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作品名:安倍首相はヒットラーなのか? 作者:カズロン

第9回   上海事変
ゼクート将軍が病気療養のため帰国すると、後を継いだ、ファルケンハウゼン将軍が蒋介石の軍事顧問団団長になった。ファルケンハウゼンは蒋介石に、日本軍と事を構え、上海郊外に設営した通称ゼクートラインに日本軍を誘い込み、こう着状態に置いてしまえば、補給の弱い、人数的にも劣勢な日本軍は自滅すると進言した。ドイツ式に訓練された師団の腕試しと言う側面も有った。これは第一次世界大戦でフランスとドイツの国境の塹壕戦で、こう着状態に陥った両軍が突撃を繰り返して双方合わせて100万人の死者をだした経験から得た作戦であった。この第一次大戦の塹壕戦の様子はカークダグラス主演の映画、「突撃」に描かれている。

1937年8月、第二次上海事件はこうして始まった。しかし、ファルケンハウゼンのこの作戦は古かった。こう着した戦線を突破する方法について第一次大戦後、色々な国で研究がなされていた。日本軍はイギリスの戦術家が提唱していた方法を使ってゼクートラインを突破した。即ち、少人数の兵によって隠れてその戦線を通過して敵の後方に回り込み爆発音など、大きな音を立てて、戦線に居る国民党軍に動揺を与えた。包囲されると言う恐怖感から国民党軍は総崩れになり、ゼクートの訓練した2つの師団は壊滅し、雲散霧消した。しかし、ヒットラーは1936年12月、日独防共協定と言う保険をかけていた。それが後に1940年9月の日独伊三国同盟に繋がって行くのだ。ナチスドイツ政権内にも親中国派と親日本派が有ったと言われている。

この結果、ヒットラーは中国との同盟を諦め、後に日本との同盟に踏み切るのである。ドイツの経済界は、市場規模の違いから日本を選択したドイツ政府に失望したと言われている。ファルケンハウゼンはドイツに帰った後、ヒットラー暗殺事件に連座して収容所に入れられた。第二次大戦後も蒋介石とファルケンハウゼンの交流は続き、蒋介石はファルケンハウゼンとその家族を援助した。第二次上海事変で日本が敗れていれば、日独伊三国同盟は、中独伊三国同盟になっていたかも知れない訳だ。その場合でも、日本が勝つ側に居るとは限らないが・・・ヒットラーの暗殺を題材にした映画で有名なのはトムクルーズ主演の「ワルキューレ」がある。上海事変の映画は思いつかないが、1941年日米開戦時、上海のイギリス租界を舞台にしたスピルバーグの「太陽の帝国」は見ごたえのある映画だ。


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