07年6月8日。 朝日が来るのが辛い。布団から起き上がるが体が鉛のように重い。起き上がれても布団からまどろみから出る気にはなれなかった。 連日残業はさすがに堪える。残業の理由は他の派遣会社の社員が、いきなり、工場を辞めたせいだ。その穴埋めとして連日、私は残業することになった。おかげで今週は家に帰ってはすぐに寝ってしまう。出来れば残業なんてしないでさっさと帰りたかったが、正社員になるためにもここは無下には断れない。けれど、いつ来ても単純作業しかない。 10年間やっている派遣の先輩はいつも単純作業だ。それ以上はやる事は無い。それ以上やると正社員の人間が「余計な事をするな」と怒鳴るそうだ。 そして、今日は休日出勤の日だ。かなり堪える。本来、休みなのに出社しないと思うと憂鬱になる。おまけに毎日3時間の残業。この一週間で25時間。サブロク協定に引っかかる。けれど、文句は言えない。言うとどこかに飛ばされるか、解雇されるに決まっている。いや、うざかれて辞めるように仕向けられる可能性の方が高いか…… 私は天井を見上げる。頭が血を回るのを待った。そして、少しでも明るくする為にも楽しい事を考えようとした。けれど、暗い事を考えた後に楽しい事を考えるのは無理だった。そして、尊敬していた派遣社員の退社を思い出して余計に暗くなった。 ちょっと前も残業代で争った派遣社員がいるが、その人は次の日には出勤していなかった。班長の話しを聞くと「彼は辞めたよ」と言う一言で済ましていた。やはり、派遣の立場が弱い。多分、組合に言っても何も聞いてはくれないだろう。組合が動かなければ監督署も事故が起きない限りは動いてくれない。いくら、法律で守っていると言われても効力が無ければ何の役にも立たない。 とりあえず、働こう。とにかく、働かないとチャンスが来ないから、 私はそう思いながら布団から出て朝食の準備を始めた。 体が重い。私はそう思いながら冷たい朝風の中。自転車を漕いでいた。 冷たい朝風に当たっていると夏が近づいているには感じない。しかし、昼になるとかなり暑く。冷房が無いと辛い。体全身が汗に覆われ、喉が渇く。水を飲みに行きたいが、秒単位で動くラインでは飲む時間も無く、昼の休憩にしか飲みにいけない。近くに水を置きたいが、会社は薬品に混じると危ないという理由で水は置かせてもらえなかった。 だが、私の所はまだましだ。一応、冷房機器があり、ちゃんと機能をしている。前行った重い鉄、運びの場所では、冷房機器は全く効かない。まあ、そこに行く機会がそうそう無いのが唯一の救いだ、だが、暑さで体力を奪われているのは確かだ。 おまけに今まで北海道に住んでいた人間には、この本州の気温は死ぬほど暑い。今の北海道なら長袖を着ている人間がまばらにいる。 北海道の暑さは、脇に汗が溜まる程度で、木陰に隠れて風に涼んでいれば大抵は凌げる。それでも暑かったらバケツに水を張って足を突っ込んでいれば大丈夫だ。 しかし、本州の暑さはひどい。全身に汗を掻き、髪から溜まった汗はやがて顔に来て目に汗が染みる。そして、風は暑く、涼めない。バケツも気休めでしかない。毎日、風呂に入らないと汗の痒みで耐えられない。文句を言って涼しくなれば良いと常々思った。 そして角を曲がると職場すぐそこだ。しかし、急斜面の坂を登らないといけない。仕事の前に体力は使いたくないが、職場に着く為にペダルに力を入れ、坂を登る。登るとすぐに工場の門が見えてくる。 力強くペダルを漕ぐと門が見えてきた。私はいつものように工場前に立つ、守衛で挨拶する。守衛さんもそれを見て頭を下げる。そのまま、私は駐輪所に向かって走る。 そして、駐輪所に自転車を置き、カギを掛けて職場に向けて歩く。 職場に向かう途中、夜勤明けの人に会い、声を出して挨拶するが、向こうの人はおじきしてそそくさと歩く。あいからわず暗い職場だ。 そのまま歩き、工場内に入り、大きな機械があるなあと思いながらタイムカードを押す。そして2階にある更衣室に向かう。 私は1人上るのがやっとの狭い階段を登り、ドアを開ける。いつものような顔ぶれがあった。だいたい、15人位だろうか? でも、静かだ全く会話が無い。みんなが連日の残業で疲れ切っているのだろう。私は着替える為に自分のロッカーに向かう。 そして、隣に着替えている人間を見つけ、私は元気良く、挨拶する。 