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作品名:詐欺師の男 作者:NATA

第2回   2
06年10月15日
 日本はかなり不況だ。就職先が見つからない。みんなが夏休み前に内定をもらっているのに自分だけがもらえない。とにかく、焦る。
 経済や法律の勉強はかなりした。さすがに弁護士のような法律の専門家には負けるが、けれど、その辺の学生に負けない自信はある。資格だって20近くはある。中には弁護士や税理士の人間が腕試しに取るような難しい資格も取った事がある。だけど、どこにも採用してくれない。やっぱり、面接や筆記試験が駄目なんだろう。
 昔から緊張する癖がある。そして、何もしゃべれなくなる。何度も練習してもそれは無くならない。一番の原因はそれだと思う。女の子とは平気で話せるのに面接だと何も話せなくなる。
 それに筆記試験は苦手だ。中学校の時、5教科の合計点が200も行った事は無い。だから、高校は商業の学校に行った。普通学校に行ってもついて行けないと思ったのと、5教科の勉強に全く興味が持てなかった。
 でも、高校で簿記を習った。5教科と違ってかなり楽しかった。5教科は社会に役に立たないと思って楽しくなかった。けれど、簿記は、とても身近に会って社会に出たら役に立つと思った。だから、簿記の関係の資格を取った。そして、それを極めたいと思った私は、奨学金を借りて経済と法律に関する専門学校に向かった。
 将来的に銀行や事務所関係に着きたいと思ったからだ。出来れば大学に行きたかったけど、自分の頭じゃ、大学に行くほどの学力は無かった。それに4年間も通うお金も無かった。そして、専門学校で一生懸命に勉強した。試験前だと4時間だけ寝て後は勉強という日々もあった。その甲斐もあって資格は落ちた事は無い。けれど、こうも就職が決まらないと資格を取った意味があったかと疑問に思う。
 確かに資格があると就職先の幅が広がる。けれど、専門学校の人間より、大学の人間を優先的に取る。おまけに求人には大卒限定が目立った。このまま、就職できないと困る。このままだと奨学金を返せなくなる。何が何でも決めないと行けない。一度、フリーターになると、中々、上に上がれない日本の仕組みに入ってしまう。何とかしないと……
 
 06年12月14日
 何とか決まった。と言っても正社員ではなく、派遣社員だ。でも、このままニートやフリーターになるよりはまだましだ。もし、なってしまったら、そのまま、負のスパイラルに入ってしまう。派遣社員もその傾向はあるが、でも、この会社は3年間働けば正社員になれる。うまく行けば経理の方にも回れる。とにかく、がんばろう。がんばれば道が開ける。そう、信じれば道が開くはずだ。実際、今までがそうだった。中学は勉強が出来なくて馬鹿にされたけど、高校になってそれが無くなった。頑張れば何とかなる。とりあえず、明日は学校のみんなと飲み会だ。一月産まれで、まだ、未成年だけど、ばれなきゃいいか、女子達も集まるから休むわけに行かない。いや、休みたくもないな。とりあえず今日は寝よう。
 
