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作品名:無鉄砲が成功に繋がる世の中だ 作者:田添田

第8回   第八章・男女の役割
その夜エリナは開店來の騒ぎと成った。
光一の婚約が佐々の口から発表され父親である清三までが祝福を受け、当の光一は揉みくちゃにされて居た、お店では凛としたママ江里子も流石に嬉しさは隠しきれずに、目に涙とため潤んでいた。
「おい、皆今夜は二人を解放仕様よ、この店は三田商事が貸し切った、如何なる客も此れより入店された者は三田の招待客と見なす」
かいちょうも満面に笑みを浮かべ、一人娘の事だけに手放しで喜びを表した。
「会長もあの様に仰っておられますエリナの皆さんも二人を祝福して下さい、支配人の陽介君、今夜の請求は財務で支払います此の今田に回して下さい」
光一は一刻も早く逃げ出したく成って居たので今田の宣言を汐に皆に冷やかし野次られながら、江里子と手を取り逃れる様に店を出た。
「いや、あ参ったね、今田さんがあの様に云って呉れなければ倒れる迄飲まされて居たね」「ええ、食事、未だでしょう、?」
祝福された事が照れくさいのか何故が気に入らないのか江里子の顔は固く冷めたい表情をして居た。
「うん、でも風呂かなあ…」
「何日入って居ないの…」
何時ものムードでは無い言葉が返ってくる。「今日で五日かなあ毎日が戦箏だったから…」
「ええ、父から訊いたわ、数千億ですって…」
「お金の意識は無かった、唯数字だけを追ったり追われたりで全身全霊の凄い毎日だった」
数千億のお金と訊いて江里子は驚いた。
「商社ってそんな大きな商売が毎日続くの?」
「いや、商社の仕事では無いのだ」
「じゃ、外国で、切った張ったの仕事?」
「まさか、日本の一流企業だよ…でもそうか遣らされた事は変わらないか…」
「まあ、博打打ちなの?」
「仕事の話は止そう、気が滅入って仕舞う」

何れにしても光一は、こんな手柄話はしたくなかった、其れより男の生理は可笑しなもので一刻も早く江里子を抱きたかった、物欲しげな男の顔は敏感な江里子には手に取る様であった、江里子も光一に理屈抜きで抱いて欲しいのが本音で有った、然し前回と同じように仕事とはいえ自分を数カ月放置した事に、何か罰を与えたい、結婚しても仕事を理由に家庭を見ない様では困る、お仕置きはして置かねばと空車が通り過ぎてもタクシーを止める気配を見せず意地悪く云った。

「お腹が空いているでしょ、何か食べに行く…新宿にタンの美味しい店を見付けたわ」
「タンねえ…やはり一風呂浴びたいねえ」
光一は江里子の肩に手を回し誘う様に力を入れ体を引き寄せたが、江里子は素知らぬ振りで、足早に銀座四丁目から地下鉄乗り場に向かった。
「タクシーは道路が混んでいるわ…」
江里子は、少し気が引けるのか、いい訳がましく光一の顔を見ないで云った。
「そうか、うん、そうだなあ…」

光一は諦めた様にぼそっと言って、早く一風呂浴びて江里子を抱きたかったが、仕方無く気だるそうで不機嫌な江里子に従った。
「此れって日比谷線じゃ無いの?…」
江里子は無言のまま光一の腕を取りホームに下りて行った、江里子は自分のマンションに向かって居たのだ。
広尾の駅で降り地上に出た頃から江里子は甘える様に「ふふっ…」と笑い光一に寄り掛かり普段の彼女に戻っていた。
機嫌が直った事が光一にも分かった。

「臭うだろう、一刻も早く身体を洗いたい」
光一は本音を隠し、いい分けの様に身体の汚れを強調した。
「ええ、直ぐお風呂にするわ…光ちゃん意地悪ねえ、どんなに忙しくても電話ぐらい欲しかったわ、此の前お風呂に入りに来て以来、音信不通になって五カ月と十日よ…私の気持ち分るでしょう」
光一は無言で江里子を強く引き寄せ歩いた。駅からマンション迄通常は五分だが随分長く感じられた、三か月前に此の道を歩いた事を江里子は忘れて居ると思いながら反論をする気持ちは失せ早く彼女のマンションに行きたいと思った、互いに寄り添い腕を組み歩いて居る、衣服を通して伝わる江里子の身体の温もりが殊更欲情をそそった。
エレベーターに乗ると待ち切れない様に抱き合い七階のドアーが開くまで唇を交わした。
半分閉まりそうに成ったドアーをこじ開ける様に外へ出た、がたがたとドアーがきしむ音に二人はペロリと舌を出し笑った。

