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作品名:お竹さん番外 作者:カズロン

最終回   壬申戸籍
K君はたけと濱太郎の結婚の経緯や弥平とたけの関係を知りたいので、行政書士の先生に頼んで、たけの戸籍を取り寄せることにした。行政書士の先生が言うには、たけとK君は直系の親族だから法律上、請求は可能であるが実務上の請求理由が必要である事、平成22年5月6日以降は150年だが、22年5月6日以前の戸籍の保存期間は80年だったので、たけの戸籍は廃棄されている恐れが有る事、たけの婚姻時の戸籍が明治5年式戸籍、所謂壬申戸籍の可能性が有る事、壬申戸籍は行政文書では無いので交付が拒否されるかも知れない事、その場合でも料金が発生する事、その事を納得して貰えれば請求してみると言う事だった。

ネットで調べると、戸籍の請求理由として「先祖の供養の為」と言うのが一番通りやすいと有ったので、それを理由にして貰った。しかし案の定、この戸籍は廃棄されていて存在しないとの回答だった。役場発行の廃棄証明書が届いた。行政書士の先生によれば、本当に廃棄されたのか、壬申戸籍であるためこのような回答になったのかは分からないが、壬申戸籍の可能性が高いと言う事だった。ネットでも壬申戸籍の場合、役所は廃棄したと回答する事が多いと有った。

では壬申戸籍とは何か、明治4年の戸籍法に基づいて、明治5年に編纂された戸籍の事である。明治5年(1872年)が干支の壬申(みずのえさる、じんしん)の年に当たるので壬申戸籍と呼ばれている。この戸籍には部落出身者に対して新平民、元穢多、元非人等の記述が有り、それが差別を助長するとの判断から昭和43年頃に閲覧禁止の措置が取られた。

京都産業大学の灘本昌久教授は「壬申戸籍は明治政府が差別を目的に作ったもので、すべての戸籍に新平民、元穢多、元非人等の記述が有ると思われているが、この戸籍の99%にはその様な記載は無い」と言っている。その記述は「現場の戸籍係が勝手に書き込んだと思われる」とも言っている。灘本教授自身が被差別部落出身者であり、若いころ今井正監督の「橋のない川」上映反対運動に参加していたが、作品そのものは観ていなかった。後にその映画を鑑賞して素晴らしい作品だと評価し、今井監督に謝った経緯が有る。廃棄されたと言われているこの壬申戸籍は第一級の学術資料として、実は厳重に保管、管理されていると言う事だ。何時の日かこの壬申戸籍の閲覧禁止が解かれ、たけの戸籍が開示され、田島弥平とたけの関係が分かれば良いのにとK君は思っている。

飽くまでも想像だが、たけは両親の死によって孤児になり、財産問題が絡み田島弥平の種屋に奉公に出されたのではないだろうか・・・たけの「(名古屋の)家を叔父さんにくれて遣った」と言う発言がそれを証明しているのではないだろうか・・・たけが読み書き出来たのは親に習ったのかも知れないが、田島家で教わったのかも知れない・・・江戸時代、商家に奉公に行くと読み書きを習わされたと言う事だ。オセイ伯母の言うナカ女中と言うのは、本当の奉公人という意味ではないだろうか・・・田島家には全国から若い娘が養蚕技術「清涼育」を習いに来ていた。いわば現在の研修生である。ナカ女中と言う呼び名は研修生と本当の奉公人を区別するために付けられたのではないだろうか・・・

たけは、田島家に出入りしていたK岡家の二男坊、濱太郎と良い仲になり結婚の約束をした。しかし、たけはK岡家には受け入れられなかった。K岡家は分家する濱太郎に一町歩の田畑を分け与える事が出来る程の大農家だった。その家に孤児のたけが受け入れられるはずがなかった。そこで雇い主の田島弥平が「うちの娘として嫁に出すから」と言って、話をつけてくれたのではないだろうか・・・

ウィキペディアに「壬申戸籍では使用人や家来等は他人で有っても養育されている者は附籍として、その養育する者の戸籍に登載されていた(明治15年登載禁止。明治31年廃止)」とある。と言うように奉公人は準家族の扱いだったようだ。だから、明治5年に、たけと濱太郎の戸籍が作られる時、たけは弥平の娘と申告したのではないだろうか・・・まあ飽くまでも想像だが・・・壬申戸籍が開示されればその辺の事が分かるのに・・・残念だ!

平成26年12月


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