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作品名:無鉄砲が成功に繋がる世の中だ 作者:田添田

第7回   第七章 不況の兆し 恐怖
七月後半から相場は下降気味で漸く売り方が有利に成って行った処にサブプライムローンの問題が出て八月半ばから急落した。
青野が云って居た様に九月の三陽銀行は分割にも拘らず百万跳び台に下落した。
「会長、買い戻しましょう」
「そうだなあ手じまおうか」
「連絡します」
「はーい水野でーす」
光一は可なり上気して電話を取った。間延びした水野の応対に少し苛立っ
たが何時もの事で受話器から顔を少し離して早口で買いを指示した。
「全てですか…銀行株ですねえ」
「ええ、金融株だけです、全部買い戻して下さい…三千億分です」
「はいっー」生き返った様な返事で光一は苦笑した。
間もなく威勢のいい水野の声が耳許に飛び込んできた。三十パーセント以上の利益で有る、光一は計算するのも面倒に成り、「買った、買った」の水野の報告を受け、後は父に任せて江里子の顔が見たくなった。
「一度帰って風呂に入って来ます」
「そうか、水野からの報告を聞くだけだろう、分かった今日は戻らなくてもいい」
光一は頭だけ下げて会社を出て、江里子に携帯で連絡した。

光一は今迄余りにも大きな金の動きに翻弄されていたと云っていい、損得が伴う金は心臓に良くない、寝ても覚めても重く圧し掛かる自分の体が細く痩せるのが身に滲みて分かる江里子に光一は心身ともに顔を見せる余裕がなかった。
一方、江里子は何時しか愛を教えた光一の虜になって居た、一時的な同棲でも良い、毎日顔を見られる生活がしたいと思う様になって居た、其れに江里子は、此の数十日の光一との空白は疎遠の兆しであるかの様に思えた、世界の人口の半分は男である筈なのに江里子には光一のみが男で自分に与えられた伴侶である、と己の気持ちを定めてしまって居た。
此の侭では良くない早く結婚式を挙げ新生活のスタートを始めなければと一人気を揉んだ。其れは取りも直さず光一が三ヶ月に一、二度しか顔を見せない事の不満で有り、会う度にやつれ方の激しい彼を見るに付け、命の保証すら薄らいで行く思いがした、彼を救わなければと母性愛と独占欲が入り混じり心の揺らぎが焦りに繋がって居た。
江里子は昔で云う恋病なのか食事も過食であったり一日全く受け付け無かったり、強くない酒に身を委ねる、不規則な日々が続き我ながら憐れな程光一を求めていた。
銀座の店に来る父に尋ねると…

「彼は今、大変なのだ…光一の肩に社運が掛って居る、大仕事の邪摩をしてはいかん…男の戦争をしておるとだけ云っておく」
江里子は父に何時もの、だみ声で普段見せた事の無い顔で云われて終った。
携帯に何度か掛けて見たが出て呉れなかった、やっと繋がった携帯では、矢張り疲れた声で済まなそうな声が返って来るだけで、仕事上の連絡が入るからと、電話を切らされた。
其れが今日は光一からの電話で有る、江里子は嬉しさを隠し…
「どうしたの、こんな時間に…」
又心にも無い強い言葉が出た。
「いいや君の事が気に成ってね、それに今日やっと一息つけたので連絡をしたのだが忙しい…会長にも申し訳無い、結婚式を早く挙げなければと思いながら、私もそうだが会長も父もそんな雰囲気ではなかった、それどころか命かけの仕事に追われていて、貴女の事を考えると会長の顔を見るのが辛かった、君に対する気持ちは勿論変わらない、私の妻となる人は君しか居ない、信じて欲しい」

