ソ連軍はバグラチオン作戦を発動して反撃を開始した。ドイツ軍は守勢に回り劣勢に立った。ソ連軍がポーランド国内に進撃して、ワルシャワ近郊に達した時、モスクワ放送はワルシャワ市内に潜むレジスタンスの兵士に対して蜂起を呼び掛けた。それに呼応してレジスタンスの兵士達は1944年8月1日、ワルシャワ市内で一斉に蜂起した。しかし、ソ連軍はワルシャワの入口で進撃を停止してしまった。ソ連軍が動かない事を察知したドイツ軍は蜂起軍の掃討を開始し1万6千人のレジスタンスの兵士を含む約20万人の市民が殺害された。一部のレジスタンスの兵士はワルシャワの地下水道に逃れて抵抗を続けた。
なぜソ連軍が進軍を止めたのかと言うと、このレジスタンスの兵士達はロンドンにあるポーランドの亡命政権の指揮を受けていた自由主義派だったからだ。戦後のポーランドの政権をソ連の息の掛った共産党の政権にするため、自由主義派をドイツ軍の手によって抹殺させようとしたのだと言われている。モスクワが蜂起を促す放送を続けながら、アメリカやイギリスの蜂起軍への支援要請をソ連軍は拒否したばかりでなく妨害さえしたと言う。ワルシャワ蜂起を題材にした1956年に発表されたポーランド映画「地下水道」が有名である。
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