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作品名:無鉄砲が成功に繋がる世の中だ 作者:田添田

第6回   第六章 大博打
出社早々水野から、例のけたたまし声で電話が掛って来た。
「安く始まって居ます…どうします?」
用件だけで、けたたましさに似あわず語尾が落ち着き光一を落ち着かせる気遣いの含んだ喋り方で…売りますか?どうします、をゆっくり繰り返した。
清三は真剣な眼差しで光一と目を合わせ頷き、右手を広く下に抑えた。
「後場まで待て」のゼスチャーだ。
光一は父の指示を横目で眺めて水野に訊ねた。
「三陽は幾らで寄りましたか?…」

「以外にしっかりしています、が今百四十九…五十万です、今の相場にプレッシャーを掛ける為にも二月の高値迄売りだと思います」
「節分高と云うのですね…会長、思い切って少し売って見ましょうか?」
大声で喋る水野の声は受話器を通し光一が態々父と会長に取り付かなくても丸聞えで会長は光一の顔を見て強い言葉を投げかけた。
「うむ、最近では百五十五万が高値か?」
「私はメガバンクの夏枯れは必至だと思います百四十を切るのは時間の問題では…?」
光一と佐々の会話が受話器の先の水野にも聞こえて居る、水野の声が受話器を伝わって返って来た。
「光一さん、其の線が濃厚です、追加で一万売りましょう」
光一は佐々に向かって人差し指を立て前に突き出した、佐々は光一の勢いに吊られ仕方無さそうに大きく頷いた。

「OKです、未来バンクも五井も一万ずつ…」光一は顔を横に向け頷きながら佐々と父の顔を見た。佐々は諦めた様に両手を頬に当て頷き口をへの字に噤(つぐ)んだ。
後場二時を回っても一進一退、二時五十分に又水野から電話が掛って来た。
清三が偶々電話を取り、メガバンクの相場を確かめた。
「ほぼご希望の値で売れました、現在は売り値で推移して居ます」
清三にしては珍しく何かに取り憑かれた様に水野と話した。
「メガ三行を買い板にぶつけて…空売りと買いの両建(だて)を頼む」
水野は慌てて怒鳴る様に云った。

