K市に着いた。S子は駅前でタクシーを拾って「UI研究所へお願いします」と運転手に告げた。「UI研究所ですね」と運転手は言った。この町ではUI研究所は有名らしい。その研究所はK市の郊外に有った。30分程してその施設が見えてきた。一辺が600メートル位の正方形の広い敷地に250メートルかける150メートル位の長方形の白い平屋の工場風の建物が建っていた。外見は工場風だが内部はホテルのロビーの様だった。
私は応接室に案内された。暫く待っていると背の高い私より少し年上の美しい女性が現れた。S子が小声で「O先生の前の奥さんです」と言った。「よく来てくれたわ、H、N子と申します」と言って名刺を差し出した。名刺には世界UI協会日本支部長の肩書きが有った。「Pさんが貴方の報告をまっています、Pさんの所に行って下さい」とS子に言った。「はい」と言ってS子が出て行った。S子が出てゆくと急に態度が馴れ馴れしくなり言葉遣いも砕けた調子になった。「会いたかったわ、貴女と私は一人の男を共有したのだから、他人とは思えないわ」と言った。私は美しい顔に似合わず下品な物言いだなと思った。私は曖昧に笑った。
「この研究所は何を研究しているのですか?」と私は聞いた。「あれ彼に聞かなかった?」と彼女は言った。「3万年前、我々ホモサピエンスの祖先クロマニヨン人とネアンデルタール人が共存していた時代が有って、その後ネアンデルタール人は絶滅したのだけれど、その時ネアンデルタール人の劣勢な遺伝子が我々ホモサピエンスの中に取り込まれたため知能の低い人間や障害を持った人間が生まれて来るのよ」と彼女は言った。「貴女は(レオポン)と言うのを知っている?」と彼女が聞いた。私は「ああ、豹とライオンの一代雑種のことですね」と言った。「まあ他にラバなども居るけれど・・・クロマニヨン人とネアンデルタール人は豹とライオン、馬とロバ位DNAが違っているから本来ネアンデルタール人の遺伝子が取り込まれるはずは無いと言われていたのだけれど・・・ネアンデルタールのDNAに関する情報の収集、出来れば我々ホモサピエンスからそれを取り除ければと思って・・・」と彼女が言った。「と言うことはネアンデルタール人の遺伝子を人間の体内から除去すると言う研究ですね」と私は言った。彼女は黙って微笑んだ。私は内心こんな荒唐無稽な話を大真面目で語っている彼女こそ精神鑑定を受けるべきだと思った。
「20世紀初頭人類は何人くらい居たか分かる?」と彼女が聞いた。「2〜30億位だと思いますが・・・」と私は言った。「そう20億人くらいと言われているわ」と彼女は言った。1960年時点で30億、それが今や68億よ、一日20万人、一年で8000万人増えているわ、人間の体温だけでも地球の温度が上がるわ、この人口爆発を何とかしなければ・・・」と彼女が言った。「どうするのですか?」と私は聞いた。「その研究もしているわ」と彼女。「細菌ですか?」と私は鎌を掛けてみた。彼女は微笑んだだけで何も言わなかった。私は細菌兵器の研究だと直感した。
「此方の運営資金はどうやって調達しているのですか?」と私は聞いた。「アメリカの本部から・・・本部にはR財団が付いているから・・・それと国内の協賛企業など」と彼女は言った。我々の組織は政界、財界、官界にも広がっているわ、特に厚生省内には大勢のシンパが居る」と言った。厚生省内のあるグループは日本の高齢化社会が此の侭進むと国の財政は耐えられなくなると危機感を募らせているの、その解決策の研究」「安楽死という事ですか?」とまた鎌を掛けてみた。彼女はまた微笑んだ。そして「貴女はやはり私の妹ね」と言った。
「貴女はDNAの2重螺旋構造を知っているでしょう?細胞がコピーを作って分裂してゆく様に我々の組織も私がO先生を作り、O先生が貴女を作り貴女が誰かを・・・」と言う具合に増殖させて行くわけ」と彼女は言った。「コピーし損なって廃棄した男も居るけど・・・」と言って笑った。M医師の事かなと私は思った。Oが私に近づいたのはその為かと思ったら、吐き気がした。