「これって二度目だわ……此の扉の音」
光一は彼女が云った様に五カ月では無く三カ月前と最初に訪れた時とで三度目である。あの時は只江里子を奪いたい、帰されてはと彼女に逆らう事無くリードされたが、今日はその心配はない、久振りに江里子の肌に触れるのだ。江里子を慣らした積りが、歳月の流れは光一も慣らされた様に思う、過ぎた月日には関係無く互いに待ち焦がれた恋の一夜は若い二人を瞬く間に甘く力強い快楽の世界へと陶酔していった。
翌日、佐々は光一の顔を見て清三に云った。
「青さん光一は若くて度胸の有る男だ、先見性も有りそうだ、此処で光一をEU市場の見聞に行かせたいと思う、新婚夫婦でなあ…」
「それでは結婚させて頂けるのですか?」
「遠慮をしていたのかい、もう決まりだよ、既に楽しんで居る…青さん後は結婚式だよ…親に催促している…まあ、そう云う事の様だ、仲人は大川さんに頼むとしよう」
佐々の纏まりの無い話振りに、光一に何かして遣りたい思いが籠って居た。
「はい、我々も承認して先に進めると云うのですね」
「光一そうだろう」
光一は悪びれる事も無く即答をした。
「はい、宜しくお願い致します」
「おいおい即答かい、手放しとは恐れ入った…まあ親だから仕方が無いか、青さん」
清三も頷き無論、異論は無かった。
当の光一は半信半疑ながら会釈して父の顔を眺めた。
佐々は、其れとは別に、光一に何かを探る様な目で訊ねた。
「光一、今の若い人はどんな人生観を持って居るのかね?」

光一は佐々の意中を謀り兼ねた、途方も無い金の動きを経験した人間の変化を佐々は知ろうとして居るのか、何れにしても光一自身が若くして得た今回の経験によって、大きく人生に対する考え方に変化が起きて居ないか?当然起きて居るに違いないと考へるのが自然だ、佐々は光一の人相の変化が気に成った、大金の圧力に屈せず、少し痩せたが澄んだ目に福よかな大らかな顔立ちを見せて呉れて居る、光一の心の揺らぎを覗きたいと思った。

「私は学生の頃から人の幸せは、幼年から社会人に至る迄文化人として常識の基礎と理解力を養う為の力を大学、社会で教わり養い結婚し家庭を作る、子供を持ち育てる喜びを味わい、其の子が成長して孫を生む、昔は其処迄が大変幸せな人生と云われました。今は曾孫の顔迄、多くの日本人は見る事が出来ていると云われています、老人社会と云われながらも、玄孫も夢では無い日本は大変な長寿国です。それは国民として誇りに思い人生として最高の幸せかと存じます」
佐々は今の日本の社会状況では無く、途方もない金の動きに馴れた事による、光一の思想、私議の変化が知りたかったのだ。
若し株の売買で先の有る光一をしくじらせては、責任の重大さ、罪の深さに苛まれなければ為らない。
「成程其の通り有難い事だ、年寄りが嬉しくなるセリフだ、君を娘の婿として選んだ事は間違って居ない様だ、不束な娘だが幸せな人生を送らせて遣って呉れ頼む」
佐々は少し安堵した様に話を娘に向けた。

清三も佐々特有の恍けた会話の一環と、其の言葉を他人言の様に訊いて居たが、光一の今の言葉で安堵して、早くから自活し、間もなく三十歳に成らんとする我が子の成長に満足、亡き妻を思い浮かべ親として満足、光一に優しい眼差しであらためて云った。
「光一、おめでとう」
光一は父が「おめでとう」と云った意味が良く分らず、自分と江里子の事で有る事に気が付く迄瞬きの時間を有した、佐々は微笑みながら光一に近付き手を出した。
「おめでとう、やんちゃな娘だが宜しく頼む」

光一は初めて自分の事で有る事に気が付きはじける様に頭を上げ深々と低頭した。
「はい、幸せな家庭を作ります、江里子さんを泣かせる事は致しません」
佐々は満足そうに頷き何度も光一の手を痛いほど握った、光一も答える様に握り返した。
数日後大川を始め今田、清三、一郎、光一、水野達二十名程で江里子の引退と結婚、祝勝会を佐々はエリナでささやかに行った。
其れは佐々の長年の願望であった江里子の銀座からの引退と、数日前の野次馬的な発表ではなく、二人の正式な婚約発表を兼ねて居た。
大川も今夜の司会と、二人の仲人を引き受けた事を発表した。
佐々は上機嫌で光一を三段跳びに値する参事官に昇進させて欧州視察を任命、パリで結婚式も挙げる事を発表、光一に功績と謝意を表した。
「今田常務、骨折りだが明日から手配を頼む費用は全て三田が持つ何百人招待しても構わん、大型ゼット機をチャーターしてパリで遣ろう、行ったり来たりで大変だが頼んだよ」
今田は当初、少し困惑した様だが主旨が呑み込め、大川に歩み寄り低頭して…
「何卒ご助力を宜しくお願い致します」
「佐々さんのお気持ちに応えられる様に頑張って見ましょう」

大川も光一に優しい眼差しを送り微笑みながら快く引き受けて呉れた。
光一は其れでも未だ何故か遠い事の出来事の様で、訳も分からず目が熱くなり佐々会長の顔がぼんやり曇って見えた。
清三も光一の運の強さも然る事ながら、時代背景の良さと、其れに乗る事が出来、有終の美を飾った光一に惜し気も無く父として、社長として褒めて遣りたいと思った。
今夜は江里子には悪いが、又、光一と二人で学芸大の我が家にタクシーで帰ろう…さすれば…きっと、ひらがなの光一の母、さなえも漢字の早苗に感謝しがてら、向こうの世から、ぶらり戻って来る気がした。
「必ず帰って来る」
清三は少し大きめの独り言を云って、照れ隠しの様に額の汗を拭った。    





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