「おはようございます」 けれど、向こうは小さく「おはよう」との挨拶で温度差を感じる。いや、返事するだけ、まだましだ。 挨拶しても疲れているから話し掛けるなと言う雰囲気を持つ人間の方が多い。もし、芳賀さんだったら元気良く、挨拶が返ってくるかもしれない。違う部署だから確認は出来ないが…… 作業服に着替えている間に年配の先輩達が来る。私は失礼の内容に元気良く、挨拶をする。けれど、そのまま、素通りされた。まあ、いつもの事だと割り切る。でも、挨拶が返って来ないのは空しい。 その先輩はそのまま自分のロッカーに向かったが、誰も先輩に挨拶せず、逆に先輩からも挨拶はしなかった。 私はめげずに他の人にも挨拶するが、やはり、挨拶は返って来ない。職場に入る前の2ヶ月前から、『元気良く、挨拶をしよう』と言う大きなポスターを貼ってあるが、あれほど、無意味で皮肉なポスターは無いだろう。 そして、同僚達がやってくる。私は元気良く挨拶する。同僚達は疲れているのか、声は小さいが挨拶が返ってくる。それでも、挨拶が返って来る。とても嬉しい。 けれど、唯一、いつも挨拶が、とても元気な人がいる。それは出稼ぎに来ている外国人の人だ。 この工場は出稼ぎに来ている外国人を雇っている。賃金が安いから雇っているからだろう。かと言って日本人がいなくなると工場が動かなくなる為、やはり日本人の方が比率が高い。 正直な話、ここの職場で一番気楽で話しやすいのは外国人だ。みんな、元気良く笑顔で挨拶して名前で呼んでくれる。言葉は聞こえづらいが、あの屈託ない顔は正直癒される。ここの工場の人と達の笑顔は無い。例えあっても作り笑いしかない。しかし、彼らはそれが無い。だから癒される。実際の話し、活力があるのは日本人よりも外国人のほうがあると思う自分がいる。 着替えを終えた私は広場に向かう。そこで従業員が集まり、朝礼をするのだ。壁時計を見ると、あと5分程度で始業時間だ。そのまま私は始業時間まで、隅の方に行き、ゆっくり待つ。他の従業員はとろとろと広場に集まる。まるでゾンビの行進のように生気を感じない動きだ。 みんなが口々に、「ここにいても出世も何も無いから適当に仕事をしていれば良い」と言って、やる気が無いのだろう。そして、最後に班長が現れ、近くのラジカセが押す。ラジカセからには夏休みを思い出す。ラジオ体操の明るい音楽と体操のおじさんの声が流れた。 私はそれに従い、準備運動をするが、他のみんな適当に手を上げたり足を上げて、準備運動じゃない準備運動をしている。まあ、班長も適当な準備運動をしており、加えて注意を受けないから適当にするのだろう。そして、業務連絡が始まり、それが終わるとライン別掲示板を見る。その間、従業員同士の会話は無い。 そのまま、私は人だかりを掻き分け、掲示板を見る。この職場は日によって作業所が変わるため、毎日確認する必要があった。 今日の作業所は8ラインだと確認した私は作業所に向かう。最初の方は色々なラインに動いたが、今は固定されている。多分、適性を見たのだろう。ラインによっては作業内容が多少変わるからだ。 そのまま、ラインに向かう途中で保護具を取りに行く。まず、ゴム手袋を付けて、腕かけを腕に通し、手首から肘まで伸ばす。そして、最後にエプロンを掛ける。これも薬品が掛からない為だ。 特に8ラインは、直接、製品を持て有害な薬品に付ける作業の為、危険が多い。もし、作業服に染み付き、放置していると大変な事になると聞いている。詳しい事は聞いていない為、分からないが、火傷のような痛みをするようだ。 保護具を付け終えた私は8ラインに着く。そこで今日、一緒になる先輩がおり、挨拶をする。先輩は軽く、おじぎする。そして会話が無いまま作業が始まった。 私はせっせと、製品に薬品を付ける。先輩はその製品を運び、さらに私が付けた製品に不良品は無いかのチェックをする。それを何度も何度も繰り返す。少しでも遅れると先輩の怒鳴り声が飛ぶ。そして、かなり遅れると他のラインからも文句を言われる。とにかく、私は急いでやる。 途中、時間を間に合わせる為に、製品の付ける薬品の時間を規定の時間より短く出す。それを先輩に出すが、全く気づかれずに素通りされる。過去にも同じ事ような事を数回したが、気づかれた事は無い。