話は戻るが、ヤス次の両親がこの結婚を許した最大の理由はヤス次の兄、シゲ太の口添えが有った為だと竹さんはヤス次から聞かされた。シゲ太は「あの娘はとても気の強い娘だと聞いている、読み書きも出来る、それ位の女房が付いていないと、あの気の弱いヤス次は家を潰してしまうだろう」と言って両親を説得してくれたと言う。竹さんは、自分はそんな気の強い女では無いと思っているのだが、世間ではその様に思っているのかと唖然とした。
ヤス次は親から一町歩(3000坪)の田畑を貰った。俗に五反百姓と言うが、五反(1500坪)では農業経営は厳しい、一町歩有れば農業だけで生活してゆける。その意味でヤス次達は恵まれていたと言える。直ぐに新しい家を作るのは無理なので、本家の納屋の一角に部屋を作り、そこに新居を構えた。明治18年に長男ヤス太郎が生まれた。19年に次男チュウ次が、21年長女シズが生まれた。この頃竹さんは子育てに追われる毎日だった。二人は一生懸命働き、5年後村の東の畑に小さな家を作った。「あの300円を使ってもっと広い家を作ろう」と竹さんは提案したが、ヤス次は「あの金は(いざ)と言う時のために取って置こう」と言った。
明治26年に日清戦争が始まった。最初大国清との戦争に危うさを感じていた民衆も連戦連勝の日本軍に歓喜した。良くも悪くも、この対外戦争により人々に日本国国民と言う意識が生まれ、それは日本の封建国家からの脱皮を意味した。この戦争により、日本が真の近代的国民国家に成ったと言われている。村の子供達の遊びも戦争ごっこ一色に染まっていった。
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