何時もと変わらない優しい光一の声を訊き、江里子は、その優しい言葉を、ずっと長く聞いて居たかった、また理由を付けて電話を切られてはと焦り慌てた。
「嬉しいわ、光ちゃん本当に忙しかったのね、我儘を言って御免なさい」
江里子は成り振り構わず素直に光一の言葉を受け入れた。
「有難う、本当に嬉しいわ、式を挙げたからって何も変わらないけれど、お互いの年寄り達は安心してくれるわね」
江里子の精一杯の抵抗からの逆転発言である。
「あ、はは……年寄りね…ウフフ君らしい」
「それ、どう云う意味?」
会えなかった悔しさと強がりの芽が出て、仕舞ったと思いながら又突っかかる、
「いえね、父達は若い妻と仲よく過ごして居るから我々の事を忘れて居るのでは無いかなあ、此の辺で僕達の仲の良さを見せ付け様と云う一種の策略じゃ無いの?其れに親としての自覚を呼び起こし責任を果たさせ、親の気分を味あわせる親孝行を仕様と一石二鳥を考えて居るのでは無いのかねえ」

江里子にも、一切、株の事は云ってはならない、客商売をして居るだけに内容が漏れ無いとも限らない、万一漏れでもすれば事件になり兼ねない、警戒はするに越した事は無い、光一は極力普段を装い仕事の事や其の内容は一切話さない、其れだけに江里子は光一の応対によそよそしい物頼りなさを感じ不満が募っていた。

「ふふ…当たり、光ちゃんさえ良ければ六人で会食に誘って見ましょうか?」
江里子は父達を交えれば、それと無く話が訊けるのでは、エリナのママとして何等かの情報を掴み教える事が出来るのでは無いか、少しでも光一の力に成れないものかと彼女なりに考えて居た。
「うん、多分お互いの父は若い嫁さんを我々が嫌って居ると思って居るのでは無いかなあ」
「形作ってあげないとストレスを溜めながら気兼ねして居るのよ」
江里子は心とは別の言葉を喋りながら自分も年齢の事も有り同じで有ると云いたかった。
「父はお店には、あれっきり伺いませんか?」

「ええ、青野さんは見えませんが、佐々の方は相変わらず、減らず口を叩きに来るわ…腹が立つ時も有るけれど、毎晩飲み歩いて居る様で心配なのよ」
「処で今日、何となく先が見えて来たから、会長にお許しを得て広尾に行くかなあ、此処数日会社に寝泊まりして居て全身が臭う、ゆっくりしたい」

「光ちゃん、大変な仕事を仰せつかって居るんですって、父に貴方の事を訊ねたら、いちいち会社の仕事を話せるか彼は大仕事の最中だ、安心して待っていろ…って怒られたわ、よく分からないけれど大変なのね、身体は大丈夫…気を付けてね?」

「途方もない数字を追っていて何をしているのか自分の存在すら忘れる時が有る。神経が疲労しきって気が付くと眠って居る」
「頑張っている事は聞いて居たわ、逢えないの」
「うん、実は今、休暇を貰ったのだが、行ってもいいかなあ」
「其れ本当嬉しいわ、それならそうと最初からおっしゃって下されば、長電話なんかしなかったわ…ねえ、早くいらしゃって…お店は風邪で熱があると云って陽ちゃんに任せちゃう」
「薄曇りの春の日差しみたいに頭がぼっとして居て熱っぽいよ、だからと言って僕の為に店を休むって…良いのかい…」
「良いから早く、お風呂を沸かして待って居ます、ステーキも有るから支度しておきます」
会社の前からタクシーで広尾迄直行した、気の早い江里子はマンションの玄関迄出て待って居た、江里子は光一の顔を見て驚いた。
「ねえ、何が有ったの…其の痩せ方は尋常では無いわ、体重計に乗って見たの?…」
「いいや、そんな余裕は無かったよ」
「お風呂にも入って居ないのでは?」
「何とか三日に一度かなあ…」
江里子は光一の顔を見て安堵した、色々な意味で江里子を落ち着かせた。
仕事の合間を縫って自分に会いに来てくれた事、男が夢中で仕事をしている姿を見せて呉れた事、それも父の為と会社の為、可なりの戦果を上げていると父から聞いて居ただけに以前より痩身で引き締まった顔なのだが一廻り以上大きな男に見えた。
何れにしてもやっと自分の手元に帰って来た光一を、江里子は理屈抜きで愛した。

