「キャアアーッ、正俊さん、やめてーっ」 「放せっ、放してくれえ〜! どうせ俺なんて、代わりが効く消耗品なんだっ。このまま会社の道具として一生を終えるくらいならっ……」 「早まるな、相河っ。酒の勢いで人生を決めてどうする!」 「そうだよ! 君の人生、それでいいのか?!」 なにやら向こう岸が騒がしい。気を取られたトシの手から放たれたボールは、マサが居る位置より、はるかに後ろへ落ちた。なにやってんだよう、とマサが白球を拾いに走る。 「ああ……うん。わりぃ」 トシは上の空でマサに謝った。マサが文句を言いながら駆け寄ってくる間も、対岸の騒ぎから目を離せなかった。トシの視線の先では、さっきまでバーベキューに興じていた大人たちが、川に身を投げようともがく一人の男を、必死で押さえつけている。つまらないサスペンスドラマのような光景だ……とトシは思った。 「アハッ。なにあれ、だっせぇの!」 無邪気に笑い、マサがトシのとなりにヤンキー座りをした。正午過ぎの日光に照らされ、染色された髪がきらきらと輝いた。まばゆい金髪はセーターの若葉色によく映える。 手の中でボールを弄びながら、マサはトシを見上げた。 「これで舞台が崖っぷちだったら、完璧に火サスだよな〜。船越でてきちゃうよ」 野球帽を目深にかぶり直し、トシはまばゆい笑顔から視線をそらした。何の気なしに目の前を流れる川を見つめる。太陽を反射する川面は透明に澄んでいて、魚の姿がないことが不思議なほどだ。 坊主頭を支える首を中指で掻き、トシは気のないそぶりで呟く。 「……本気かな、あいつ」 「まっさかぁ。一夏の恥ずかしい思い出が増えるだけだろ。それでオシマイよ」 「でもさ、カオ真っ赤だぞ。かなり必死に見えないか?」 「優しいね〜、トシちゃんは。酔っぱらいが心配なあまり、キャッチボール中断、これにてゲームセット! ッスか?」 「だってさ……」 口ごもったトシの腿を、マサがはたいた。ぱーんと景気良く肌が鳴った。トシは驚いて情けない声を上げた。目を丸くして背筋を伸ばすトシの姿を見て、服が汚れるのも構わず、マサは川原に笑い転げた。白い砂ぼこりがもくもくと湧いた。 「なんだよっ。おまえは気にならないのかよ!」 「平〜気だって、トシやん!」 マサは、目尻に浮かんだ涙を手の甲でぬぐった。あぐらをかくと、睨みを利かせるトシに、へれりと笑いかける。 「死にたい、とか、死んでやる〜! とか。わざわざ宣言するやつって、まず自殺しないよ」 「……なんでそんなことわかるんだよ」 マサの口から自殺という単語が出てきたことで、トシは少なからず動揺した。眉間にしわをよせ、唇を噛む。 帽子のツバをさわり目を隠したトシの姿に、マサは苦笑いを浮かべた。 「だって俺がそうだったもん」 マサは、頭上に浮かぶ欠けた輪をちょいと撫でた。同様の白いものが、野球帽の上にも浮遊している。しかし、トシのそれはマサとは異なり、産まれたての卵のように、ヒビひとつ見当たらない。 手の中のボールに視線を落としてマサが言った。 「本当に生きるの辛くなっちゃったやつはさ、死のうなんて考えない。 ……いつも目の前に、死ぬかもしれないって恐怖が迫ってるんだ」 ほら、とマサが指をさす。トシはちらりと向こう岸に目をやった。騒ぎはいつの間にか収まっており、微妙な空気の中、バーベキューが再開されている。 トシはきつく唇を噛んだ。恨めしいと感じた自分が恥ずかしい。未練があるから、俺にはまだ迎えが来ないんだ。必死にそう戒めた。 しかし、恥を感じてもなお、死者が生に再チャレンジできないことに、悔しさを堪えられない。 トシは、射殺さんばかりに、向こう岸のバーベキューを睨んだ。 「あーあ!」 マサが大きなため息をついた。ふとトシが見下ろすと、マサは、立てた片ひざにあごを乗せていた。 「いいよな〜、バーベキュー。死んだらキャッチボールしかできないなんてさ……。知ってれば、俺もがんばって夏まで生きたかもしれないのに!」 なんの臆面もなくマサは向こう岸を羨んだ。マサの朗らかさに、トシの頬は自然とゆるんだ。唇に立てた前歯も、静かにしまわれていた。 バーベキューが終わり、大人たちが撤収したあとも、キャッチボールは続く。白い二つの輪よりも高く、ボールが飛ぶ。青空に弧を描く白球からは、二人分の輪っかが、よく丸く見えることだろう。
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