 現在夜。
 飛び飛びの日付日記を読むと兄貴らしいと思う。兄貴は気分屋だ。よく、兄貴とラーメン屋に行く事が多かったけど、よく気分が変わっては、いきなり、「そば屋に行こう」とか、「たこ焼き食いたい」とか言ってラーメン屋から違う食べ物屋に変わった事がよくある。悪い時は「外に出るのがめんどい」と言って、食いに行く事を止めた事もあった。
 この日記も書きたい時には書いて、書きたくない時は書かないと言うやり方は兄貴らしい。もっとも、これだけ、日付が飛んでると日記を日記なのかは気になるけど。
 けれど、兄貴の考えが触れられるのは嬉しい。いつも、どんな事を考えているか教えてくれない兄貴が、こうやって日記を残してくれるというのは少しは心を開いてくれると思ったからだ。元々、兄貴は人に心を開かない人間だった。小学、中学、頭が悪く、かなり馬鹿にされ、陰湿な事をされていたと聞いている。そのせいで人嫌いがすごかった。それは5つ下の自分でさえ嫌っていた。
 当時、兄貴が何で自分の事を嫌うのかが分からなかった。少なくとも兄は弟を守るものだと思っていた自分には全く分からなかった。けれど、今なら、兄貴の当時の気持ちが分かる。
 あの頃の兄貴はどこへ居てもストレスしか感じなかった。学校では馬鹿にされ、両親からも、もっと勉強をするように言われていたからだ。そんな中、自分は特に不安が無く、のん気に暮していた。そんな、姿が兄貴にとって憎い対象だったのだろう。だから、中学時代の兄貴と遊んだ記憶は全く無く、話した事も皆無だった。兄弟いじめは無かったけど、何もしてくれない。困っていても助けてくれなかったのは正直悲しかった。
 多分、兄貴が高校に入るまでは信じられるのは自分しかいないと言っても過言じゃないかもしれない。そして、高校に入ると変わった。
 性格も明るくなり、僕にも優しくなった。そして、家で勉強するようにもなった。高校に入る前は勉強をしなかったが、高校の時はかなり勉強をしていた。自室に篭ってお菓子とジュースを持ち込んで勉強をしていたのを覚えている。テスト前だと、朝から入って夕方まで出ない事が当たり前だった。その努力もあったのか、兄貴は一度も資格に落ちず、通信簿も5段階評価で5が目立つようになった。母親もそれを見て兄貴に優しくなった。中学だと1や2ばかりが目立っていたのに、この逆転現象は正直驚いた。
 この努力する姿の兄貴に僕は尊敬をするようになった。
 がんばれば何でも出来る。兄貴を見ているとそう思えた。けれど、兄貴は変わった。まさか、失踪していていた3年間。詐欺をしているとは思わなかった。
 けれど、兄貴はなぜ詐欺なんてしたのだろう? そして、兄貴が言う『上に上がれない日本の仕組み』とはどういう意味だろう。少なくとも経済と法律に詳しい兄貴ならではの分析があったと思う。いつも、色々なデータや出来事を読んでから話す兄貴だ。それないの理論があったはず、
 出来れば続きを読み進みたいけど、穴掘りの疲れが今更もなって出て来た。おまけに次のページからかなり長い文章が書かれてる。きっと、集中も出来ないし、読んでいる間に寝てしまうかもしれない。なら、今日はいっその事寝て、明日起きたら続きを読もう。ノートは逃げない。兄貴もあと3日は札幌にいる。その間に読み終わればいい。僕はそう思い、布団にまどろみに入った。

 朝日が目に入り、その眩しさで目を開ける。いつもの朝。薄いカーテンのせいで朝日がこぼれる。これくらい薄い方が朝寝坊が多い自分にはちょうど良い。
 起き上がると少し肩が張っている。やっぱり昨日の穴掘りが影響している。それでも、あまり気にすることじゃない。
 そのまま、僕は机に座り、パソコンの電源を付ける。そして、手前の引き出しを開ける。そこに一冊のノートを見つけて取り出す。そう、昨日のノートだ。
 僕はそのノートを開く。朝ご飯を後回ししてでも、読みたいからだ。

 07年4月1日
 北海道の春は今だに寒い。風は強く、雪が顔に当たる。ここまで行くと寒いというより、痛いと表現した方が合っている。
 おまけに、これから暑い本州に行くため、薄いジャンパーを着ているから余計に寒い。分厚いコートを着ていくと本州の暑さに負けるだろう。
 いつも思うが、あいからわず、朝から札幌駅周辺は人でごった返している。もっと、人が集まれば人込みで寒さが凌げそうと思ってしまうくらいだ。
 そのまま、駅の中に入り、切符売り場に並ぶ。切符を買っている人間は色々な人がいる。それは老若男女であり、カバンも千差万別だった。それは小さいバックや大きなカバンを持っている。中には私と同じ色のキャリーバックを持っているのもおり、これから千歳空国に向かっていると考えても良い。
 そして、自分の番が回り、財布からお札を出し、切符を買う。そのまま、少し歩き改札を通る。
 千歳空港行きのホームを確認する。ちょうど良く、千歳空港行きが札幌駅に止まっていたので、急いで階段を登り、電車に急ぐ。そして、乗り込んだと瞬間にドアが閉まった。時間的には余裕があるが、早めに着いといて損は無い。
 席に座ろうと車両に入るが、あいにく席は満席だったため、車両を出てキャリーバックを立てる。それをイス代わりに座り、壁に寄りかかる。まあ、あまり座り心地は良くないけど、無いよりましだ。
 そのまま、私は外の景色を見る。この綺麗な景色も当分見納めだ。今の内にたっぷり見とこう。本州に着いたら会社の入社式だ。
 出来れば、北海道に在住か、経理関係の仕事を就きたかった。けれど、就職しないよりましだ。まあ、就職と言っても派遣だから不安定な所もある。だが、この会社で3年勤め上げれば道が開けれる。3年勤め上げれば正社員登用がある。そこで、自分の希望する部署に入れる。とにかく頑張るだけだ。そうすればチャンスが掴めるはず。
 絶対に出世してお金持ちになってやる。そして、幸せになってやる。