部屋に入ると後ろ手でドアーのカギを締め光一に思いっ切り抱きついた、女が、と恥じらいの気持ちは持って居た江里子だが、仕事が今は恋人さ、と云う光一に言葉や形に出来ない正体不明の焦りと仕事から奪い取ろうと嫉妬と挑戦を試み様として居た。
ひと時でも広尾に帰って来て呉れた事が、嬉しく羞恥無く江里子は光一に女の性(さが)を剥き出して光一の唇を求めた。

久しいとは云え、そんな江里子を光一は初めて見た、光一も嬉しく答えたいと思ったが、四日目の脂染みた汗の肌には勝てない。
「江里ちゃん、風呂に入れて呉れ、身体がべとべとして気持ちが悪いんだ」
「ご免なさい、変に気を回して仕舞って、もう会えない様な気がしていたの、其の侭何処か遠くへ行って仕舞うのでは無いかと思って、寂しかったの…本当よ」
光一は頷きながら、ゆっくり江里子の腕を解きながら、江里子に優しく…
「一緒に入る、…僕は不器用だから仕事と女性の二つ事は同時に出来ない性分でね、寂しがらせてご免…」
「ええ…」
江里子は優しい光一の言葉に、目頭を熱くしながら再び光一に唇を求めた。
女とは不思議な力を持って居る、光一は何となく被っていた全身の気だるさが、解れて行く様な気がした。
江里子は目を潤ませ二人して風呂場に向かった。
翌日会長の様子が朝から落ち着かずは可なり興奮して居た。
連日、何百億の札束に押し潰される様な悲痛な思いと、変に数字に慣らされた光一は金銭感覚を感じなくなって居た、そんな日が数日続き、三時一分水野から此の日の最後の電話を光一が受け取った。

「銀行株は全部で最後の九百五十億円全てを買い戻しました、総額三千二百億円です、利益は均(なら)して三十パーセント前後です」
普段は甲高い声の水野が低い地声でドスの
利いた喋り口で云った。
「過去の利益を計算しますと税引き九百九十二億ですかねえ」
「そうですか?」
光一は軽い返事をしたものの一万円札を積み上げると、どの位の高さに成るのか?と漫画チックな思いに駆られた。
「会長に代わります」
光一は水野との会話に金銭の虚しさを覚え逃れたい思いが今日もした、昨夜の江里子の肌が思い出された。

「水野君、お疲れ様…近じか美味い酒を飲もう,一生君に受けた恩は忘れん…」
佐々自身電話口に出て水野に礼を述べた。
此れで解放されると思って居た光一に、翌日水野から電話が掛って来た。
「銀行が又高く成って来ました」
傍にいた清三は光一と水野の会話の間に珍しく口を挟んだ。
「それで今幾らかね」
「はい、社長お早うございます、三陽銀行が千二百二十八円です」
「千二百二十円で売れるだけ売って呉れるかねえ」
「はい…売るのですか…下値切り上がって居ますが良いのですか?」
「構わん…何売った…では二十一円で二百万株売ってくれ、売れたら二十二円で三百万だ」
「はい、社長……二十円が出来ました、一円も出来ました、…二円も五百万株売れました、全部で八百万株です……ああ、あ、下がり始めました十八円六…五…四」
「分った其の侭で今日は終わろう」
光一は父の顔を怪訝なまなざしを向けた。
「お前にお株を取られた侭ではねえ」
「そんな積もりは有りません」
「最後位私に花をもたせて呉れ」
父は自分を認めて呉れて居たのだ、と光一は急に嬉しくなった、何んとなく笑いながら頷いた。
それから一千〇台を何回か付けたが買い戻しはしなかった。数日後、月が代わり十二月の我慢の日々が過ぎて行った。納会の朝水野から又、けたたましい声で電話が入った。
「下がり出しました千四十五円です、それにナイスの残が三十万株有ります一万擦れ擦れ迄下がりました」
「そう分りました、此の侭年を越そう」

