点で二人はお似合いだよな。」

これは多一にすれば耳を塞ぎたくなるような言葉であった。

その言葉で多一の心は益々動揺し、気分は深く落ち込んでしまった。






自分の家は鍛冶屋である。

貧乏ではないが絶対にお大尽でもない。

ましてや自分のことを、上品だ、なんて思ったことは一度もなかった。

武島の言葉で落ち込んだ多一は

「そうかもな。」

と、さっきまでの調子とは少々違う感じで答えた。

しかし、その多一のわずかな変化を武島は見逃さなかった。

「うん? 元村、どうした?」

と武島は聞いてきた。

多一は、まずいな、と思ったがこの場は白を切るしかないと思い

「えっ、別にどうもしないよ。」

と答えた。

すると武島は多一の顔を見てわざとらしく

「へぇ。」

と言ってくる。

多一は

「なんだよ。」

と少々ムッとして答えたのだが武島はしばらく間を置いてから

「元村、おまえも倉田のこと好きなんじゃないの?」

と切り出してきた。

白を切り通そうと考えている多一はわざと

「倉田ぁ? 俺がぁ?」

と言ってみせた。

武島は

「そう、倉田。」

と意地悪く迫ってくる。

多一はそれでもなお 

「別にぃ。 何とも思っていないよ。」

と必死になってこの場をごまかそうとした。

しかし、こうなってしまうと話を展開させていくうえで有利

なのは武島である。

武島は

「そうかなぁ?」

とニヤニヤしながら迫ってくる。

多一は

「そんなこと、どうだっていいだろう。」

と武島の追及を何とか振り切ろうとする。

しかし、何としても多一に倉田さんのことが好きだと言わせ

たい武島は

「あぁそう。 そんなこと言うのかよ。 いいよ。 その代わり、

皆にこのこと言っちゃうからな。」

とまで言い出してきた。

多一は

「皆に何を言うんだ?」

と武島に聞いてみた。

すると武島は

「元村は、倉田が黒木を嫌いじゃないかも知れないって聞いたら

急に元気がなくなった、てな。」

と言った。

武島のこの言葉はさすがに効いた。

多一にとっては最早、万事休すである。

ここで白を切り続けたところで武島は全部お見通しだろう、と観念

した多一は武島に

「おい、ちょっと待てよ。」

と言った。

さっきの一言に効き目があったことが武島には分かったようで

「どうした?」

と迫ってきた。

多一は仕方がないな、と思いながら

「分かったよ。 親友のお前だけに言うんだからな、絶対誰にも言

うなよな。」

と語気を強めた。

「いいよ、誰にも言わないよ。 だから、言っちゃえよ。 倉田の

こと好きなんだろ?」

と武島はますます勢いづいてくる。

多一は一呼吸置いてから

「ああ。」

と答えたのだが、その瞬間に武島の顔に勝利の喜びのようなものが

浮かびあがった。

そして武島は面白そうに

「どれくらい?」

と聞いてきた。

でも、そんなことを聞かれたって多一にも分からない。

だから

「どれくらいって、なんのことだ。」

と答えたのだが武島は

「だからぁ、普通に好きなのか、それとも大好きなのか、っていう

ことだよ。」

と言うのであった。

武島はきついことを聞いてくる。

多一は

「ウーン。」

と唸ってしまった。

「なんだ、自分のことだろう。 自分で自分のことが分かんない

のかよ?」

武島の追及は厳しい。

多一はまた

「ウーン。」

と唸ってしまった。

唸っている多一を見て武島はヤキモキし始めてきた。

そこで武島は

「お前、倉田のことが大好きなんだろ。 俺分かるもんな。」

と言うのである。

「どうして?」

多一は反論をするように聞いてみた。

武島は落ち着いた調子で

「だってお前、倉田の前で何か喋ったことがあるか? 一度も

ないだろう。 さっきだってそうだ。」

と多一にとっては急所とも言えるところを突いてきた。

たしかに多一は倉田さんを前にすると変に緊張して何も喋れな

かった。

多一は倉田さんの前に出ると普段の多一ではなくなってしまう

のだ。

武島はそのことに感づいていたのだ。

更に武島はこうも言ったのである。

「元村が倉田の前では何も喋れなくなっちゃうことはクラスの

皆が知っているよ。」

これには多一も驚き思わず

「それ、本当か?」

と聞いてみた。

武島は

「ああ。 元村はなんで倉田がいると大人しくなっちゃうんだ。

それ、変だろ。」

「そうかなぁ。」

「そうだよ。 何も意識してなければ普通に話せるだろう。」

そのとおりである。

多一は自分が倉田さんを好きなことは誰にも知られないように

してきたつもりでいた。

しかし武島は、多一が倉田さんを好きなことはクラスの皆が知っ

ている、と言うのだ。

多一は武島が言うことに嘘はないだろうと思った。

自分が倉田さんを好きなことはクラス全員が知っていて、その

ことを知らないのは自分だけだ、とはなんとも情けなかった。

そして、こんなに間の抜けた話があるだろうかと自分の鈍感さが

恨めしくなってしまった。






二人とも、そんな話をしていたら、これ以上キャッチボールを

続ける気がなくなってしまった。

「今日はもう帰ろうぜ。」

と多一が言うと

「ああ、そうだな。」

と武島も同意した。

原っぱから道路に出たとき多一は

「さっきの話、誰にも言うなよな。」

と武島に釘を刺した。

武島は

「ああ、言わないよ。」

と言った後、暫く間を置いて

「元村、お前も男だろ。 思い切って倉田に『好きです。』って

言ってみたらどうだ。」

と切り出してきた。

だが、多一はそれには答えなかった。

その後、武島は卒業するまで、多一と交わしたこのときの約束を

守ってくれた。



その後三年生から四年生に進級するときにクラス替えがあった。

悲しいことに多一は倉田さんとは別のクラスになってしまった。

倉田さんに好きですと言ってみたらどうだという、武島にして

みれば面白半分の提案も多一は受け入れなかった。

その為、多一はついに卒業するまで倉田さんとは一言も言葉を

交わすことはなかった。

多一はそれから卒業するまでの間、倉田さんが特定の男子のこ

とを好きになった、という話を聞いたことはなかった。

だからであろうか、倉田さんは広田京子とも仲良しのままで

あった。

そして、倉田さんは見事に東京の有名私立中学校の試験に合格

した。

倉田さんが長早小学校の卒業式で着ていたその中学校の新しい

制服はとてもセンスの良いものであった。

お嬢様が通う中学校として有名なその私立中学校は程度も高く、

長早小学校からはそれまでに数人しか試験に合格していなかった。

倉田さんはやはり勉強のできる頭の良い子であったのだ。





小学校を卒業してからの倉田さんのその後のことについて多一は

何も知らない。

だから、多一の記憶の中にいる倉田さんは小学生の頃の可愛いま

まの倉田さんである。

きっと今頃はどこかで良いお母さんになって幸せに暮らしている

ことだろう。

いや、我々の年齢からいって、もうお孫さんがいてもおかしくは

ない。

自分はあの頃、何故倉田さんと普通に話をすることが出来なかった

のだろうか、と今も時たま思い出しては苦笑することがある。


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