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作品名:灰色のバス1939>2010>2025 作者:カズロン

第7回   7
2013年の衆参同時選挙で大幅に人数を減らした政権党は前の政権党と大連立を組んだ。その時初めて民族党は衆参合わせて40名ほどの議員を当選させた。しかし連立政権には参加しなかった。政府はアメリカとの関係修復を最優先にしたが日本の足元を見透かしたアメリカは日本政府に数々の無理難題を突きつけてきた。それは日本人のナショナリズムに火をつけた。過激な民族主義的主張をする民族党は2016年に行なわれた衆参同時選挙で第一党に躍り出た。その頃から民族党は国内的には白人はネアンデルタール人の混血で、東洋人こそ純粋なホモサピエンスだと主張し始めた。そして民族党員は純粋なホモサピエンスでなければ成らなかった。しかしホモサピエンスであると言う事を証明する基準については誰も知らなかった。入党を希望する健康な若者なら誰でもホモサピエンスと認定された。その荒唐無稽な主張は若者達に受け入れられた。それは彼ら民族党員の結束を高めた。しかし、それは国内向けで対外的にはその事はおくびにも出さなかった。

首相に就任したH女史は就任すると直ぐアメリカに飛んだ。対馬問題を解決するためだ。大方の見方は対馬問題を解決するなら韓国に行くべきだと言うものだった。H首相がどの様な手を使ったのか、その時点では分からなかったが、アメリカは韓国に対馬からの撤退を勧告した。アメリカは「撤退しなければ日本が対馬を開放する事を妨げない」との声明を出した。それに合わせて日本も壱岐に兵力を集結して行った。正に一触即発の状況だった。韓国が折れた。その為、韓国内の世論は激昂して窮地に立たされた韓国政府は国務総理(首相)と国防部長官(防衛大臣)が辞任した。そしてH政権はアメリカとの間に新安全保障条約を結んだ。

H首相がどの様な手を使ったのか・・・(政府は日本に有る51基の原発に原発を暴走させる装置を取り付けた、アメリカに行った首相はアメリカ大統領に「日本人は腹きり、神風を行なった、我々が今受けている様な屈辱が続くのなら、日本中の原発をメルトダウンさせて我々日本人は集団自決の道を選ぶ」と言った)と言うような話がまことしやかに噂されていた。日本政府もアメリカ政府も何も発表していないので真偽の程は分からなかったが、国民はそれを信じて熱狂した。H政権の支持率は90%を超えた。私はH首相が民族主義的愛国者だと言う話が信じられなかった。彼女は元々アメリカのWASPに繋がる人物だった筈だ。原発を使ってアメリカを脅したと言うのは眉唾だと私は思った。その話は、おそらくH首相とWASPのやらせではないかと思った。原発暴走の話はWASPが「日本の原発が暴走したら、大量の放射性物質がアメリカに降り注ぐ」と言って、大統領と議会を説得し、日本と手を結ばせたのだと私は想像した。

出所してきたTさんが私の病院に来たのは3年前の事だった。Tさんは私の予想に反して12年の刑を宣告されて刑務所に収監された。その間にTさんの奥さんが亡くなった。身寄りの無いTさんを、兄達は反対したが、私は引き受ける事にした。病院の掃除夫として雇った。病気が悪化した時は病人として入院させた、良い時は掃除夫として使った。彼には僅かだが年金も有ったので金銭的にはそれほど負担には成らなかった。

今政府は「安楽死法」を制定しようとしていた。15年前なら大反対が起こり政権は崩壊してしまうだろう事が、わが国の現在の経済情勢、政治情勢の下では簡単に通ってしまうのだ。この法案の骨子が発表された。法案の趣旨は、現在の日本の経済情勢では大勢の働かない老人を養ってゆく事が出来ないから・・・と言うのだ。この法案と抱き合わせに提出されたのが75歳以上の老人の「年金停止法案」だ。「安楽死法案」は飽く迄も本人の自由意志で、直前になって止めたければ止めてよい事になっていた。しかし年金を停止された老人にどんな選択肢が有るというのだろう。政府が開発した安楽死のための薬「T4」と呼ばれるその薬は全く苦痛を伴わず、寧ろ人間は恍惚のうちに死ねると言うものだ。この薬、T4を開発したのがK市にあるあの研究所だった。

この安楽死法の対象者は老人の他に、直る見込みの無い病人、直る見込みの無い障害者、更に触法精神障害者が含まれていた。彼らは家族の同意だけで安楽死させる事が出来るのだ。身寄りの無い者は裁判所の許可によってそれが出来ることに成っていた。私はTさんが危ないと思った。たまたまその時期に身寄りの無い同じ位の年齢の患者Fさんが病院で死んだ。私はTさんが死んだ事にして届けを出した。古くから居るY看護士以外はその事を知らない。日本の安楽死法のような法律は程度の差こそあれ、世界の経済的に困窮した多くの国で採用され始めていた。私は何か世界的陰謀が進行しつつあるのを感じていた。

国内に目を向ければ、国民の生活は政府の監視下に置かれていた。行動隊内に国民を監視する組織が作られ政府に反対するものを摘発した。そして政治犯専用の収容所が作られ、簡単な裁判でネアンデルタール人の遺伝子を持ったものと言う烙印を押されて収容所に送られた。その収容所に入れられた人の数は10万人とも言われていた。そこでは教育刑と言う、政府に服従させるための洗脳教育が行なわれていた。国民は息を殺して生活していた。Tさんの事がばれた。看護士Yが兄達に秘密を話して、兄達は自分自身の身の安全を守るために、私を当局に売った。Tさんはあの時と同じように「先生助けて下さい」と叫んで連行されていった。私には如何する事も出来なかった。私も逮捕されて裁判の結果、医師免許剥奪、教育刑10年の判決を受けた。姉とI子が面会に来た。I子は泣いていた。姉は言った「悪く思わないでね、貴女の遣った事を見過ごせば私達も収容所行きだから・・・病院のことは娘のI子夫婦に任せて頂戴」と言った。I子は「ごめんなさい」と泣きながら言った。私は恨み言を言っても仕方が無いので「後のことは宜しく頼むね」とI子に言って席を立った。


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