それだけ、適当な検査をやっている職場だ。単にやる気が無いだけかもしれないが、『品質がモット』と謳っている会社が聞いて呆れる。この現場の人間は会社を愛していない証拠だ。愛していれば、少しでも社風を守ろうとする。経済学から見ても潰れる会社だ。 確か、経済学の中の生産性の分野で『現場がやる気がないと生産性と品質が悪くなり、最終的に売上が悪くなる』という言葉があった。この会社を見ていると、その例を出している。まあ、派遣が多いのが原因なのかもしれない。比率的に8割は派遣社員だ。 事実、この会社の数年の株価と利益を見ると、年々、減少傾向であり、今年では利益が100万程度しかなかった。1000人雇っている会社の割に対した事が無いと言える。 そもそも、派遣社員は元々の概念は有能な人材を短期的に使うのが目的だった。言わば、助っ人だ。ところが、ここの派遣はそういう使い方をしていない。どちらかと言うとアルバイトを雇っているの変わらない。 よく、アルバイトを雇いすぎるとサービスが落ちると言われている。それは、色々な要因はあるが、ここの場合は真面目にやっても正社員に勝てず、さらには正社員になれないとと考えるからだ。もちろん、サービスの質が落ちない会社もある。しかし、ここは落ちている。 正社員の方が給料がもらえる。社会保障も充実している。だが、バイトにはそれがない。おまけにクビになりやすい。ここの派遣はアルバイトと変わらない。だから、真面目にやっても派遣だからいつかクビを切られる。だから、やる気をなくす。おまけに昇給も出世も無いのだから余計に拍車が掛かる。 前に班長と話していた時、班長が「ここに来ても何も無い。終わったな」と言われた。 私は「諦めなければチャンスある」と言いたかったが、トラブルを起こしたくなく、堪えた。だが、上司である班長がこんな事を言うのだから、それだけ学べる事や出世が無いと言える場所だ。 よく、真面目にやっていれば大丈夫だと言う人間がいるが、私に言わしてもらえば、ここの現場……いや、工場の派遣は適用されない。 簡単な事だ。工場と言うのは物作りの現場だ。その現場で出来る製品を買ってくれる人物がいなければ商売にならない商売だ。買う人間が多ければ景気がよくなり、人が必要となる。もし、不景気になり買う人が無くなれば人がいらなくなる。 もし、いらなくなったら、まず、誰を切る? もちろん、会社は派遣を切る。 例え、真面目にやらない正社員がいて、真面目にやっている派遣の方が簡単に切られる。もちろん、会社は真面目にやる派遣なら雇い続け。不真面目な正社員はクビを切りたいだろう。だが、会社はそれが出来ない。なぜなら、裁判所はに正社員を切る事を認めない。 裁判所の解雇の基準で『人選基準が合理的かつ公平であるか』がある為、公平さを保つために身分の低い派遣社員から切られ、正社員は後回しさる。それだけ、派遣の立場は弱い。 だが、ここは残業代や深夜代がまだましか、最悪、出ない所があるみたいだ。 そう思いながら仕事をすると大きなベルの音が鳴った。そして、先輩が「昼食の時間だから休憩」と言って製品を隅に置き、そそくさとラインを離れた。昼休憩のチャイムだった。私は保護具を脱いで作業場の机に保護具を置いた。 この職場で唯一の楽しみは食堂が上手い以外無い。『先輩の昼飯の時間だぞ』が一番待ち遠しかった。私は駆け足で食堂を急ぐ。早く、行かないと食堂が従業員で埋まり、食べたいメニューが無くなるからだ。 職場を出て朝礼をした広場を抜ける。そこから、まっすぐ行った。食堂の入り口に着くが、すぐに人は並んでいた。私は我慢しながら待ち、自分好きなメニュートンカツが無くならないように祈った。 列は徐々に前を進んでいた。進む間にお盆や箸、コップなどを取った。そして、自分の順番が来て注文する。何とか、トンカツは残っていた。 私は適当に空いている席を探した。ふっと、隅に同僚がおり、そこに近づいた。私は同僚に軽く挨拶して、隣に座る。 同僚は体が疲れているせいもあり、話し掛けても口数が少なかった。私は疲れているのに話し掛けるのは悪いと思い、食事に集中した。そして、いつもながら思う。ここの食堂は静かだ。そして、ある傾向があることが分かった。 それは派遣社員と正社員が分かれて食事していると言う事だ。 