―リム、若者に語る―
*東京の中学校にて(2003年)
やあ、東京の中学生のみなさん。私は、こちらの世界の、様々な時代と場所を旅してきた、異世界からの旅人です。
そんな、おかしな顔をしないで下さい。まあ・・頭の呆けた哀れな老人の戯言だと思って聴いて下さい・・・。
どうでしょう、みなさん。人生は楽しいですか。退屈ですか。それとも苦痛ですか。
みなさんほどの年齢になると、もう世の中の大体のことはわかっているのでしょうね。それなのに大人達はそれを認めてくれず、みなさんはひどく苛立っていることと思います。私はどちらの味方でもありませんが、まあ、今はみなさんの立場に立って話させていただこうと思います。
みなさんは、疑問を感じ始めていることと思います。今まで自分たちに偉そうにものを語ってきた大人達が、みなさんの隠れたところで不正をしていたり、みなさんに決まりを守ることを強要してきたその裏で、自分たちが決まりを守っていなかったり・・・。そういう大人の真の姿を知っていくうちに、みなさんは、このように考え始めていることと思います。「大人は、嘘つきなのではないか」と。
正直に答えましょう。その通りです。世の中のほとんどの大人は、嘘つきです。知らないことを知っているといい、知っていることを知らないなどと言っています。「そんなことはない」と否定する人がいれば、その人もまた嘘つきです。何をもってそう断言できるのかと尋ねてごらんなさい。
しかし、その嘘つきな大人たちも、かつて彼らがみなさんのように若かった頃は、社会の不条理な決まりごとや、世の中の大人の不正に対して、みなさんと同じように、疑問や怒りを抱いていたのです。
しかし、大人になるにつれ、それは次第に失われてゆきました。彼らは成長して現実に向き合う中で、多くの挫折や失望を繰り返しているうちに、かつての若い頃の自分を「現実を知らない無知なロマンチストであった」と見下すようになってしまったのです。
そして、自分は現実の厳しさを知り尽くしたような気になって、夢と希望に満ち溢れる若い世代を、無知で愚かな青二才であると馬鹿にするようになります。こうして、自分が若い頃になりたくなかったような大人に、とうとう自分がなってしまったのです。 今までの歴史は、ずっとこれの繰り返しでした。
みなさんは、この繰り返しを変えなくてはなりません。 ものごとを変えるには、まず、皆さん自身が変わるようつとめなくてはいけません。外に変わるよう求めてはいけません。だから、私は、みなさんが変わるためのお手伝いをするために、今日ここにやって来ました。
みなさんは、どうするべきか。どう生きるべきか。
多くの大人達がみなさんにこれを教えてきました。「君達はこうするべき」、「君達はこう生きるべき」であるとみなさんに説き、それに従うよう強要してきました。
しかし、世の中には、そんな決まりごとはありません。正しい生き方も、間違った生き方も、ありません。やらなくてはならないものも、やってはならないものも、ありません。 大切なのは、みなさんがどう生きたいか、です。みなさんがどうしたいか、です。
例えば、「法律で定められているから、人のものを盗んではいけない」という人がいたら、その人は自分がどうしたいか、自分がどう生きたいかがよくわかっていない人です。その人は、自分が選択したり、決断したりする基準を、自分の心にではなく、法律に求めているからです。もし、人のものを盗んではいけないという法律がなくなったら、その人はどうするのでしょうね。
みなさんは、何故人のものを盗んではいけないかと問われたら、「別にいけないことはない。ただ、僕はそれをしたくないから、やらないだけだ」と答えることができるようにならなくてはなりません。
そもそも、人のものを盗んではいけないと、多くの人は言いますが、その人は、その「自分のもの」を、一体どこから得たのでしょう。
例えば、私は今ここに服を来て立っていますが、この服は、本当に私のものなのでしょうか。確かに私はお金を払ってこの服を買いましたが、「相応のお金を支払えば、それはその人のものになる」と決めたのは、人間です。この服の値段を決めたのは、人間です。人間がいない頃は、そんな決まりごとはありませんでした。この服は、もとから地球にあった材料だけを使ってつくられたものです。一体誰が、地球にあるものは自由に使っていいと決めたのですか。許可を得ずに地球のものを勝手に使い、それで自分たちの勝手に決めた法律で、ものの所有権を主張しているなんて、あまりにも勝手が過ぎるとは思いませんか。いいですか、みなさんも持ち物は、全部、地球にあったものを人間が勝手に使って作られたものなのです。それこそ、地球のものを盗んだと言えるのではないでしょうか。
地球には法律などありませんから、地球のものを盗んでも罰せられることはありません。しかし、人間には法律がありますから、人のものを盗んだら、罰せられます。「人のものを盗んではいけない」と決めたのは、人間なのです。
では、何故わざわざそんな決まりごと作ったのでしょうか。
それは、人間が、全ての人が、平和に暮らせることを願っているためです。
地球にあるものは、自由に使ってよいのです。もし神様が地球にあるものを使ってはいけないというのなら、我々をお創りになっておきながら、とんでもない無理をおっしゃっていることになります。我々は生きていくには、地球にあるものを使わなくてはならないのです。ですから人間が―まあ、所有権を主張すること自体がおかしな話なのですが―多くの人間がこれは自分のもの、あれは他人のものという意識を持って生きている中では、平和で生きていくために、法律が必要となります(法律のある社会では、必ずそれを破る者があることに、なかなか気づきませんが)。 法律は、不器用な人間達の、平和の願いです。矛盾です。平和な世界への、不器用な愛情です。法律がすべてでないことは、みんな心の底では知っているのです。
法律を破ってはいけないことなどないのです。ただ、それは人々が、平和を願って作り上げたもので、みなが平和な社会を実現するためにそれを守っているものです。そういった努力を踏みにじったって、いい気分がするはずがありませんね。 だから私は、人のものを盗むなどといった、いわゆる「悪いこと」をしないのは、法律がそれを許さないためなのではなく、ただ私がそれをしたくないだけなのです。 これは、思いやりでも、道徳心でもなんでもありません。単なる私の利己心です。誰かのものを盗んでもいい気持ちがしないからしたくないだけだという、私のエゴです。 だから私は、この社会から法律がなくなり、人のものを盗んでも罰せられないようになったとしても、決して人のものを盗んだりはしないでしょう。人のものを盗んで、盗まれた人が悲しい思いをするのが、自分にとっていい気分がしないから、私は人のものを盗まないのです。理由は、たったそれだけです。 法律を守るのは善いことですが、法律に服従するのは、決して善いことではありません。最終的な判断を下すのは、自分です。
法律がなくなったとき、あなたは人の物を盗みたいと思うか、思わないか。それを想像してみてください。
みなさんは考え、多くのものを疑ってください。「当たり前」や「常識」といったものは、みんな嘘っぱちだと考えていただいてかまいません。「当たり前」や「常識」的な生き方などありません。みなさんは、それぞれ別々の個性や意思、考え方を持っています。みなさんと全く同じ人生を歩んだことのある人は、過去にも、未来にも存在しないのです。ひとつひとつの個人が、ひとつひとつの人生が、すべて特別なのです。どの場所にも、どの時代にも、たったひとつしかないものなのです。ですから、「当たり前」や「常識」など、存在するはずがありません。
先生方は、みなさんに「考えている暇があったら、法律のひとつでも覚えなさい」とおっしゃるでしょう。しかし私は、「そんなことをしている暇があったら、法律とは一体何かを考えなさい」と言います。
|
|