「専務…まじっすか?」
「メガバンク三行を一万ずつ買って売るのだ」清三は繰り返した。
「クロスして揺さぶり後の買い上がりに徹頭徹尾売り方に戻るのですね」
「そうだ、その通り五分間の勝負だ」
清三は云ってから反省した、冷静さが一瞬無く成り総額三百億近い売買に、我が意に反した大注文である事に少し慌てた。
「それから以後は光一と話して呉れ、会長もその意向だ」
清三にしては倅に押し付ける積もりは無いが
何故か過去に遣った事の無い逃げを打った。
「はい、伺っております、で今云われた様に致しますが良いのですね…」
水野に駄目押しをされ自信たっぷりに云い返した。
「ええ、いいです」
「はい、分りました、其れでは後場の引けは光一さんにご報告します」
水野も慌(あわ)ただしく電話を切った。
水野から三時過ぎに連絡が有りトータルで百億の買いに対して三百億売ったと云って来た、
「今日の上げで昨日の売りは約十億のマイナスでしたが、結果オーライです四十六万の安値引けです、云われた様に五分間の綱渡りです」
会長も清三も流石に青ざめた顔色で見つめ合い、頷きはしたものの、首を傾げて溜息を付き合って居た。
一郎は光一の耳元で掠れた声を出した。
「お前、親父達を煽(あお)って大丈夫だろうなあ」
「節分高ですよ、それに三陽バンクには関西方面での不正融資の件で制裁を受けるのは確実です、大商いが出来るのは銀行、ソフトバンク、あとは鉄ですが鉄は中国景気で売りは無理です、バンクには分割前の力は有りません、株全般の売り買いの往復で利益を生むには情報不足です、米国の金融情勢を見て危険な様で日本の金融も、昨今のナイスは売り材料に事欠きません」
光一は会長にも聞こえる程の声で言った。
会長は光一の一言一句を聞き洩らすまいと聞き耳を立て、顔は素知らぬ振りをして、二三回首を回しながら何と無く頷いた。
佐々も大金の移動だけで、其の侭損得に繋がる大博打には、光一の様な若さと無鉄砲さが必要と思い任せた物の、数字がマイナスに成ると人間の弱さが露呈される。
佐々は始まったばかりの金を追う亡者の姿を掻き消す様に、例の大きな地声で清三に声を掛けた。
「青ちゃん、今夜は皆でエリナに繰りだそうよ、どうにも遣り切れん」
「はい、命懸けなのにマイナスは洒落に成りません、一郎達もご相伴に預かりなさい」
「はい、喜んでお供します…」
光一は兄の魂胆が分るだけに自分は行きたくなかった。
「社長、私は調べる事が有ります、先輩に証券ニュースの記者が居ます、彼と約束をして居ますので今夜は失礼挿せて頂きます」
清三は光一の気持ちが分り、
「そうか、良い情報を頼むよ」
「極力集めます、いずれにしても売り屋の勝つ相場です」
それだけ云って光一は五時には未だ少し間が有るが会社から離れたい思いで退社した。
不思議な事に又三田多門と三田智之と出会った、三歩先を歩く二人に光一は黙って付いて歩いた。
「株を出せと、云って来たが出すのか?」
智之は多門に尋ねて居た。
「お前、声が大きい、蕎麦屋で会った奴が云って居たが、誰が聞いて居るかも分らん」
智之は肩を窄(すぼ)めて多門にくっ付く様に肩を寄せ合い何事か話して居た、光一は考へた、父の話では彼等には会社の株は持たせて居ない筈だと云って居たが、もし彼等が隠し持って居たとすれば株数に寄るが、彼等の名義で株を市場に流せば、期末の益出しで、売り手の多い此の月の株価は、ご多分に漏れず我社の株も下がるであろう、其れにサブプライムの問題が表面化してくれば投機筋から我社の株は大量に売られ暴落する、

此の三月期に損失額が二百億程度まで圧縮出来れば、大暴落は免れる予定だが、此の若様達の暴走で何が起きるか分らない、三田HD全体で一千億前後の無駄遣いや損失で本体が揺らぐ程軟(やわ)くは無いのだが、此処で彼等に勝手な事を遣られては悪い結果は明らか、噂が噂を呼び間違いなく株価を押し下げる、小さな事でも悪い事は大きな噂となる、彼等のお陰でどう変わるか分かった物では無い、何とも三代目は太平楽な苦労知らずの倅さん困ったものだ。
此の侭だと二人は恐らく安直に野川証券に話を、持ち込む積りだろう、さすれば水野が窓口だ…光一は父、清三に電話をした。
「今、偶然に多門さんと智之さんの後を歩いて居ます」
「それで…?…」
「はい、我社の株を売る相談をしています…今水野さんが一人で我等の行動を外部に漏れない様に抑えて呉れて居るのに、身内からそんな事をされては三田の株の空売りが出ます」
「うむ、株は持って居ない筈だが、個人的に買って居たのかね…困った連中だ、何処へ行くか確かめて呉れ、行き先によっては二人を連れて来てくれ、連絡を待つ…」
「はい、野川証券に行く様です」
「よし、私が直ぐに行くから野川に行くようなら玄関で何とか説得して食い止めて呉れ」
「先日も忠告をしたのですが懲りない面々です、適当な所で押さえます。急いで下さい…」
光一の読み通り二人は何事か話しながら、野川の丸の内支店に向かった。光一は、野川の本店では無く支店である事を確かめ、父に念のため野川の丸の内支店に向かって居る事を伝えた。
一族が自社株を売り出さなければ株価は安泰である、仮に今三田を売れば半分には成るだろう、株価次第で決算の下方修正は免れない、役員で無ければ又社員でなければインサイダーにはなり難いかも知れない、が新社長は発表されており、ご丁寧に早々に記者会見迄行って居る。

