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作品名:雪の結晶 作者:rabi

第1回   雪に埋もれて
指は、少しだけ動かせる。厚手の手袋。
ゆっくり動かした。少しずつ動かす。それを何度も繰り返した。
両肩を押さえつけられるような感覚。かなり重い。ギュギュギュと全身に喰い込んでくる。両耳も塞がれて、冷たくて感覚がなくなり、音も聞こえない。
足は?力を入れて見たがビクリとも動かない。足も動かせない状態。
息が苦しくなってきた。両頬に冷たい感触。
それを振り払うようにもがいて、首を振ったが動かせたのはほんの数センチ。
私は今、雪に埋もれている。
息がしたい。思い切り息がしたい。思考がボンヤリしてきた。
 私、このままじゃ……
息がしにくいままじゃ……
死んじゃう。お願い。誰か……助けて。

永年思い焦がれて、初めて見る事が出来た雪山。それだけで十分だった。
こんな綺麗な世界があるのかと、身体中で雪の積もった風景や、空気の冷たさに感動してはしゃいでいた。辺りを見渡せば、当然ながらの雪、雪、雪。真っ白な風景。
雪を見慣れた地元の人たちからすれば、滑稽に見えるだろうが、そんなのはお構いなしで、素手で触って、丸めて見たり、指で穴を開けてみたり。子供みたいにはしゃいでいた。
同じ職場の同僚三人。休暇を利用して、二泊三日のスキー旅行を計画。おしゃれなペンションを予約して最高の思い出を作るはずだったのに。
スキ―などした事のなかった私は、経験者の二人には同行せず、宿泊先のペンションで、雪を見ながら好きな写真を撮ったり、辺りを散歩したりと雪を満喫していた。木に積もった雪さえ珍しくて、何枚もカメラに収めた。
暫く歩いて、少し寒くなって来たのもあり、一回ペンションに戻り、中で売って有るお土産でも見ようかと、玄関の重い木目調のドアを押そうとしていると
「ソリでも貸しましょうか?」
ペンションオーナーの弟さんで、ペンションの手伝いをしている、大峰孝也に声を掛けられた。
彼ははっきりした二重の目に、やや金色がかった茶色の瞳。サラサラの長めの髪に、雪焼けした肌が健康的で、私は思わず見とれてしまった。そして、その、ゆっくりとした口調が、どちらかと言えば人見知りの激しい私にはとても安心するものだった。
そんな彼に声を掛けられて、運動音痴の自分なのに思わずソリを借りる事にした。
「すいません。お借りできますか?」
「いいですよ。このペンションの裏手の納屋に置いてあるので、持って来ます」
そう言いながら、担いでいた、暖炉用の薪の束をその場に下して、ペンションの裏手へと歩き出した。
彼の足元には、茶色の小型犬が纏わり付くように走り回って、彼を追い掛ける。
私もその犬同様、彼の後を小走りで追った。履き慣れない長靴で雪に足を取られながら、彼の入って行った納屋へと向かった。
小型犬は納屋のドアの所で、ちょこんと座って彼が出て来るのを待っている。私はそんな小型犬の横にしゃがんで、クリクリとした目を向けるその犬の頭を両手で撫でた。
「クーン、クーン」
何とも可愛いく鼻を鳴らして、パタパタと尻尾を振る。
「かわいいね」
「クーン」
「いい子だね」
「クーン」
とても懐いているその犬の背中を撫でていると、彼がソリを担いで納屋から出て来た。
今まで私に撫でられていたその犬が、彼の足元へと駆け寄った。
「可愛い犬ですね。何て名前ですか?」
「こいつ?アポロって言うんです」
「この犬、変わっていますよね。毛並みの色がとても綺麗です。ポメラニアンでも無いし……」
「雑種なんですよ」
「雑種?」
「クーン」
「それにしても、全然吠えないですね」
彼が、ソリを肩から雪の上におろして、
「こいつね。知り合いにゆずって貰ったんですけど、その知り合いが中国に住んでいて、アパート主に内緒で飼っていたらしくて、吠えないように躾けられてね。だから、今でも吠えないんです」
「クーン」
「そう、アポロは中国にいたの。吠えないアポロは賢いね」
そう言ってまたアポロの頭を撫でてやった。
「クーン」
そんな私たちに、彼が優しく微笑みかけた。
真っ白な風景に彼の微笑んだ顔がとても眩しかった。サラサラの茶色掛った髪が風に揺れる。穏やかな空気を纏った人。
こんな広々とした雪景色の中での生活が
人を穏やかにするのだろう。この澄みきった空気と青空がとても良く似合う人。
(かっこいい)
私はその照れた顔を隠すように、アポロに顔を近づけた。
「クーン」
(アポロのご主人様はカッコイイね)
アポロを引き寄せて心の中でそう呟いた。
「このペンションからは、なだらかな坂になっているので、ほんの二十メートルぐらいなら、滑れますよ。スキ―をしない子供たち用に、そのようにコースを作っているんで」
孝也が指を差した方を向くと、確かになだらかな坂になっている。子供たち用には少し引っ掛かったが、時間を潰すには丁度いいだろう。私は孝也からソリを受け取った。
思ったよりソリは楽しかった。大人の私でも十分楽しめた。雪の坂道を歩くのは結構きつかったがこんな機会は暫く無いだろうと思い、童心に帰ったように何度も登っては滑りを繰り返した。
