そんな事が有ってから暫くして、台湾から電報が来た。「チュウジキトク」と言うものだった。竹さん夫婦は吃驚した。そしてチュウ次が死んだと思った。当時死亡を知らせる場合でも「キトク」と打つのが慣例だった。チュウ次が死んだこと以外何も分からなかった。夫婦は混乱していた。ヤス次が事の真相を確かめるために台湾へ行くことに成った。ヤス次が出かけた後、竹さんは「なぜあの時、無理にでもあの女と分かれさせなかったのか、分かれさせていればあんな遠い所でチュウ次を死なせずにすんだのに」と後悔した。
ヤス次が帰ってきた。以下ヤス次の話。ヤス次が港に着くとイクが迎えに来ていた。イクが言った「お父さんに一目逢わせたかったんですが間に合いませんでした」と。そして「台湾は暑いところなので遺体をそのままにして置けないので、骨にしました。申し訳ありません」と言った。「何が有ったのだ」とヤス次が聞くと、「バナナ園で働いているとき、チュウ次さんが胸の痛みを訴えて倒れたんです。医者に見せたところ、医者は(心臓が悪い、無理すると命が無い)と言ったんです、それで基隆に移ったんです」とイクが言った。
さらに「そんな訳で私が飲み屋で働くことになりました。でも私一人の働きではたかが知れています。あの300円に手を付けるまでに追い込まれてしまいました。そんな時、その飲み屋の客に女郎屋の経営者の年寄りが居て、その人が(引退したいのだが、代金は月割りで良いから、その女郎屋を引き受けてくれないか)と言うので、最初にあの300円を入れて残金を月割りにして貰って女郎屋を買い取ったんです。結果としてお父さんやお母さんを騙すことに成ってしまったのだけれど、最初から騙すつもりでは無かったんです。それだけは信じてください。お母さんの言う通り真っ当な仕事で食って行こうと思ったのですが、何度も発作を起こして働けないチュウ次さんを抱えて・・・仕方なかったんです」と言った。「本来ならあの300円はお母さんに返さなければいけないのだけれど、そんな訳で借金も有るので返すことが出来ません・・・申し訳ありません・・・死ぬ前にチュウ次さんが店の名義を私の名前にしてくれました」と言いながら手紙をヤス次に渡したと言う。
その手紙はチュウ次の遺言だった。手紙には「先立つ不孝をお許し下さい」と両親に詫びる言葉からから始まって「すべて自分が病気になったことが悪いのだ、だからイクを責めないで欲しい」と書いてあった。その夜竹さんはチュウ次の言い訳を聞いて遣らなかったことを後悔して一晩中泣いた。
その後イクとの音信が途絶えた。竹さんはやはりチュウ次も自分もイクに騙されたのではないかとの疑念を持ったが、死んだ後も惚れた女を守ろうとした息子の為にこれ以上の詮索はすまいと決心した。
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