幹事証券の野川の幹部の殆どには顔を知られて終って居る事だろうし、況して水野は今回の空売りの主役である、当然憤慨してやる気を無くすであろう、株式会社三田丸の担当で有り、万が一彼等が株を売ったとしても彼が一人で胸に収めて呉れるだろう、彼に知られるなら安全というべきだが,もし水野以外の担当が付けば詮索され、彼等の行動を怪しむだろう。たちどころに察知され兜町に嵐が吹き荒れる、其れこそ大事に成る。そんな事態が引き起これば全ての苦労が水泡と期す。若いとは云へ仮にも新会社三田丸の社長である、軽はずみな行動は会社を潰しかねない。
「多門社長ですね…」
「ああ、…君とは?…最近会ったよね…何処で会ったっけ?…」
「総会に居なかったかなあ…」
それでも智之は光一を覚えて居た。
「はい、青野光一と云います」
「思い出した青野新社長の息子だねえ」
「ええ、不躾ですがですが新社長にお力をお借りしたい事が御座いまして、少しお時間を頂けませんか?」
「長い時間は困るけれど三十分位なら良いよ」
「そうですか、では私ともう一人ご指導を受けたい人が居ます、呼んでも宜しいでしょうか?…場所はこのビルの地下にあるルビアンでは如何でしょう?」
「我々も喉が渇いて居るルビアンでいい…」
「では、失礼して呼びます」
光一は携帯電話で父にルビアンで待つと連絡した。
父がルビアンに遣って来たのは、光一達三人がテーブルに座って間もなく、息を弾ませて清三が遣って来た。
「お待たせ…僕にもコーヒーを…」
オーダーを取りに来たウエトレスの顔も見ないで注文した、驚いたのは新社長達二人……
「どうされたのですか?青野社長…」
「短刀直入に言いましょう、大変な綱渡りをしています、此れから先は会社に戻りまして詳しくお話し致します、貴方々にお力を是非お借りしたいのです」
清三は低姿勢で会釈を彼等にしながら、運ばれてきたコーヒーをすすった。二人共四代目として大事に育てられたのであろう、広い額に温厚そうな優しい眼は敵意を知らない、未だ幼さの残る人の良さが見へる。清三は此の先多門達では三田丸商事は任せ切れない、ボンボン育ちで有りながら、目先に溺(おぼ)れ様とする二人の弱さを覗き見た気がした。
清三は会長の同席を求める様第二会議室迄ご足労頂く様に、光一を走らせた。
会長と聞いただけで顔色を変えて清三に震える声で訊ねた。
「何か不都合が有ったのでしょうか?」
「外で話す事では有りません、取り敢えず三田の本社迄行きましょう」
清三は会計伝票を取りレジに向かった、仕方無さそうに多門と智之は清三に従った。
本社の会議室では既に会長と一郎が待って居た。多門達は清三を見た時より大仰に驚き引き返そうとした。
「此処迄来て後ろを見せるか…逃げるだけの悪さを仕出かしたか?…」
会長の地声は大きくドスが利いており、震える様に会長の前まで戻り神妙に立った。
「座ってはどうか…」
佐々は二人を睨み付け恫喝した。
「我が社の株をどうする積りか?…」
「あのう…少し小遣いを作ろうと思いまして」
「売る積りで野川に行こうとしたのか?全て財務に預ける様に指示して有るが,何故君らが内の株を持って居るのだ」
「はい、記載されて居ない株券だから金が居る時は此れを売れと父から云われて居ましたので…何か具合の悪い事でも有りましたか?」
佐々は四代目の間延びした顔を眺め先程とは違い静かに口を開いた。
「会社の株は財産以外に命と言へる、貴方々も知っての通り三田上、三田中の人達が多大な損失を蒙ってくれた、総額は弐千億以上に成ると先般の会議で通達して有る筈だ。我々は金融関係で何とか挽回仕様として居る。

