3、マラソンランナー
正午過ぎ、家に着いた。足がガクガクして玄関の上がりがまちでつまずいてしまった。奥から妻が飛び出してきた。 「パパ大丈夫」 「いやあ、歳を取ったもんだ」 思った以上に疲れている。タイムトライアルといっても12キロもあるのだから少し加減して走ればよかったと思った。 「パパ凄いね。でもね、何でそこまでするのかよく分からないけど」 「俺にも分からんよ。でもね、走ることに意味なんかないからいいんだよ。何かあったらそれ仕事みたいになっちゃうよ。それに何か連帯感みたいなものがあって、なぜか皆平等なんだよね。世の中って一応平等だけど本当はそうじゃないだろう。でもね、走っているときは本当に平等なんだよ。人間だけじゃないよ。生き物がバラバラいて、同じ空気を吸ってドタドタ走ってる。この地球を蹴るように走っているといきてるぞーっという気持ちになるんだよね」 「パパ、何かよく分からないけど変なところは蹴らないでね」 「ああ、そうする。---ママ、俊と利奈は---」 「あの二人ね、最近仲良くなったお宅へよくいくようになったのよ。あちらから遊びに来るのが多いけど、パパいつも居なくって。いつもマラソンでしょ」 「何ていうお宅」 「阿部さんて言う名字よ。お母さんもとてもよい人よ。母子家庭らしいけどね」 二週間後、またトライアルが催された。今回が最後であり後は本番ということである。会場はもうすっかり仲間意識ができており、あちらこちらで話の輪ができている。 「それでは皆さん準備運動をそろそろ始めて下さい。あと10分少々でAクラスからスタートします。あと、選手番号ですが、しっかり付けて下さい。係りがタイムを記録するときに困りますから」 「そうだ、そうだ。前みたいに間違うなよ」 俺は呟いた。 「ヨーイ、スタート」 Aグループが一斉に飛び出した。今回は皆気合が入っている。俺は5、6番だ。コースは前と同じである。グランドを2週して公園を抜けて海岸線を海を見ながら走ってマリーナでUターンして戻ってくる。 今回も公園を抜けて海岸線に出た。5、6番手というのは気が楽だ。前回は沖に浮いている小さな釣船しか目に入らなかったが、今回は遠くの地平線まで見渡せる大きな船が大海原を相手にしている。 遠くに視線を置いていると頭の後から妻か誰かの声が聞こえた。 「何で走るの」 俺は適当に答えた。 「何で走るかって、---そりゃ地球に生まれてきたからよ。犬も猫も馬も走っていやがる。だから俺も走るんだ。俺も所詮ただの生き物だ。女房のお前なんかもっと生々しいぞ。ガハハハーーー」 俺は一人ニヤニヤしながら走っていた。 マリーナを折り返し第3区間に入った。順位は相変わらず5、6位だ。 「どうしよう。順位を上げるならそろそろペースを上げないといけない」 俺が迷っているときだ。 「いやあ、頑張ってますね」 「---」 「今日も気持ちいいねえ」 「ああ」 俺が小さく頷くとそのランナーは俺を少しずつ離しだした。 「来やがった。今日は顔を見てやる」 俺はペースを上げた。よく見ると白い帽子に白いランニングとパンツに白いシューズと白いリストバンドである。前回と同じいでたちである。背番号はない。 「速い、全々追いつけない。チクショウ」 こちらがいくらペースを上げてもその差は縮まらない。縮まらないどころかとうとう見えなくなってしまった。情けない。もう地球を蹴っている気分にはなれなかった。 第4区間に入った。もうペースは上げられなかった。後は惰性でゴールまで辿り着くだけだった。俺は結局6位だった。 トライアル終了後また全体集会が行われた。 「えー、それでは皆さんまたデータを配ります。お名前を呼ばれた方から順に受け取って下さい」 今回は前回に比べて全体的に少しレベルが上がっているようだった。 俺の名前も呼ばれた。そして手元に来たデータを見た。俺は思わず声を上げた。 「なっ何だこれ」 第3区間のタイムがまた遅いのである。スパートしたところが遅くなっているのである・俺は集会が終わるのは今か今かと待った。 「えー、それでは次回3月20日が本番ということになります。今までのタイムトライアルの経験を生かして頑張って下さい。それでは終わります」 俺はこの言葉が終わるやいなや記録係の席に詰め寄った。 「あのう、これ見てもらえますか。この第3区間です。ここで俺、スパートしたんですよ。それなのにこのタイムが落ちている。前のときもそうでしたよ。ちょっとおかしいんじゃないですか」 俺は声を荒げた。 「そうですか。Aグループの23番、尾崎さんですね」 記録係は俺の胸の番号を見ながらデータ表を机の上に置いた。 「間違いないようですよ」 「そんなはずはない。俺はここでスパートしたんですよ」 「---分かりました。少し待ってもらえますか。第3区間担当者がまだ居ると思いますから」 係員はそう言い残して席を立った。俺はイライラしながら辺りを見渡した。すると同じグループのひとりと目が合った。 「あのう、私23番の後をずっと走ってたんですよ」 「---」 「それで、その第3区間ですけど、あなたどんどんペースが落ちてきて、それで私、抜こうと思ったんですけど何か様子が変なんでしばらく後から見てたんですよ」 「様子が変ってーーー俺は白いランナーがやってきて話し掛けてくるもんだから、顔を見てやろうと思ってペースを上げたんだよ」 「私は白いランナーなんか見てないし、あなたのペースは確実に落ちてたし、それにあなた何か生気がなくて見てて気持ち悪かったですよ。だから私、抜かなかったんですよ」 「---」 俺はしばらく声を失った。この人が嘘を言ってるようには思えなかった。 しばらくしてその係員がやってきた。 「どうもお待たせしました。私が第3区間の計測をしました。23番と7番のの人は続いていましたよ。だからほとんど同タイムですから間違いないと思います」 「そうだ。私がその7番ですよ。最初はずいぶん離れていたんだからあなたのタイムは落ちて当然ですよ」 先ほどの男がまた話し掛けてきた。俺は納得せざるを得なかった。 「分かりました。どうも私の勘違いのようでした」 「いいんですよ。それでは来月の大会、頑張って下さい」
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