こうして融和政策は破綻した。イギリスとフランスはドイツのポーランド侵攻を受けて、ドイツに宣戦布告した。この時,何故かソ連には宣戦布告をしなかった。イギリスの政権は、まだチェンバレン政権だった。弱腰のチェンバレンは敵を多くしたくなかったのかも知れない。ソ連のポーランド侵攻は自国民の保護が目的だと主張していたのでそれを信じたのかも知れないが・・・しかし、そのソ連軍侵攻地域で捕虜のポーランド軍将校3万人余りが行方不明になっていた。後にドイツ軍がソ連に侵攻した時、ソ連のスモレンスク郊外、カティンの森で多数の遺体を発見した。しかしソ連は我々がやったのではない、ドイツが犯人だと主張した。世界は長らくドイツの仕業と信じていた。紆余曲折を経て2010年ロシアのプーチン首相(当時)はソ連の仕業で有る事を公式に認めた。しかし、ロシア国民に罪をかぶせるのは間違いだと言って、謝罪はしなかった。
ポーランドに侵攻したナチスドイツに対して、イギリス、フランスが宣戦布告したにも関わらず、戦闘は起きなかった。海での小競り合いは有った。イギリス、フランス両国の戦争に反対する世論の高まりを受けてイギリス、フランス両政府は行動を起こせなかったのだ。8か月に渡ってこのような状態が続いた。ポーランドは見捨てられた。このような状態は「奇妙な戦争」とか「まやかしの戦争」とか呼ばれた。この8ヶ月間にポーランドを制圧したナチスドイツはフランスとの戦争の準備を整えて、1940年5月10日、ドイツ軍はマジノ線(フランスの要塞)を迂回して、フランス北部とデンマークの両方からフランスに侵攻して、フランスを降伏させた。フランス救援のために派遣されたイギリス軍もダンケルクに追い詰められていた。その悲惨な様子はジャン・ポール・ベルモンド主演の映画「ダンケルク」に描かれている。
ドイツ軍機の機銃掃射を浴びるパリからの避難民の家族の悲劇・・・機銃掃射により両親を殺された幼い女の子が地元の農家の少年と「お墓ごっこ」をする1952年のフランス映画「禁じられた遊び」の背景はドイツがフランスに侵攻した時の話だ。「まやかしの戦争」の8ヶ月間、パリ市民は「退屈だから海にでも行って泳ごう」などと、呑気な事を言っていた。まさか8ヶ月後に自国がナチスに占領される事も知らずに・・・
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