スキ―もスノボーも出来ない運動音痴の女。最初はみんな出来ないんだからと、同僚の二人に言われたが、スキ―道具を担ぐのさえ大変に思えて、直前まで迷っていたが結局一人、ここに残る事にした。
そして、気が付けば陽が傾きかけて来ていた。ソリから降りて、孝也にソリを返そうと引き摺りながらペンションに戻ると、玄関のドアが開いてオーナーの大峰博也さんが丁度出て来た所だった。博也さんは私に一回二コリと笑い掛けて、表に停めてあった4WD車に乗り込んで、何処かへ出て行った。
さっきの納屋に向かうと、入口で、アポロが尻尾を振ってチョコンと座っていた。
孝也が中にいるのだろう。私は開かれている納屋のドアを覗き込んだ。人影が見えた。でもその人影は、一人ではなかった。重なったまま、動かない。不思議に思った私はその人影をジッと目を凝らして見詰めた。
そして、息を飲んだ。
孝也がオーナーの奥さんである大峰早百合さんを後から抱きしめていたのだ。
納屋の中は薄暗くて、ボンヤリとしか見えなかったがその影は明らかに二人のものだった。
私は咄嗟に身を隠した。
「孝也……離して」
「ごめん。暫く、こうしていたい」
「孝也……」
「俺は……あの晩の事が……今でも忘れられないんだ」
「あれっきりで諦めるっていったじゃない。だから……私は……」
「そんなに割り切れないよ。俺は義姉さんがまだ……忘れられないんだ」
私はそっとその場を離れた。
すっ凄いもの覗き見してしまった。
カッコイイって思っていた孝也さんにいきなり失恋だ。
早百合さんは線が細くてとても綺麗な人だったが、しっかりとオーナーを支えて、ペンションを切り盛りしている人だった。
夕べオーナーが自慢げに、早百合は若い頃は女優だったと話していた。それは冗談では無くて、本当に頷けるくらいに綺麗な人だった。そんな早百合さんを孝也さんが好きになるのも分かる気がした。
私はそんな二人から少しでも離れようと、ソリ用の坂道コースからも離れて、木が生い茂る山の中へと入り込んでしまった。その場所から見上げると、ペンションの屋根が見えていたので私はそのまま木に凭れて腰を下ろした。雪の上は直ぐに冷たくなってきていたので、バカな私は引き摺って来ていたソリの上にお尻を乗せた。
それが……間違いだった。
私はバカだ。あの二人を見て動揺していたのもあるが、それにしてバカだ。
ソリは斜面を勢いよく滑り出し、私を乗せたまま急斜面を猛スピードで滑った。止まらない。ブレーキなんか無いのだから。ソリは止まらなかった。
人間、咄嗟の時ほど、何をしていいのか分からないようだ。
「あー。あー。あー。ぎゃー」
どれほど滑ったか分からなかったが坂道コースよりも、何倍もの時間を滑ったように思えた。
そして、よくマンガに出て来るみたいに、物凄い音を立てて、大きな木にぶち当たって、上から大雪が滝のように、覆い被さって来た。
ぶち当たった拍子に足を怪我したみたいで最初は足の痛みが走った。ジンジンしていた。
そして、今のこの状態。
私は……このままじゃ死んじゃうんだろう。
そうか……死ぬんだ。
恋もしないまま死ぬんだ。
高校を卒業して、そのまま地元のホテルに就職して、ホテル内のお土産物の販売の仕事に付いて、早く彼氏が欲しいと思っていた矢先にこれだ。
あぁ。最悪だ。
短い、面白味もない人生だったな。
どうしていつも私は上手く行かないんだろ。
運動音痴で、大して頭も良くないし。
顔だって平凡だし。
男の子に告られた事もないし、親の顔色を伺いながら、悪い遊びもしないで、真面目ではなかったけど、それなりに勉強して、就職して。
こんな所で死ぬのなら、いっその事、不良にでもなって、色んな男の子と付き合ってれば良かったな。
折角理想と思える人に巡り合ったのに、即、失恋した上にこの有様だもの。
神様なんていないんだ。
何処にも私を救ってくれる神様なんて……いないんだ。
「クーン」
「?」
「クーン」
「?」
「クーン」
ガサガサガサ。
息がし易くなった。
薄く目を開けると、アポロらしき犬が私を見ていた。アポロが私の顔の辺りの雪を掘ってくれたのだろう。
「クーン」
そっかぁ。
アポロって吠えないんだった。
ねぇ。アポロ。ワンって言ってみて。
ねぇ。お願い。ご主人様を呼んで。
「クーン」
私はアポロに鼻を舐められた。
今は遊んで上げられないの。顔しか出てないから。
「クーン」
アポロ……ワンって言ってよ。
「クーン」
アポロー。犬ならワンだよ。
「クーン」
どうしよう、眠くなって来た。
辺りは真っ暗闇。
身体は寒くて冷たくて感覚がない。
アポロ。私、眠っちゃう。
確か……凍死って……眠るように死んじゃうって聞いた事があるな。
このまま眠っちゃうと……死んじゃうんだ。
いずれ人間は死んじゃうんだから、苦しまずに死ねるだけマシかな?
「クーン」
アポロ……
一人きりで死ぬよりいいか。
犬でも傍に居てくれるんだから。
私はもう一度目を薄く開けた。
「クーン」
辺りは静寂の闇
アポロの気配は感じるけど
顔が見えない。