正社員はみんな正社員と固まって食べ、派遣社員は派遣社員と固まって、例え、派遣元が違っていても食べていた。けれど、正社員と派遣社員と混じって食べる所はあまり見ない。 これは正社員と派遣社員の仲があまり良くないから起きる現象だ。同じ仕事をしているのに給料が大きく変わる事に不満が募るからだろう。 私はぼちぼちと正社員の人と仲良くしているが、プライベートで仲良くした事は一切無い。飲みに行った事すら無い。体が疲れているから飲みに行く気が起きないのだろう。 それだけ、過酷で社員同士の関係は希薄だ。 みそ汁を飲んでいた同僚はそれを飲み干し、先に食事を終えていた。そして、軽く、話した後、食堂を後にした。 私もゆっくり食事をして軽く休憩を取り、食堂を後にした。
食堂を後にした私は、昼とは違う5ラインに向かった。一度、保護具を着ける為に8ラインに寄ったが、遅すぎると先輩がうるさいため早足で向かう。 私は5ラインの所に着くと、いつもながら、この大きさに驚く。ここのラインは手で直接入れるのではなく、大きな機械の中に製品を入れ、薬品の入った浴槽に製品を自動的に付けてくれる仕組みになっている。機械自体も30メートルはあるため、、大規模であり、薬品の浴槽は自宅にある風呂場位の大きさであり、20個はあった。 今日は午後から、そこのラインの浴槽掃除だ。かなり、大きいせいもあり、いつも、3人でやる5ラインも、今日は私を含めて5人は来ていた。 その後、班長がやって来て掃除の仕方を教わった。まず、班長は、「抜いた浴槽には、まだ、薬品が残っているから、まずは『水で洗い流してから』本格的にブラシ」で磨くようにと言われた。水で洗い流してからの部分は特に強調された。それだけ、薬品が危険なんだろう。 そして、私は一番危険な薬品が入っている浴槽の掃除だった。私は嫌々ながらも仕事なので諦めて向かう。 小さな段を上り、現場に着き、浴槽を覗いた。一応、薬品は抜いてあったが、それでも、水溜りのように毒々しい緑色の液体は残っていた。そして、もう1人、先輩がいた。 その先輩はもっとも苦手な先輩だ。いつも、イライラしていて、少しでも仕事が遅れるとすぐに怒鳴る。それもヒステリーに近いようなうるさい怒り方だ。出来れば関わりたくなかったけど、運が無かったと思って諦めた。私は近くにあるホースを取り出し、普通の浴槽より、3倍大きな浴槽を洗おうとする。 すると、先輩が、「それだと洗い辛いから浴槽に下りて洗え」と言って来た。私はこの先輩の頭は何を言っているのか耳を疑った。上司の言葉を聞いていたのだろうか? 『水洗いしてから浴槽に入るように』と言われているはずだ。この人も同じ場所で聞いていたのに、なぜ、上司の話しを聞かないのだろう。 一応、私は「班長が薬品があるから先に水で洗い流すように言われたのですが」と言ったが、しかし先輩は、 「そんなのは知らない。さっさと仕事が終われば良い」と言った。この人も派遣社員で仕事はテキパキ出来ても尊敬は一切出来ない男だ。 そして、人の話しを聞かないからこ特に嫌いだ。 私はこれ以上、何も言っても無駄だと思い、浴槽に下りる。 浴槽の中には機械があるため、降り辛く、態勢が取りにくい。下手をすると薬品に掛かりそうだ。 慎重に浴槽の中に下りて行ったが、しかし、態勢が取り辛く、少しかがんだ瞬間。足をすべらした。 私は慌てて、床に手を付いた。だが、付いた瞬間。手首に火傷のような痛みが走る。いや、火傷じゃない。火傷した皮膚にさらに火であぶられたような痛みが走る。そして、痛みで声が出る。耐えられない。 痛みが酷くて声を出すなと言われたとしても無理だ。私は慌ててホースを取り出し、当たった場所に水を掛ける。 けれど、中々、痛みは引かない。だが、薬品が付着したらすぐに水を洗い流すように指導された為。それに従う。そして、洗い続ける事により、声を出さなくはなったが、それでも痛みが引かなかった。先輩にこの状況を訴えたかったが、先輩は違うところを掃除していた。そして、向かって文句を言おうと思ったが、この先輩に言っても仕方ないと思い、それに正社員になるためにもここで問題を起こしたくないのでをし、痛みを堪えながら、掃除を始めた。
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