今三田丸の株を三田丸の新社長が売れば、確実にインサイダー疑惑でその筋からお咎めを受ける。つまりは我が社の株は可なり下落する、貴方々は完全に違法取引を実行した角で捕らわれ司直の手に移る。嚇(おど)しでは無い現実だ、然も利益を得た倍の罰金を科せられるだろう、君達大学で習わなかったのか?この旨(むね)一族の人々に話して置きなさい」
「あのう、前科が付くのですか?」
「当然の事だ」
佐々は苦り切った顔で多聞達を見詰めた。
「それに登録されて居る手元の株券は本日正午を以って、野川証券に担保として全株提出する事に成って居る、記載漏れとは理解できない、貴方々の所有する株も三田丸の財務から、自動的に野川内部で移行させられて居るのだ、詰まり貴方々の自由に成る株は一株も無い、株の現物を持って居るのか?いずれにしてもそれを知らずに野川証券に出かけて、売りに出そうものなら、違った方向のニュースが流され、大騒ぎに成る処だ、仮に自己資金で買った株としても同じだ」

流石に清三も呆れ二人を直視しながら佐々の言葉に同調した。
多門と智之は光一を睨み付け、
「他の会社の株なら売り買いは自由でしょう,例えば銀行を空売りするとか?」
「個人の資金で行うのは自由だ」
佐々は投げ捨てる様な言い方をした。
「今買うなら石油先物じゃ無いですか」
光一は突然独り言のように呟いた。
佐々は諭す様に二人の目を見て云った。
「後は金市場かなあ」
光一は商品も良いが今は株の売り一本以外は考えては居なかった。只、衰えたといえ余力の有る三田一族に株の相場を乱して貰いたくなかった、遣るならば商品に顔を向けて貰いたいと思った。
「只、相場に手を染めると家や財産全てを無くす覚悟が必要です、多くの社員を預かる社長は君子危きに近寄らずで、私はお勧め致しかねます」
「そうだ光一の云う通り、今の収入では足りないか?」
二人は首を振るだけで、持ち株を持参すると約束させられ、すごすごと引き揚げて行った。
三月に成って益々株価は下がって居た、ナイスウイルも銀行株も下降線を辿って居た。
光一は佐々に進言した。

「四月末に一旦買い戻しをして利益を出しましょう、恐らく企業の多くは売って来るでしょう、…決算で現金化をしてくると思います、外資は売りの始まりが、二月半ばからと訊いて居ます、決算の関係で益出しにかかる筈ですが以外にしっかりしています、百二十八前後から買い戻しましょう、一旦益出しをして少し様子を見て、売りましょう」
四月のゴールデンウイークも株価は弱含みで推移、五月一日朝に光一は痺(しび)れを切らした様に佐々会長に進言した
「よし、青ちゃん水野に連絡だ、株数が多いから日を掛けて処分する様に指示して呉れ」
「分りました、今ならざっと計算して利益が百八十億ですかなあ」
その日の後場から一千八百億の金融株の買い戻しが始まった。
「一応手終まいですね」
水野は感心した様に光一に云った。
「良い感です此処で買い戻しはプロも判断し辛い場面ですよ、では全て買い戻します」
大引けは少し戻しかけたが百二十半ばで全て買い戻した。其の性か地合いは弱含みで終わった。
「一、二月間程静観して居よう」
会長の意見であったが、水野からは日に五回は連絡をして来た。
六月も半ばに成ると三陽銀行株は百四十万へと戻してきた。
「売りましょう」
光一は興奮気味に云った、佐々も同様に大きな地声で頷き。
「チャレンジとするか…行け…」
日に一度しか掛って来なくなって居た水野に連絡をした。
「はい、売りですね」
水野は確かめる様に売りを繰り返した。
「大きく売って下さい、三陽を中心に信用枠一杯売り捲って下さい、今回新たに五百億を振り込みます」
「分りました」
前回と同じ様に受話器はオンのまま持たされ、商いが成立した順に報告して来た。
清三は佐々の顔を見て
「又、痩せますなあ…」
「負け惜しみじゃ無いが我々メタボ体形には結構な健康法だよ」
笑いながら佐々は清三の肩に手を遣った、清三も光一に笑いながら…
「戦争が始まったぞ、頑張れ」