そして……その静寂の闇の中で

「アン!!」

アポロの声が静寂を切り裂いた。

「アン!アン!アン!」

アポロが吠えた。
吠えないアポロが……吠えた。

身体が徐々に軽くなっていった。
重く圧し掛かって来ていた雪の重みが徐々に消えて
身体が楽になった。
誰かに腕をガッシリと掴まれた。
そして、誰かが私を担ぎあげて、その広い背中に背負った。
広くて温かい背中。
私はその背中に頬を寄せたまま、ゆっくり瞳を閉じた。
何て心地いいんだろう。
朦朧とする意識の中で、広い背中にゆさゆさと揺さぶられた。
「ハァ、ハァ、ハァ」
「クーン」
「ハァ、ハァ、ハァ」
「クーン」
荒い息使いと、アポロの声が交互に聞こえた。
私が滑り降りて来た斜面を、今、登っているのだろう。
私を背負ったままで。
体重、40キロの私は重い方でも無いけど、それでも、米俵40キロを持っては、坂何か上がれやしない。
でも、この人は、力強い足並みでザクザクと斜面を登って行く。
何て、力強いんだろう。
死にかけていたけど……幸せだぁ。
だって……この背中は……孝也さんだもん。
「クーン」
アポロ……見つけてくれて有難う。
カッコイイ孝也さんのものだもん。
「ハァ、ハァ、ハァ」
孝也さんの荒い息……色っぽいなぁ。
「クーン」
アポロ。
お前のご主人様は、カッコ良くて、力強くて、素敵だね。
「クーン」
今死んでも本望だぁ。
私はそう思いながら意識を手放した。


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