卒業後、大学の仲間とは2、3ヶ月に一度くらいの割合で飲み会を遣っていた。Hさんは3回に1回位の割合で、その会に出席していた。卒業して2年ぐらい経った頃から仲間の中から結婚する者も出てきた。K君も26歳で結婚を決めた。相手はS君の従姉妹だった。 K君はHさんにも出席してもらおうと思い、彼女に電話した。Hさんは「ごめん、その日、従姉妹の結婚式で九州に帰らなければならないんだ・・・親族の結婚式なので・・・」と言った。「そっかー、それなら仕方ないよね」とK君。「お祝いの電報うつから・・・結婚おめでとうね」とHさんは言った。結婚式当日、彼女は長い電報をくれた。電報には「妻と諍いをして、妻を叩いたとしても、夜、妻の髪を梳いてあげれば仲良くなれる。御結婚おめでとう」と有った。しかしK君は結婚以来四十年、口喧嘩はしたが、一度たりとも妻に手を上げたことは無かった。したがって妻の髪の毛を梳く必要も無かった。
K君の娘が生まれて間もなくの春、また集まりが有った。その頃、皆子供が生まれ、乳飲み子の世話に追われる奥さん達の参加は無かった。その日、Hさんはお茶の帰りだった。「今、私、お茶を習っているの、今日はその帰りなの」と言った。彼女は着物姿でやって来た。男達ははじめて見る彼女の着物姿の艶やかさに見とれた。誰かが言った「馬子にも衣装だな」と。「失礼ね」と言いながらも彼女も嬉しそうだった。
ひとしきり、お茶と、着物の話題が続いた。その話が済んで、S君が言った「まだ臨時雇いなの?」と。するとHさんは「そうなのよ、この前、上司に正式な職員にしてくれと言ったら、ここの募集は高卒対象だからと言うのよ」と言った。「だったら高卒扱いでも良いから」と言ったら、「何と言ったと思う?」「それは学歴詐称になるから駄目だって、頭来ちゃった」「じゃあ、そろそろ転職考えたら」とS君。「でも給料は正式の職員と変わらないし・・・他の仕事を一から覚えるのも・・・」と彼女。話はそれで終わってしまった。
K君は彼女の口ぶりから、Hさんが大学のサークルの延長のような今の仕事に愛着を持ち、ぬるま湯に浸かっているような心地よさを感じているのだと思った。K君も口には出さなかったが、臨時雇いのままなら、30歳になる前に転職を考えた方が良いのにと思った。結局、その後の話は、それぞれの生まれたばかりの赤ん坊の話が中心になっていった。
それ以後の集まりにHさんが出てくる事はなかった。何時しか彼女に声さえ掛けなくなった。しかしK君は年賀状だけはやり取りしていた。何度目かの年賀状に「正規の職員にして貰えました」と書いてあった。K君は本当に良かったと思った。
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