此の売りは父の決断であったが、光一はパソコンの画面と水野の声で頭が上気して、切れそうに成ったが株を商うのは此れが最後の様な気がした。
踏ん張って見よう、真面目な父の最後の賭けと成るだろう、父の生涯最初の最後の賭けなのだ、父と顔を見合わせ顎に力を入れ頷いた。
そんな命も細る過酷な年の暮れが静かに暮れて行った。
年が明け正月とは名ばかりで相場が気に成り発会は御祝儀相場で高いだろうが、どの程度上がるか心配で有った,可なり高くなる様なら売ろう元日の屠蘇を肴に株の話で過ごした。札束だけが光一の頭に揺らぎ、其れでも広尾にも泊まり実家にも行ったり来たり池田山に迄顔を出し光一は多忙な正月で有った。

四日の発会が頭痛で恐る恐る父と二人だけでパソコンを付けた。
と、同時に光一の携帯が鳴った。
「水野です…暴落です三陽が千二十一円です」パソコンから父と光一は受話器に目を移し、
「大引けで全て清算して下さい」
水野が悲壮な大声を出し、殆ど怒鳴る様に叫んで電話をして来た。
「青野さん、終わりました、全て金融株を清算しました、百パーセントの勝ちです、一度もマイナスは有りません」
「数字はでますか?」
「明日です、今日は金額が大き過ぎコンピューウターが壊れます、あははあはは…」
電話の向こうで嬉し泣きをしているのか、甲高い笑い声が一瞬曇った様に聞こえた、
「青野さん、此の一年私には生涯忘れられない感動の年を過ごさせて頂き感謝します」
水野は、嬉しさを堪える様に、やはり泣いて居る様な気がした。
「水野さん、新年早々ついて居ます」
「ええ、本年もどうぞ宜しく、今年も有終の美を飾りたいものです」
「ええ」
「今年は少し買ってみませんか?」
「そうですね、でも売り買いの両方の勘は働きません、お勧めは有り難いのですが値上がりした物を売る様に致します」
「成程、売りの神様しか持ち合わせない分けですね…」
「はい…」
「お宅の仕事始めは五日からですね?後日大川とご挨拶に伺います」
「はいそうですか」
残念そうに水野は電話を切った。
五日の顔合わせで会長は相好を崩し訊ねた。「光一、大凡(おおよそ)利はどの位に成りそうかねえ?」会長も父も気に成るらしく光一の顔を覗きこむ様にしていた。
「済みません勝手に手仕舞いまして又上がれば売ればと思いまして取り敢えず利益の確定を致しました」
光一は何となく計算をした。
「前回が九百九十二億で、今回が十六億、合計千八億、です」
何時の間に来ていたのか今田常務が得意そうに言った、光一は笑いながら相槌を打った。
「で…幾らに減ったのだ…」
「はい、千百八億の利益です、借入金と自社株買いの三百億で千百五十億内サブプライム証券処分金が四百億、借入残高七百五十億、差し引き二百五十八億の利益です」
「うーん、そうか、アメリカもサブプライムの問題は何時迄放置する積りだろう?」
今田は佐々が気にする数字には答えず。
「税金ですが、株の利益分で十分かと…」
「慾を出す訳じゃ無いがもう一勝負遣って、何とかもう少し利益を出したいものだね」
「水野君からの報告次第だが、確実な数字が出無いかねえ?」
「不良証券は宙に浮くわけか…」
「レバレッジ分では有りませんからゼロにはならないと思います、唯アメリカ次第ですが?」
「それに今後売り場が全くない分けでは無いだろう?」
「全て紙切れに成ったのでは有りませんアメリカ経済を信じて持って居ては如何でしょう」
「うむ、そうか?」
光一は黙って佐々の目を見詰めていた。
「今田常務、ファイナンスの発行して居る証券が全て不良債権には成って居ないのだろう、お蔵入りで持つのも仕方が無いだろう、それは其れで良い考えだ」
清三は尤もらしく賛意を表した。
「サブプライム騒ぎで大変な苦労を掛けたが、やっと三田一族から解放される訳だ…よく遣った」
今田は頭を掻きながら年甲斐も無く照れ……
「実は光一君の決断力と、其の受け売りです」
清三と佐々は嬉しそうに大笑いしながら…
「光一の知恵か?うむ…上出来だ、今年は君と光一の二人舞台って事か…何か御褒美を出さねばいかんなあ」
佐々は光一の顔を見ながら娘婿に期待を寄せ云った。
「いや、未だ今年が始ったばかりだ、それにナイスの売り残しがとんでもない利益を齎(もたら)しそうでは無いか」
「お年玉に成りそうです、楽しみです暮れ高のままでは収まりません、そろそろ下がるでしょう、理由はサブプライム問題とは別に歪んだ商売の付けが来ると思います」
「では、金融株は遣らないんだね」
「はい三陽銀行の株価次第です、アメリカが減速すれば世界の株は下がります、先ず鉄鋼は売りです」
「北京オリンピックが有るぞ」
「原油高の為原料も大きく上がるでしょう、それに円高に拍車が掛かりそうです」
「ドル安か…光一」
清三は光一に再度賭けて見ようと思った、例え当てずっぽうで有っても円高は静かに進むであろう清三自身も感じて居た。

