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作品名:お竹さん番外 作者:カズロン

第2回   弥平の娘
K君の母親には、僅かばかりだが、遺産が有ったので、遺産分割協議書を作成する事になった。協議書を作成するにあたって、相続人を確定するために曾祖父母までの戸籍を集めなければ成らなくなった。K君は自分で遣るのは大変なので、ネットで見つけた行政書士さんにお願いすることにした。暫くして、行政書士さんから戸籍が送られてきた。K君の祖父安太郎を戸主とする戸籍に曾祖母たけの名が有った。竹さんの本名はひらがなのたけだった。生れは嘉永2年(1849年)4月8日の生まれで、夫の本名は濱太郎だった。濱太郎は嘉永元年(1848年)7月6日の生まれで、たけと濱太郎の年齢差は10カ月しかなく、ほぼ同い年と言えるだろう。

また女郎上がりの女房を連れて台湾に渡ったと言う二男は本名を高五郎と言い明治10年9月5日の生まれで大正3年1月9日に死亡届が出ている。37歳の若さで死んでいた。正式な結婚はしていなかったようだ。当時、男は30歳、女は25歳までは戸主の許可がないと結婚が認められなかったと言うことだったが、30歳を過ぎても正式な結婚はしなかったようだ。

長男、安太郎が生れたのが明治7年11月10日なので、小説もどき「お竹さん」の時代設定は10年程、違っていたと言う事になる。オセイ伯母は「たけさんは二十歳で結婚した」と言っているので、それなら明治2年頃結婚した事になる。しかし長男安太郎が生れたのが明治7年なので結婚してから長男安太郎が生まれるまで5年ほど子が出来なかったという事か・・・それとも結婚がそれよりも遅かったのか・・・良く分からない。

そしてもう一つ興味深い事が有る。安太郎の女房はミイと言うのだが、このミイがK君の母の母、祖母であるが、安太郎はミイの前にとらと言う人と結婚していた。とらとは明治35年1月に結婚して12月に協議離婚している。従ってK君の祖母ミイは後妻と言う事になる。

そしてもっと驚く事が有る。この戸籍には、たけが群馬県佐位郡島村、田島弥平の次女だと書いて有る。同姓同名で無ければあの世界遺産、絹産業遺産群の田島弥平旧宅の田島弥平かも知れない。島村は群馬県佐位郡島村が佐波郡島村に変わり、現在は群馬県伊勢崎市境島村に変わっている。しかし、たけが名古屋から来たと言う話はどうなったのだ!

ネットを検索すると田島弥平には民(たみ)と言う一人娘がいることが分かった。嘉永4年の生まれだ。民の上に長男と長女がいたのだが若くして亡くなっていると言う事だ。島村の田島弥平旧宅には民が作った田島弥平の顕彰碑が有るそうだ。弥平と民は明治5年皇室の要請を受け、11人の養蚕婦とともに皇居に行き、弥平の養蚕技術「清涼育」を皇室に伝えた。その詳しい経緯は民の子孫、高良留美子氏の著書「宮中養蚕日記」に書かれている。

「宮中養蚕日記」には、明治初期、島村には200軒から300軒の種屋が有ったと書いて有る。明治5年に作られた当初の島村勧業社は、蚕種の改良、品質管理、輸出を目的としていたが、10年頃からは、それらの種屋に資金の提供をする金融機関としての役割が主な仕事となったようだ 。実際のたけさんが島村勧業社に関係していたかどうかは分からないが、田島弥平とは何らかの関わりが有ったようだ。


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