「キィィィィン。」
聞こえぬはずの鈴の響音。
怒号、叫声、炎音、弦音、あらゆる雑騒音の最中であった。
しかし、独りの若武者の耳には確かに響いていた。
「似合わぬ音よな、新介、聞こえたか。」
新介と呼ばれた男、鎌田新介は若武者に言う。
「確かに聞こえました。なんとも澄んだ音(ね)ですな。」
若武者も、この鎌田新介という男も相当な胆力を有していた。
舞台は「二条新御所」、1582年の本能寺の変の第二の戦場であった。
既に、本能寺を攻略した惟任光秀はこの二条新御所に侵攻していた。
明智方の勝利は確実であった。軍装万全、士気も頂点のこの狂勢には今のところ向かう
処に敵は見当たらない。
その、明智勢と相対している若武者というのがこの「織田信忠」であった。
「新介、叔父上は上手く逃れたかのう。ワシには腹を召せと言っておいでだったが
叔父上は逃走したようだな。上手く逃れられればよいが。」
信忠が言った叔父というのは「織田長益」。信長の弟であり、この二条新御所に信忠と
共に妙覚寺から篭城していた。本人は信忠に
「最早これまでのようだ。信忠殿、ここは見事に果てるがよい。」
そう言って信忠に自刃を推したのであった。
しかし、長益は前田玄以と共にこの二条新御所から逃走し見事成功することになる。
自刃を促された信忠自身は、全く逃走することなどは頭中になく、己の最期となるこの
神聖な場所で奮迅していた。
そして衆寡敵せずの状況になり、それではというころあいで、鎌田新介に介錯をさせよ
うというところ、先ほどの鈴の音であった。
「キィィィン。」
再び聞こえたその響音と重なる様に声が放たれた。
「信長公がご子息、左近衛中将、信忠様とお見受けいたす。」
慇懃に問うた。先ほどまでこの場に人間などは存在しなかったはずである。
しかし、信忠は冷静なままで答えた。
「此処に来て物の怪が出おったか、それにしてもこう、上手く人に化け居ったな。」
声の主は返す。
「大したものだな、良く似ている、お前の父御に。あの男もその様な物言いだった。」
「何。御館様と会うたのか。何処におる。」
「俺が送ってやったさ。ただ、骸は誰にも渡さぬようにしてきた。」
男がそういった直後に一筋の刃の煌きが襲った。鎌田新介である。
しかし、太刀は届く事は無く男は消えた。
その代わりに背後でその攻撃に対する答えが返った。
「お前が来るとは思わなかった。おい、信忠。何故にお前が斬って来ないんだ。」
信忠は長めのため息を吐きつつ言う。信忠は悟ったのだ。
「この際(きわ)に父上の死に怒したとしても何も変らぬ。ワシもすぐに行くのだし
な。そなた、禁時師であろう。まさか、真に居るとはの。」
「殿、こやつは御館様を殺せし者ですぞ。何を言いなさるのか。」
鎌田新介は怒りで我を失いかけていた。
「新介、禁時師じゃ。控えよ、禁時師の刃は受けねばならぬ。小僧のころにそう聞かさ
れておったであろう。」
「信じませぬ。今の某の太刀を交わしたのはマグレで御座る。マグレなれば・・・」
そう言い放った時、部屋の障子は蹴破られ、明智勢の狂兵が声にもならぬ叫びと共に
進入してきた。太刀と槍、それぞれを持った殺しに飢えた男達が五人である。
入ってきた、襲い掛かってきた、確かにその場にいた二人の織田方の男達は確信した。
そのはずの、その刹那。独りは首を飛ばし、独りは縦に体を割られ、後の三人は
横凪に体を斬られ分断されていた。
五人が一気に「死」を迎えたのである。死んだ事など気が付いていないのか、横に斬ら
れた三人の足は前進を続けていた。
その前に立っていたのは、禁時師、風鳴であった。鈴の音と共に鞘に収まった刀身は
ここでも妖しく揺らめいていたのである。
そして、鞘に収まると同時に上からは拭いの紙片が降り注いだ。
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