「そう言えば2重螺旋構造を提唱したジェームズ・ワトソンと言うノーベル賞学者が(黒人は遺伝的に劣っているからアフリカに未来は無い、彼らと我々の知能が同じと考えるべきではない)と言ったそうだが、多分、黒人の遺伝子にはネアンデルタール人の遺伝子が白人より多く入っているのだと思う」と彼女は言った。私はなんと馬鹿げた事を言うのだと思った。彼女は言う「その黒人達の出生率が一番高いわけ、国連が食糧援助を熱心にやるから彼らは働かずに子供ばかり作るのよ、国連の援助のあり方も見直さなければ・・・」と。「黒人の知能程度が低いと言う事は昔カリフォルニア大学のアーサー・ジェンセンと言う人も同じ事を言っていますね」と私は彼女に迎合するふりをして言った。《アーサー・ジェンセンは1969年黒人のIQの平均値が白人のそれよりも15点も低い事から知能は遺伝し、黒人は白人より劣ると結論付けた、物理学者でトランジスターの発明者のノーベル賞学者ウィリアム・ショックリーは1970年代アーサー・ジェンセンの研究を基に「黒人の劣等性を主張する運動」を展開した》彼女はニッコリ笑って「よく勉強しているわ」とあの男と同じ物言いをした。
「明日から幹部候補生の為のセミナーが始まるから、貴女はそれに参加しなさい、貴女にはO先生の代わりを遣ってもらうつもりだから」と彼女は言った。「分かりました」と私は答えた。セミナーは世界の人口問題から、食糧問題、福祉や医療に関する法律など多岐にわたったが、中でもホモサピエンスとネアンデルタール人について多くの時間が割かれた。その生物学の講師によれば、従来、ミトコンドリアDNAの解析からクロマニヨン人とネアンデルタール人の混血は有り得ない、有っても一代雑種だろうと言われてきたが、1999年ポルトガルと2003年ルーマニアで発見された化石が両者の特徴を備えていた。ただネアンデルタール人のゲノム解析の結果は混血の証拠は見つからなかったと言うが「僕は混血していたと思う」と彼は言った。セミナーの中身はこれと言って反社会的なものではなかった。ただ人類が直面する困難の全てをネアンデルタール人のせいにしてしまう論理には付いて行けなかった。これは正にナチスがドイツの経済的困難を全てユダヤ人の責任にしてユダヤ人を迫害したのと同じだと思った。
休憩時間中建物の周りを歩いてみた。建物の一角に大きな排気口を備えた部分が有った。私は此処がレベル4の実験施設だと確信した。しかし内部からはその区域に行く扉に立ち入り禁止の札が掛かっていて行くことは出来なかった。宿泊場所はビジネスホテルのような個室になっていた。前日のセミナーの内容を纏めて、翌日レポートにして提出させられた。会員同士の接触は禁じられてはいなかったが、膨大なレポートを書くのに忙しく、他の会員から情報を聞きだす時間はなかった。食堂で話した北海道の男も、化粧室で会った九州から来たと言う女も何かにつけて「我々は選ばれた人間だから」と言うのには辟易とした。彼らは洗脳されているのだと思った。
組織の目的は、彼らの組織に参加するものは純粋なホモサピエンスで、それに反対するものはネアンデルタール人の遺伝子を受け継ぐ、劣った人間だという事らしい。ナチスがアーリア人種の純粋性を追及した事を思い出した。滑稽な事にその人が純粋なアーリア人種かどうかを計るスケールが有ったそうだ。《そのスケールを顔に当て鼻の高さや目や頬骨の位置などを測り、純粋なアーリア人だとして選ばれた人どうしの結婚を奨励した》此処では何を物差しにするつもりなのだろうかと思った。
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