試験が終わった頃から燻り始めていた理工学部の裏口入学事件を発端に各学部に税務調査が入り、新学期が始まると同時に20億円にものぼる使途不明金が明るみになった。文理学部でも新学期が始まる前から学校がロックアウトされると言う噂が飛び交っていた。当時、学園紛争は他大学でも行われていて、ロックアウトされた学校がどの様になるかはテレビを通じておぼろげながら解っていた。
K君が「学校が休みになったらどうしようか」と母親に言うと「お前が遊んでいるのを見るのも目障りだから簿記学校にでも行けば」と母親に言われた。そこで神田のM簿記学校の夜学に行く事にした。T君の頑張りも刺激になった。それと前後して、K君は自宅近所の美容院の美容師と付き合い始めていた。簿記の勉強も、その彼女に褒められたくて頑張った。
K君は簿記学校を卒業するまでに全商の1級と日商の2級の検定試験に受かった。「自分も遣ればできるのだ」とK君は自信をつけた。他の仲間も就職に備えて、英語の塾へ行くなど、それぞれの勉強を始めていた。仲間内では誰も学生運動に参加する者は居なかった。クラスの中の数人が運動に参加した。
新学期が始まって間もなく、5月の終わりに学校はロックアウトされた。その日の午前中、K応から来ていた講師の授業に出た。N大の文理学部には生え抜きの先生より他大学の若手の講師のほうが多かった。そのK応の講師の先生が「今学内は騒然としているけれど、学生の本分は勉強です。一時も学業を休んではいけません。外の騒音に惑わされる事なく勉強をしましょう。そして知識を身につけて何が正しいか正しくないかを判断しましょう」と言った。「良い事を言う先生だなー」とK君はいたく感激した。その先生の言葉は明治維新の時、上野の山に立て篭もった彰義隊を攻撃する官軍の大砲の音に気をとられ、勉強に身が入らない塾生に対して、福沢諭吉が言った言葉だった。そのことを、K君が知ったのは、それから数年、後の事だった。
午後はW大学の講師の授業だった。社会学科の全体授業で最大400人ほどが入れる大教室だった。その講師は言った「この学校の生徒は社会の矛盾にも関心を持たないサルにも劣る連中だ」と。「その様に言われたくなかったら、今こそ立つ時だ、さあ立ち上がれ!」などと盛んにアジった。講師の演説が終わるとヘルメットを被りゲバ棒を持った20人ほどの連中がドヤドヤと入ってきた。タオルで覆面をした者とそうでない者がいた。顔を出している者は確かにこの学校の生徒だが覆面をしている者の正体は分からなかった。彼らは生徒の中から運動への参加者を募った。その場で数人が参加を表明した。
「あいつら、あの講師が連れてきたW大の学生だろう」と近くの誰かが言った。「所謂、革命の輸出と言うわけだな」とS君が言った。生徒会長をしている同級生のA君が壇上に引き上げられて、糾弾されていた。「今壇上で行われている事は、うちのゲバ学生がW大のゲバ学生に吊るし上げの実践指導を受けている姿と言う訳だ」とS君。「他校の生徒にうちの生徒会長が吊るし上げられる謂れはない」とK君は思った。「A君を助けよう、あいつら他の学校の生徒だろう、覆面を取らせようよ」とK君が言うと、S君が「止めとけ、ゲバ棒で殴られて怪我するぞ、A君が殺される事もないだろうし」と言った。
後に千葉の成東で遣った4年生の集中授業の時、K君達はA君に「あの連中A君に何を要求していたの」と聞いた。A君は「生徒会の預金通帳を引き渡せと言われた」と言った。結局ゲバ棒で脅され通帳を渡したという。通帳には凡そ800万円程が入っていたという事だった。「何だ、結局金か」とK君は思った。
Hさんはその頃クラブの活動が忙しいと言う事で、K君たちの集まりには出てこなかった。彼女のクラブは体育会系で学生運動の連中からは体制側と言われ蔑まれていた。体育会系のクラブは大半が学校のコントロール下に有った。特に応援団などは体制の犬とか、大学理事長、F会頭の私兵とか言われ忌み嫌われていた。そんな中で彼女がどんな活動をしていたのか、K君達が知る由も無かった。只、大学卒業後に、彼女は大学の関連団体の臨時職員として採用された。
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