「はい此処数カ月はドルの独歩安も考えられます、一部で百円を割れる声も有るようですが原油高によるインフレがドル安に歯止めが掛る事と思います、其れに基軸通貨としての責任も問われます、日本とアメリカの景気が逆転する事態が起きれば別ですが、我が国の低金利政策ではバブルは起こらないと思いますが、EU圏が不況に成れば世界恐慌は有り得ます、世界中が過剰在庫を抱え減産に走るでしょう、不況下のデフレが気に成ります」
「今田手持ちのドルとユウロは一応売れ、商いの約定も円に切り替える様に指示しなさい、既にドル取引されたものは今日現在の為替予約をさせなさい、国内外の全営業に通達せよ、ドル決済は一時禁止、中止を即徹底せよ、青さん受注は小さ目に必ず返品して来る、在庫は持つな…徹底してくれ」
「はい,直ちに通達を致します」
「今田財務部長名で命令してくれ青さんも頼む、特にアジヤ、中国は急成長だけに危ない」
清三は会長の顔を直視して…
「その様に致します」
「うむ、遣って呉れ」

光一が司令官の様だが云われて見れば彼の推測通りだ…気が付くか付かないかだ。
「わが子ですので云い難いのですが、経済研究本部を創設されては如何ですか?」
佐々は清三を諭す様に云った、それは傍にいる光一に聞かせる様な喋り方で云った。
「私も何度も考えた、然し今世界は博打経済と云っても過言で無い程、多くの商品、食品、石油、金、その他の資源資材が投機化して居る、ペーパ―市場、つまりは投機の花盛りだ。不況下のインフレ、デフレと経済が不安定だ、スタッグレションを起しかねない、其の仕事をさせたなら、何千億の金が飛び交う、数字だけを追うネクタイと背広を着た博徒が出来上がる、そんな人間を作って良いか疑問だ、そうなると商社マンは本来の業務を疎(おろそ)かにして、楽で金額が張り儲かる方へ動くだろう、それに儲かるとは限らん」
清三は会長の姿勢に感服、光一の肩を叩き、
「良く伺って置くのだ…今後も自重して商社マンとして一人前に成るのだ」
光一は気に入らない部分が大いに有る、が会長のご意思では訊かざるを得無い。
翌日水野は電話では無く野川証券の大川社長、
志田吾郎専務、それに水野が会長室に遣って来た、水野は珍しくスーツにネクタイと盛装で甲高い声を忘れたかの様に、低い地声で神妙に挨拶を始めた、光一は吹き出したくなる気持ちを抑え、佐々と父の間に入り形通りの挨拶をした、佐々と父は大川社長とは懇意な間柄の様でお互い,然したる敬語も使わず話して居た。
「三田一族の尻拭いですって…」
「そうなのです、金額が大きから参ってしまう、お宅を頼るしか方法が見つからない」
「然し、千二百四十八億円税引きです…つまり手取り金です、水野が可なり策を弄した様ですが感服しました、流石は佐々会長です」
「そんなに有るのですか?御協力有難う御座いました、内の若い物も勉強挿せて貰いました、お陰様でもろもろの借入金も合わせて未来銀行に返済できます、本当に良い経験を挿せて頂きました、水野さん,貴方の御苦労は察して余りあるものと思います、感謝して居ます、」
大川は、吐き出す様に…
「未来の勧めでサブプライムローンの組み込まれた証券を買ったと云うじゃ有りませんか」