光一は自信が有った、殊に三陽バンクには三か月持てば良い結果が出ると確信して居た。だが六月半ば過ぎても下降気味なのだが一進一退の日々が続き流石に夜も眠れなかった。光一は百四十万円以上の三陽を売り捲った、十四日の百四十万以上の買いにも全て売り捲った、
三陽だけでも五百億売り、後の二行を入れれば八百億の商いをしたのだ。
翌日からもメガバンクの売りは続いた。流石に指値をしただけに二千億以上と成ると六月の半ばまで調整しながら水野はゆっくり売った、七月に入ると百三十万代が目立って多くなった。

「光一さん、もう一度ナイスの動きが変わりそうです、問題にされて居た介護事業が具体的に召し上げられると云う事です」
水野から売りの誘いの連絡を貰った。
「社長、ナイスを売れと水野さんから云ってきました、私もナイスは此れから、本格的に安くなると思います」
「そうか、四月の半ばに売った物が有るだろう、まあ一応会長の耳に入れて見様」
光一は水野に連絡をして現在値を訊ねた。
「今、五万七千です、少し売りましょう」
「ええ、でも依然売った株が三十万以上抱えて居るでしょう」
「正確に三十三万株の空売りです」
「今会長の承認を取りに行って居ます……ああ、帰って来ました…」
父が両手で丸を作った。

「オーケーが出ました、買いに対して全て空売りを仕掛けて下さい」
翌日も水野から売りのサインが光一に送られてきた、光一は躊(ためら)躇わずに売りサインでOKを送り続けた、十日で五十万株売れた。
十一日目の引け後に水野から甲高い声で電話が光一に掛って来た、
「ストップ安で引けました」
「そうですか、では明日又売りましょう」
「ええ、まだ売るんですか?」

「はい、但し、寄り付きで一万株の買い戻しをして、二三分一呼吸置いて売りに回りましょう、出来高を見るのです」
「出来高次第で,寄り付きで買って売る訳ですねえ」
「我々が売れば必ず買い手が出ます、其処を売るのです、一呼吸置くのがプロの手口と貴方から教わりました、僅かな時間で流れを読む事を忘れないで…ともね…、三万円迄直下降するかも知れません」
「参りましたねえ私のお株を取らないで下さい、まあ然し強気ですねえ、少し乱暴に思いますが、翌日、朝寄りで買いを入れる事で大きな損失は免れるでしょう、売り玉も有る事ですから遣って見ましょう」
「ええ、遣って見る価値は有ります」
翌朝水野から
「ナイスの売りを続行します」
軍隊調の連絡が有り後場に成り其れも三時間際に電話をして来た。
「光一さんこんな株に何と五十五万株も商いです凄い出来高です」

