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作品名:クリスマス 作者:すずめ

最終回   2
二月の、私の誕生日にあわせて結婚式を終えると、彼は、
「君の田舎で暮らそう。農業やりたいんだ」
と、言った。

 冗談だろうと思ったら、本当に仕事を辞めて、四月には私の実家に引っ越した。
 農業は甘くない、農業じゃ食べられないと言う私の警告を無視したせいで、彼は生まれて初めての節約生活を送っている。
 実家の父はすでに年金暮らしだから、いい歳をした娘夫婦が囓るスネなんか持ってない。彼のご両親は裕福だが、仕事を辞めるのを猛反対された時に、今後なんの援助も望まないと彼が宣言してしまっている。安定した収入が無く、貯金を少しずつ切り崩しながら暮らすなんて、私だって初めてだ。彼は五年で目鼻を付けて十年で軌道に乗せるなんて言っているが、どうなるか分からない。
 
 彼はテニスや英語は上手でも、草刈り機の扱いや肥料の散布はまったくの下手くそで、見ていられない。日焼けに弱くてすぐ真っ赤に腫れるし、蟻や毛虫にやられたら人の倍はかぶれるし、身体だって農業向きじゃないのだ。
それでも、本人は楽しいらしい。
 毎晩遅くまで熱心に調べものをしては、農産品のブランド化と独自販路の開拓について目を輝かせて語ったり、父に鎌の扱いは一人前になったと褒められたと子供みたいな笑顔で自慢してくれたり。
 きれいな空気を吸って、太陽の光を浴びて、土に触れると、心の奥底から生きているという実感が湧き上がるそうだ。
 
 ため息をついたら、息が白すぎて驚いた。
 寒くて暗くて、もう最悪だ。
 足だって痛い。久しぶりに思い出の赤いハイヒールを履いたせいだ。

 今日は、結婚して初めてのデートだった。
 クリスマスなんだから、なんて、両親が柄にもなく気の利いたことを思い付いて勧めてくれたので、二人して午後から出かけた。さびれた商店街で頑張っている小さな映画館で、古いミュージカル映画を観るだけだったが、久しぶりにおめかしをして手をつないで歩いたら、恋人時代の気分がよみがえって楽しかった。
 小さなクリスマスケーキをお土産に買って、さあ帰ろうと駐車場の前まで来た時、旦那は突然、ちょっと買い忘れたものがある、と私を残して商店街へ引き返していった。
 
「すぐ戻るから」と言ったのに。
 あいつの中ではおよそ一時間も「すぐ」のうちに入るのか?
 もう三回も携帯を鳴らしたのに、さっぱり出ない。店はもうほとんど閉まっているだろうに、どこで何をお買いになっているのかしら。

 寒い。寒すぎる。
 マンガみたいにガタガタとふるえがくる。
 通りの向こうの、ダサイ飲食店の窓からは暖かそうな色の灯りがもれている。
 私はもうすぐ凍死する。カチンカチンに凍ったケーキを抱えて、ダサイ女の子たちが「チキンとトマトのパスタ」を食べる景色を眺めながら、死んでやる。

 最低だ。最悪だ。
 全部全部、なにもかも旦那のせいだ。

 あまりの惨めさに涙がにじみかけた時、「ごめん、ごめん」と駆けてくる人影があった。
 なんて爽やかな登場。私を凍死寸前にしておきながら!

「ごめん、手間取った。寒かったよね、早く車に乗ろう」
 ええ、ええ、本当に寒うございました。口きいてやらない。
 
 助手席に乗り込んで、ケーキの箱を膝にのせていると、旦那はエンジンをかけヒーターのつまみを最強にひねった。吹き出し口に手をやるが、父が十年間こき使った軽自動車のヒーターは盛大な音を立てるだけで、ちっとも温かくならないどころか逆に冷風を吐き出す始末。
 
 なに、これ。
 
 またもや顔を出した涙をひっこめるために鼻をすすったら、旦那に顔をのぞき込まれた。ふん、と横を向いた。目、合わせてやらない。

「やっぱり、すねてる?怒ってる?」
 大当たり。
「ごめん。携帯、映画館でサイレントにしたままだったから着信に気付かなかったんだ」
 ふーん。
「ほんとに、すぐ戻るつもりだったんだけどさ。店じまいが早すぎるよ。まだ六時過ぎなのに、ほとんど閉店して無人」
 それ、田舎の常識ですけど。
「商店街の向こうの端まで行ったら、一軒シャッター閉めかけてるところがあってさ。しぶるおじさんに頼み込んで、売ってもらった」
 何をそんなに急ぐ買い物があったのかと責めようと思って旦那の方を向くと、彼は大きな青い缶を持って、にっこり笑っていた。
「プレゼント」

 徳用サイズのハンドクリームだった。昔ながらの、あのおなじみのやつ。
 
 彼は、蓋を開けて指ですくい、私の右手を取った。
 うわ、氷みたいじゃん、とか言いながら両手で包み込むようにして、手の甲と手のひらと、指の一本一本に塗ってくれた。
 氷みたいにしたのは、誰よ。

「はい、左手も」
 こっちの手も冷たいな、とつぶやいて同じように塗ってくれた。温かい手で包むように、丁寧に塗ってくれた。

「はい、出来上がり。帰ろう」

 おんぼろの軽自動車がノロノロと進む。道の脇では、青いトナカイや平面的なサンタクロースがペカペカと点滅している。

 うつむいて、ケーキの箱の上の手を見た。
 氷みたいだったのが人間らしい体温が戻って、ハンドクリームが染みこんで、薬指のカルティエがほんの少し、居心地よさそうになった。

 横目でハンドルを握る旦那の手を見た。
 去年より、少しだけ指の節が太くなって手のひらが分厚くなった気がする。
 乾燥して、逆むけだらけなのは私と一緒。

 寝る前に、ハンドクリーム塗ってあげようかな。

 なんだかまた目頭が熱くなったので、慌てて横を向いて窓の外を見上げると、羽根のように大きな雪がヒラヒラと舞いはじめたところだった。


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