「ええ、スタートは全く蚊帳の外で、損失が出そうになって初めて知りました、いずれにしても監督不行届きは免れません」
「それで三田一族は如何なされました?」
「持ち株は提供して貰って、隠居の身に成って頂きました、」
「名前だけの相談役ですか…」
「ええ、でも又、彼等は何をしでかすか目が離せません」
「それは誠にお気の毒な話で?然し、つきは佐々さんに回って来ています、私達も応援しますが未来にも責任が有るのではないでか?」
「ええ、ダメ元で交渉をしてみました、ご覧下さい、売買契約書と借入金及び返済の詳細です、この様な解約即新規契約をしました、半分の証券は返却…引き取って貰いました」
「でも此の株の利益から銀行には返済されるのですね」
「ええ、借りたものは返さねば成りません」
「銀行さんは税金も今は払わずに儲けて居ます、少し手伝わせても宜しいのでは無いですか?他にも何軒か被害者が居ます」
「内だけでは無いのですか?」
大川は意味有り気に頷き、保険、証券、リテールに迄、手を広げ戦車の様な動きに、少々頭が痛く成って居る、

「郵政銀行との競争は熾烈でしょうが、立派な調査機関を持ちながら、危険と最初から云われたサブプライムに迄手を出し、他社に売る行為は、余りにも紳士的では有りません」専門の証券会社なら、リスクを承知の上販売する事も許されるであろうが、勇み足が過ぎる、大川は余程腹に据え兼ねるのであろう。
「どの位手持ちになりそうですか?」
「清算すれば買値で八百五十億です、但し今の状況では半分でしょうね」
「では未だ売り続けるのですね?」
其の時水野の携帯が鳴った。
「うん、そうか…其の儘待って…光一さんナイスが五千円を切りました…」
「えっ…全て買い戻して下さい」
「分かりました…」
水野は全ての清算を指示した」
「ご協力致すのは当然です、新会社の主幹事を挿せて頂いて居る事でも有りますから、機構の変更をしました…間もなく業績悪化では困りますからねえ」
「恐縮です,何とぞ宜しくお願い致します」
「借入金の返済額は今回の利益で何とか成りますねえ」
清三は大川達に頭を下げた。
「自社株買いも手当できそうです、そろそろ私の役目も終わります,後は若い力に任せる積りです」
佐々は意味有り気にその場を見回した。
「会長は未だお若いです…」
大川は微笑みながら別れを告げ帰った。
佐々と清三は疲れてぼんやりソファーに深く座り天井を見て居た。
「会長、大きな数字のお金が飛び交いました其れに十二三万から売って居たナイスが五千円で買い戻しました、額は三十数億程ですが二十四分の一で三十億の利益が出ます」
「そうか、お札の数字では無い様だ、然し良く遣った、皆命をすり減らす毎日で有っただろう、御苦労さん」
「恐ろしい毎日でした」
今田財務部長も無精鬚のままの疲れ切った顔を撫ぜながら言った。
「うむ、今田君、税務署は厳しく査察をして来るだろう、税務処理は任せたよ甘く見ないでくれ、今度の場合は一種の棚ぼたで金が手に入った様なもの、長引かせないで、向こうさん、税務署の云いなりがよかろう」
「はい、承知しました」