 07年5月10日
 入社式が終わって早1ヶ月が経った。今はとある自動車工場にいる。
 会社からは約一週間研修を受けた。研修の内容は就業規則の内容と工場内の安全についての講座だった。
 ああ、そういえば、工場での一般的な実技もやったなあ。正直、派遣会社なのに、よくそこまでやると思った。まあ、この研修が役に立った事は今の所一度も無い。
 就業規則は有事の際くらいしか使わないから仕方ないが、安全研修と実技に関しては役に立たないのは問題だろう。きっと、適当な安全研修や実技で派遣先を誤魔化そうとしている気がしてならなかった。それとも、他の派遣先では役に立っているけど、自分の所はたまたま使わないだけなのかもしれない。今度、気が向いたら研修の時に友達になった人にでもメールを打ってみるかな。
 その後、研修を終えた私は会社で借り上げたアパートに移った。派遣先から自転車で大体30分くらいの場所だ。そして、駅がすぐ近くにあるから、街まで遊びにいけてかなり便利だ。
 その後、会社側の都合で派遣先の勤務日が決まらず、2週間位休みになってしまった。一応、その間はお金が保証され、とても優良な会社だと思った。普通なら払わない事が当たり前だ。
 その間に同じ勤務地になる予定の人間が、とある会議所に集められた。今まで、あまり見ていなかったが、自分も含めて8人はいる。年も20代前半で対して自分と変わらなかった。
 そして、集められた人達は好きな席に座り、担当者が来るまで仲の良い人と雑談していた。自分も雑談したいと思ったが、残念ながら両隣の人間とは話した事はなく、特に左手にいる人はいかつい顔をしていて話し掛ける勇気が無かった。雑談をしているグループを見ていると自分の要領の悪さに恨めしくなる。
 そして、数分、経った頃。営業担当者が部屋に入って来た。そこまで、騒がしかった部屋は水を打ったかのように静かになる。
 そして営業担当は真ん中の席に座り、「お客様が面接を行いたうと言うので、今のうちに面接の練習します」と言い終え、プリントを配り始めた。
 お客様と言う言葉に少し疑問に思ったが、すぐに派遣先の事だと分かった。派遣元にとって派遣先はお客様なのだから、この表現は間違いではない。
 そして、プリントをもらった自分は、それに目を通す。
 内容は自分の出身地や学歴、それと資格や趣味が書かれていた。ほとんど、会社に出した履歴書と変わらない。ただ、自己PRの所は白紙だった。
 営業担当者に質問しようかと思ったが、多分、説明されるだろうと思って黙っていた。そして、全員が配り終わった時に説明が始まった。
「えー、これから、今、お配りしたプリントを参考にしながら、お客様に話す内容を考えてください。時間は一時間位でお願いします。そして、一時間が過ぎた後は、私が適当に当て、当てられた人間は中央にある席に行き、そこで面接をします」
 営業担当から説明され、みんなが書き始めた。
 正直、面接が苦手だ。出来ればしたくない。おまけにあんな中央の席に行くと言う事は、回りのみんなに囲まれて面接するのか、
 しかし、出来ないと、かなりやばいだろう。面接で落ちたりしたら、予定の勤務先に行けなくなり、その後、出世に響くだろう。
 そう思いながら、私はプリントに書かれている項目を見た。とりあえず、出身地は北海道だから珍しさに話が盛り上がるから大丈夫だろう。学歴も経済と法律なのに、なぜここに? と突っ込まれそうだから、ここは要注意。正直に、「正社員登用制度で経済と法律を生かせる部署に行きたいからここに入りました。あまり、工場に興味はありません」なんて、口が裂けても言えない。
 だから、この辺も色々と考えないといけない。資格も、学歴と同様に法律や経済に関する資格ばかりだ。工場に関係するのは、せいぜい、玉掛けとクレーン位だ。それも、会社から指定されたから早急に取った奴だ。付け焼刃に過ぎない。とりあえず、学歴と同様、要注意。
 次に趣味は、プリントに書いてあるやつを詳しく書けば良い。あとは自己PRか、
 これだけは思いつかない。就職活動でも自己PRや志望動機でいつも悩んだ。何て書いたらいいか、全く思いつかなかった。相手の心は分かるのに、自分の心は分からない。おかしい話だ。