「そうですか明日も売りましょう」「ええ、面白くなりそうですね」水野の強気姿勢になせられた感も有ったが、光一自身も金銭感覚が麻痺しつつ有った、清三も光一と同じ様に多額の金が動いて居る事に慣らされ様として居た、が倅の事は良く見えると見えた時に水を差すような事を云いながらも応援していた。
翌日も三十万からの大商い残念な事に二千円高で引けた、光一は次の日も売りの手は緩めなかった、僅か作家で百万株近い空売りをした事に成る。
流石に金融株は一応会長の事後で有れ、承認を受けて居るがナイスに於いては自己判断で会長の意向は伺って居ない、其れだけに毎が針のむしろの上に座らされている様であった。
四日目の朝刊に予期しない記事が各紙一面トップでナイスの記事が掲載されて居た、患者からの水増し請求、人員の伴わない営業所等々一般には理解しがたい問題が報道されて居た、同時にテレビでは社長以下幹部が居並び謝罪の姿が流された。
「ストップ安です」
水野の興奮した声が受話器を通じて流れた。
「以外に早かったですねえ」
「人手不足の業界ですから何とかする様に思えますが…」
「そうでしょうか?」
其れでも光一は買い戻そうと云わなかった、水野は不服そうに何かブツブツ言って電話を切った。
一週間が過ぎナイスの株価は五万三千円に成った、水野から痺れを切らした様に光一に電話が掛って来た。
「御存じでしょうがナイスが五万に近付きました、決断しましょう」
「そうですか、では四万から三万八千迄指値を下げ売り込みます」
「売るのですか?からうりですねえ」
「はい、空売りです」
水野は念を押す様にゆっくりした口調で繰り返した。
「ナイスウイル三万八千まで売り建てですね」
「はい」
返事だけで光一は何も言わずに受話器を置いた、後場中ごろに水野から連絡が来た。
「五万株三万二千八百円で売れました」
「はい分かりました処で銀行はどうでしょう」
「売りですねえ、いいと思いますメガバンクは此れからが本調子でしょう、売りの強気でいけるでしょう」
「では十二三万株を目安にと会長の意向です」
分かりました三陽を中心に売りましょう」
言葉はやさいいが一千万以上に成る商いで有る、流石に興奮は隠しきれない
其の日のテレビニュースでナイスの社長以下役員列席で謝罪の姿が流された。
一週間が過ぎ、水野から連絡が入った、
「三万五千を切りました、今迄の利益が五十五億に成りました」
「そうですか売り株はどの位ですか?」
「十八万株です」
「では三万迄下値を切り下げ売りましょう、三万円の売り指値(さしね)をして下さい、買いには全て売って下さい…二三日かかるでしょう、水野さん、そろそろメガバンクを売り増してはどうでしょう」
「良いじゃ無いですか?三陽を売りましょう、私の勘ですが九月は分割ですが安いと思います」
「十二、三万株を目安に売って下さい」
「大丈夫ですか?千億程に成りますよ」
「トータルで三千億に成ります、出来高の多い三陽銀行を主軸に売りましょう」
「はい、売るのですね…百三十七万です、売り捲りますからね」
水野は興奮した声で確かめる様に売りを繰り返した。売りの水野も流石に落ちつかぬ様に…がちゃんと荒々しく電話を切った。
五分程経って水野から、気が狂った様に猛然と何かに挑み極限に達した昂ぶりで、何時もの甲高い声で連絡してきた、
「光一さん、売ったよ、片端から売りました」
「そうですか、御苦労様です、少しお休み下さい…お疲れ様です」
「光一さん、駄目です相場に弱腰は禁物ガンガン行きますよ、未だ買い手が現れています」
「ええ、でも食事を挿せて下さい、腹が空いては戦に成りません,貴方も食べていないのでは…?」
「ええ、携帯は必ず身に付けて居て下さい」
水野は光一を瞬時も放したくない、刑事が犯人を捕らえる様な意気込みで命令する様に云った。
「はい、そうします」
「ああ…未来銀行が急落です、レバジッジで可なりの損失が出た模様です矢張りサブプライム絡みの証券でん二千五百億近く抱えて居る模様です、ストップ安…やった」
水野の全身で狂喜している姿が目に浮かんだ。
「社長、お訊きの通りです」
光一は銀行株の下落を訊き、気が抜けた様に求めて居たものが来たと思いながら、全身が気だるくなった、椅子に凭(もた)れ頭の中で万札が舞い上がり、光一に降り掛かって来る、想像に絶する札の嵐が飛び交い、光一には理解出来ない光景が頭の中を掻き巡る、理屈抜きで全身が火照り掴み取る事の出来ない嬉しさが狂った様に全身を埋め尽くす。
現実に数千億の札束が舞い上がっては降り掛か買って居るのだ。
其の重圧に押し潰されそうな気持が、勝ち負けで言うなら間違いなく勝った歓喜が、食欲迄削がれ物を食べる事すら忘れ、此処数日何も喉を通らなかった、神経の消耗は極限に達していた、最初はまずかった即席ラーメンに何時しか慣らされ後は水腹で過ごしていた、よく生きて居た…我ながら感無量我を忘れ只呆然と天井を見上げて居た。
そんな光一を見兼ねたのか父清三が光一の肩を叩居た。札束に取り憑かれ目が点に成って居たが父の顔を見て我に返った。
子供の頃見た母と共に見せた父の優しい温和な笑顔が光一の背越しにあった。
「光一、飯でもどうだ?」