「会長、少し多めに、この際だから儲けておいた方が良いと思われます、為替は当分ドルの基軸通貨としての、信用失墜は明らかです、イラク戦争から全面撤退でも遣らない限りアメリカの景気の回復は長引くでしょう、世界の中央銀行が米国に一時的な協力はしても、急激なドル安には歯止めが見られません、九十年の様に経済評論家に云わせると百円以下八十円も有ると警告して居ます」
「そうなると、やはり輸出業と金融か?」
光一は株に付いては気に成る事が有った。

「原油が気に成ります、原油次第でインフレに成るでしょう、アメリカは今リセッションを警戒して居ます、優良株も一時は上昇しても下落トレンドを辿るでしょう、今売れるのは金融だけでは無く原料高で今三月期は何れの企業も減益かと思います、為替だけを見れば輸出の痛手は三月期以降も影響するでしょう、若し他に売れるとしたら分割後の価格を割って居るものです、金融株は先ず、二月前半の相場を見ましょう、春の相場で方向性が分かります、前半安ければ暮の納会は高いと思われます」
「もう暮の話かい…」
佐々は頷きながら少し株から遠ざかりたいと思い、光一の顔を見て取り敢えず銀座へ繰り出す事を考へた。
今夜は光一と江里子の婚約発表を仕様…と思った。
「どうだ、エリナにでも行くか」
「そうですな…今田君、光一、祝杯と行こう」
「お供します」

今田は余りいける方では無いが,流れと此の雰囲気では帰宅するとは云えなかった。
その時光一の携帯が鳴った、「失礼」見れば帰社した筈の水野からである、
「はい、……はい…そうですか、二十日過ぎ迄申しました様に待って下さい……」
株の買いの事で有った。
「水野か…エリナに来る様に云いなさい」
佐々の声を聞き光一は頷き、
「此れからエリナに行く処です、会長がお越し下さいと申して居ります、如何ですか?その時口説かれては…」

「分りました、喜んで伺います、会長に宜しくお伝え下さい」
携帯を折り畳み、光一は佐々に水野を誘った事を伝えた、光一は大勢でエリナに行く事は少し抵抗が有った、佐々の騒ぐ姿を想像して顔が火照った、其れより日本経済に暗雲が遣って来る様な気がして居た。理由としてNY
株と日本の株の値下がり率で有る、日本が三十パーセントの下落に対してアメリカは十パーセント前後で有る、中国アジアは少し弱り出したといえ、未だ景気上昇中である。円高が百円を割り込む事にでも成れば外需頼みの日本の景気は下落して来るだろう。
矢張り株は空売りからだろう。

アメリカの住宅価格の下落が想像以上と云われだした、今の金融機関はオフイスビルや住宅を取り囲み貸出、今と成っては貸しはがしと多忙だ。日本の金融機関は比較的サブプライムに関する損失は少ない様だが低金利が故に海外での融資が盛んだ。貸出先がサブプライムで損失を被っていれば被害は同じである。やはり日本の景気回復はアメリカと同様時期は短期では済まない。今後もやはり売りか…そんな事を考えながら、照れ隠しでは無いが…誰に云うと無く再び水野がエリナへの来店を告げた。
「水野さん、伺うそうです、」
光一は短く云った。


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