両親の死によってお竹さんの生活は一変した。自分を巡って叔父たちがいがみ合うのを目の当たりにして両親の死んだ事も悲しかったけれど、そのことも辛かった。
カツ叔父が竹さんの家に来て別にいじめられる事も無かったが、その家族の中に溶け込む事も出来なかった。カツ叔父の連れ合いのサイさんはどこか遠慮がちに竹さんに接した。カツ叔父は元々豪放磊落な性格で、そういう叔父を竹さんは昔から嫌いではなかった。
しかし竹さんが母親の実家に出入りするとカツ叔父は良い顔をしなかった。元々この家はこの叔父の育った家で嫁を貰って分家するまでこの家に住んでいた。ある日カツ叔父が「息子のサトがもう少し大きければお前の婿にしてこの家を継がせるのに」と言った。
竹さんには6つも年下の洟垂れ小僧のサトと一緒に成るなんて言う事は考えられなかった。サトが20歳になった時自分は26じゃないかと思った。叔父の気持ちの一端を垣間見た気がした。
しかし叔父の立場で考えてみれば自分の生まれ育った家がどこの馬の骨か分からない婿に取られてしまう口惜しさも分からないでは無いとも思った。自分から「家を継がず、嫁に行きたい」と言い出したらとも考えたが、母の実家のマサ伯父が許さないだろうと思った。「竹にそう言わせたのだろう」と言ってカツ叔父とまた大喧嘩になるだろうと竹さんは思った。
そんな時、幼馴染の一つ年下のハルちゃんが「関東の種屋で働いている一番上の姉ちゃんが嫁に行くために戻ってくる。代わりに自分が関東に行かなければ成らなくなった」と言った。そして「自分はそんな遠い所には行きたくない」と言った。
ハルちゃんの姉、ナツさんが関東から戻ってきた。村の娘たちの前で、その種屋では7日に1日休みが有ること、一日8時間働けば良いこと、お給金に1円70銭貰っている事、辞める時は退職金も出る事などを妹のハルやお竹さん達に聞かせた。また東京や横浜の賑わい振り、美味しい食べ物の話などの事も聞かせた。
竹さんをはじめ、村の娘たちは東京に憧れた。皆はハルちゃんの事を羨ましがった。しかし当のハルちゃんは関東なんかには行きたくないと泣いていた。竹さんが「こんな良い話、私なら喜んで行くのに、羨ましい」と言いながら、行きたくない理由を聞いても、ハルちゃんはその理由を言わなかった。
ある日、ハルちゃんの母親のクメさんが竹さんを訪ねて来た。クメさんが言った「実はハルはまだ時々寝小便をする、それで関東へ行きたがらないのだ」と。「私もそれを心配している、そこで竹さんに頼みがあるのだが・・・」と言った。「何ですか?」と竹さん。「ハルの代わりに行って貰えんでしょうかね?」とクメさんが言った。
「私がですか?」と言いながら竹さんは突然新しい世界の扉が開いたように感じた。竹さんは「私は行きたいですが、叔父たちとも相談しなければ」と言いながら、心の中では必ず行くと決めていた。
カツ叔父にその事を話すとカツ叔父は「お前がそんな風に言うとまたマサさんに何を言われるか」と難色を示した。しかし竹さんが「関東に行きたい」と強く言うと「マサさんが承諾すれば俺は構わない」と言った。
「どうしても東京を見てみたい、外の世界を見てみたい」とマサ伯父にも強く言うと、マサ伯父は「お前はあの家の跡取りなのだからあの家に居るべきだ」と言った。「どうしても行きたい、二十歳になるまでに戻って来るから」と言ってマサ伯父に迫った。竹さんの決意が固いことを知って、マサ伯父は渋々行く事を認めた。こうして竹さんの関東行きが決まった。
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