 そうやって悩みながら時間が過ぎていき、すぐに一時間が経ってしまった。
 担当がきまぐれに他の人を当てていた。当てられた人間は面接に自信が無いのか、ことごとく、担当者に怒られ、本番の面接でしっかりするように言われていた。
 私は運が良く、中々、当たらず、その間にも文章を考えていた。だが、段々と順番が迫り、焦り始めた。そして、担当者は当てた人間に面接の感想を述べ、次は私の隣にいる人間を当てた。
「はい」
 当てられた男は張りのある声で席を立ち、背を正しながら威風堂々で中央に歩いていた。170cmの自分より背が高く、体格が良いのもあってか、余計に堂々としているように見えた。
 少し、その人物を見入ってしまった。他のみんなは声が小さく、おどおどと歩いていく人間が多かった。だけど、彼は声に張りがあり、堂々としている。年も変わらないのに、これだけ、違うのはなぜだろう。
 その後、彼は中央の席に座り、面接が始まった。
 私はペンを止め、彼の面接を見る事にした。あれだけ、しっかりした彼がどれだけ上手く出来るか、気になったからだ。
 彼の面接はとても上手かった。
 何を言ってもすらすらと答え、担当者がどんどん突っ込んでも、よどみなく、すらすらと答えた。
 たまに詰まる事が会ったけど、けれど、上手く、「そうですね」と伸ばしりしてうまく通っていた。
 そして、彼は面接が終わり、席に座った。そして、他の人を当て、最後の面接は自動的に自分になった。
 私は先程の人の面接を参考にしたく、小声で話し掛けた。
「面接とても上手いですね。どうやればそんなに書けるんですか?」
 どうすればそんなにすらすらと面接で答えられるような事を書けるのか、気になったので聞いてみた。彼はいかつい顔をしてこちらを向いたが、けれど、それとは相反とした笑顔で答える。
「いや、見てみ、全然書いておらへんよ」と先程、担当者からもらった紙を出した。
 それを見てみるとプリントには書き足した所は、全く無く、裏を見ても文字は書かれているが、文章ではなかった。ただ、文字の羅列があるだけだった。
「え、じゃあ、何であんなぺらぺら言えたんですか?」
 正直、驚いた。文章をしっかり書いてそれを覚えて面接をしているものだと思っていたからだ。けれど、彼はにこやかに、
「ああ、言いたい事をプリントに書いて、頭ん中で適当にくっつけて文章にしただけだよ」
「それで完璧に話せるなんてですか?」
 凄い事を考える。文字の羅列は、ただの落書きではなく、言いたい事を書いていたんだ。これが面接はこういう風にするもんだと驚いた。けれど、彼の次の言葉がとても印象的だった。
「いやいや、失敗したよ。趣味の方が言葉がつまってしまったもん。まあ、自己評価で90点とこ。まあ緊張している所で100パー成功するわけが無い。だいたい、80行けば良いんだよ。けれど、100パーに近づけれるように頑張れば良い。これは物事でも通用するかもな」
 彼は笑いながらそう答えた。その笑いで彼は注意を受け、笑いをすぐに止めた。私は『80行けば良い』と言う考えに衝撃を覚えた。
 私の考えは何事も完璧じゃないといけないという考えだ。そうじゃないと成功しないと考えているからだ。けれど、彼の考え方は80点で良い。そして、100点になるように努力すれば良いの考えだ。
 はっきり言って、私とは真逆の考え方だ。特に経済の1つとして簿記を習ったが、試験ならともかく、企業でやる簿記というのは完璧に出来ないといけない。それは一円でも間違えると問題になるのが簿記だ。よく、先生が口すっぱく言っていたのを覚えている。
 だが、彼の場合はその考えで面接に成功していた。だが、私は今だに苦手でいる。この差は大きい。
 私は彼に少し興味を持った。この後、食事にでも誘ってみよう。そこでアドレス交換すれば連絡が取り合える。
 そして、私は彼と、軽く話した後、自分の番が回った。やはり、面接は散々な結果で終わり、彼の言葉が余計に印象的になった。


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