父に云われ不思議に抵抗なく、首だけで父を見上げ頷いた、昨日も一昨日(おととい)もろくな物しか食べて居ない、目線の先の屑籠には即席麺のカップが溢れて居る、今日は其のカップラーメンすら朝から食べて居ない、立ち上がろうとしたが思いも掛けず膝が少しふら付いた、立ち上がる時と同じ様に素直父の肩に捕まり従った。
此の近くでは名の知れているレストランに連れて行かれた。
父はメニューを見ないでウエトレスに、厚めのステーキを二人前注文した。
「疲れただろう、御苦労さん、こんな事は何とか早く過去の物としたい」
「ええ、金額が大き過ぎ気が狂いそうです米国の株が気に成り、夜遅く朝早くの日々が続いて居ます残念な事に睡眠不足です」

清三は光一、一人に背負わせて居る積りは無かった、失敗をすれば佐々以下関係重役は切腹覚悟の事だが、結果的に最前線で身体を張って居るのは、やっと三十に成ろうとしている若者に一番辛い立場に立たせて居る。何千億もの博打と承知で張らせて居る。清三は我が子で有るだけに心情は当人以上で有る。
「この店は私が来ると黙って、松坂牛を焼いて呉れる、松坂は他のブランド牛とは香りと一味違う風味が有る、軽やかな食牛の持つまろやかな甘みが忘れられない肉は脂次第だよ」
光一の疲れを両手で包み込み労(いた)わる様な喋り方だ、幼い頃学校の成績が悪いとこう云った喋り方で諭されたものだ。
運ばれて来た肉の香りは、父の云う通り風味を忘れさせない…と云って居る様な牛脂の燃える炎に食欲がそそられ、ホークとナイフを思わず握らされる、口に入れた瞬間、松坂牛の上品な甘い牛脂に舌ずつみを打ち、食べる人の満足感を瞬時に知らせて呉れる。
久し振りの父と二人だけの食事で有る、疲れも手伝ってか何故か光一は目頭が熱く成った。
「どうだ、美味いだろう」
父の声に泣きそうに成りながら頷き…
「父さんと二人だけで食事をするのは何年ぶりかなあ」
「うん、そうか昨夜を覗き思い出す事が出来ない程時は過ぎて居る。昔母さんが元気だった頃よく四人で食事に出かけたね」
清三にも責任が有る気がして、光一から眼を反らせて幼い頃に話題を変えた。
「毎週土曜日が家族の日で約束の場所に、汗を拭きながら父さんは来て呉れたね。僕達は父さんの忙しさも知らずに、遅れた父さんにほっぺを膨らませました、そんな時母さは…お父様は、お忙しいのよ来て下さっただけでも大変な事なのです、と諭されました」
清三はホークの手を止め窓外に目を遣った。早春の陽だまりの中に、遠い昔の姿を想い出して居た。目を細め死別した今の早苗と同じ呼び名のひらがなの…さなえ…の姿を思い浮かべた、当然亡き「さなえ」は求め得るものでは無いが、母似の光一を前に当時の話には一瞥の情が湧き出る。一瞬の回顧に終わる儚さだけに余計切なく成る。生きたが勝ちの世の中と知りつつ心が痛む。

光一も、母を想い出し何故か母さんに未だ続く売り屋に成功を頼んで見様と思った。
光一は父と食事を此の侭何時迄も続け挿せて欲しいと思った。
光一は幼い子供の様に、普段考えもしない言葉を口にした。
「母さん、勝たせてお願い」
父の前で有る事に気が緩んだのか、声にして父と同じ目線の先の陽だまりを見詰めた。
「そうだなあ母さんも見て居て呉れる、直ぐに春が来る」
清三にも百パーセントの勝つ自信は無く、神頼みでは無いが、光一を見守って欲しいと思い、心なしか清三の目も潤んで居た。



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