主婦業も板についてきたと思う。 毎日の同じ繰り返しも、なんだか慣れてきた。 自分の時間の使い方を覚えれば、なんてこともない。
「…少し、お昼寝でもしようかなぁ…」 今日の空も、透き通るような青空。 窓の外には桜が綺麗に咲いている。 春の日差しが心地いい。
「彼が出かけるのが早いから、今の時間帯は眠くなるのよね〜」
主婦になってから独り言が増えたと思う。 危ないか、と思ってもそれを止められる自分がいない。 暖かな昼の太陽が窓越しに入るソファに、私は横になった。
「ん〜!気持ちいい!!だから主婦はやめられないのよね〜」
手と足を伸ばすわけにはいかず(何せ二人掛けだから)、私は小さな毛布を体に掛け、小さく丸くなった。 なんだか、ふかふかの小船に揺られている気分になり、目を閉じる。
昔から、想像するのは得意だった。 あの頃は、どちらかというと「妄想」だったわけだけれど。 携帯の着信音にも邪魔されたくなかったから、バイブに設定した。
…設定した、と思う。
携帯を握ったところまでは覚えているのだけれど、そこからの記憶がないから。
ふわふわと暖かな小船に揺られ、私は夢を見る。 幼い頃によく想像した、真っ白な犬を。 幼い頃は誰だって何かを信じていたはず。
それは私もそうで。
隣の家の屋根に真っ白な大きな犬がいた。
いや、いたら『いい』と想像して。
その真っ白な犬は、人の言葉を話して私に語りかける。
真っ白な犬は、自分を「風神」と名乗って。
幼い私は、おぼろげながらに風の神を想像して。
その白く輝く毛並みを、
その銀に瞬く瞳を、
その優しい口調を、
何度も
何度も
想像して語りかけたものだった。
「おい」
誰?
「おいって」
誰よ、気持ちよく寝ているのに。
「そろそろ起きろよ」
邪魔しないでよ、貴方は仕事に行けばいいじゃない。 今は私の大切なお昼寝タイムなんだから。
「そろそろ体を伸ばしたいんだけど」
…
「おい!寝るな!!」
…うるさいなぁ。
「…ま、いいけどよ。もう少しなら」
最初からそうやって、静かに寝かせておいてくれればいいのよ。
「お前と、久し振りに会えたし」 …?
「あの頃と変わらないな、お前」
…???
「綺麗な黒髪だ」
夫には今朝会ったはずなのに、どうして「久し振りに会えた」?
「なあ、目を開けて?」 「…うるさいなぁ…」
あまりにもしつこく語りかけられたから、目が覚めちゃったじゃない。
うっすらと開けた私の目には、眩しいばかりの光。 そして、うっそうとした緑。
「え…!?」
部屋には緑なんて、一つもないはずなのに。 引っ越す前に貰った、四葉のクローバーが生える鉢植えくらいで。
「どこ!?ここ!!」 「やっと目が覚めたか。重くなったな〜、お前」
最後の言葉にカチンと来た私は、声の主を睨むべく目を向けた。 …向けたのだけど…。
「い…犬!?」 「犬とは失礼だな。昔のお前の方が、幾分か素直だった」
目の前には大きな白い犬。 ふさふさとした毛は、太陽の光に輝いてキラキラと輝いている。 バッチリ目があった瞳は銀色。
「…ふうじん?」 「お!俺の名前、覚えてたのか〜!よしよし」
私の腰まである大きな体を寄せてきて、白い犬は目を細めてニッコリと笑った。 脱力していた私の手に、その体が触れる。 上質な毛の長いカーペットのような、その体。 心地よい低い声。
「どうみても…ケンスケじゃないよね…?」 「誰がお前の夫だよ!まったく、人の男なんかと姻を結びやがって…」
目を細め、今度は怒っているようだった。
「コレは夢!?」
私は必死に目を瞑って、手に残った毛の感触を消そうとした。
冗談じゃない!
また、こんな話をしたらケンスケに笑われる。
君はいつまで経っても夢を見ているんだね。って。
もうオタクは辞めたの。卒業したの。
これからは暇な主婦を目指すんだから!
「眠ったって無駄だぜ」
少し、白い犬の声が遠くなる。
「お前と俺との時空は、また繋がった」
目の前が黒くなる。
「また前みたいに俺はお前に会えるんだ」
足元が崩れ行く感覚に襲われる。
「じゃあな。明日また会おう」
意識を失う直前、白い犬は『幼い頃』のように優しく囁いたようだった。
「今度こそ、私は傍にいよう。何があっても、守る事を誓う。…… 馨 」
それは、久し振りに聞いた私の名前だった。
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