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作品名:灰色のバス1939>2010>2025 作者:カズロン

第3回   刺殺事件
Tさんの病状が悪化して来た。Tさんは退院してから6年、心の病はとても良くなっていたのだが、最近、尿路結石を患い、泌尿器科に入院した。彼が担当だった。腎臓にも石がある事が分かった。私も精神面の指導のため一度病室に行った。私が行くとTさんは小声で「O先生が僕の身体に何か機械を埋め込んだようだ、先生助けて下さい」と言った。こう言う場合、医師の何気ない態度が精神を患った患者の不信感を招き、患者の妄想を助長してしまう事が有る。私は彼に「Tさんに対して、もう少しきめ細かい対応をして欲しい」と言った。彼は「僕が患者を蔑ろにしていると言うのか」と言って怒った。

Tさんが泌尿器科を退院して一月ほどして精神科の定期健診に来た。妄想は益々進んで「O先生があの機械を使って僕に魔法を掛けている」と言った。「どんな魔法?」と私は聞いた。「昼も夜も鋸のような音を立てて僕を眠らせないようにしている」と言った。私はそれを頭からは否定しないで「そうかも知れないけどO先生が遣っているとは限らないし・・・Tさんの勘違いと言うことも有るから良く確かめた方が良い」と言った。「先生はO先生の恐ろしさを知らないのだ。あの先生が計画している恐ろしい事を僕は知っているんだ」とTさんは言った。「そう、でもTさんの勘違いかも知れないから良く確かめてね」と言った。そして薬の量を増やした。彼にその事を伝えると彼は「厄介な患者だな」と言った。

次の健診にTさんの奥さんが付いてきた。奥さんは言った「夫の言う事も分かるような気がします。私もO先生の悪意を感じます」と。Tさんの奥さんは温厚な人で6、7年の付き合いの中で私に対しても、看護士に対しても一度も声を荒らげた事の無い人だった。その奥さんがそう言うのだから本当に彼の態度は酷いのかも知れないと私は思った。私は彼に「貴方は何故Tさんに辛く当たるの?」と聞いた。「それは誤解だと」彼は答えたが・・・少し沈黙が有って、彼は「正直、僕は精神障害者に嫌悪を感じる」と言った。

「なんと言う事を言うの、仮にも貴方は医者でしょう?」「そんな事を言って恥ずかしくないの?」と私は言った。彼は言った「君も科学者の端くれなら分かるだろう?彼らのためにどれだけ健康保険の原資や税金が浪費されているのか」と。「此の侭では社会の負担は増すばかりだ」と。私は言った「貴方の考えは障害者をあの灰色のバスに乗せたドイツの医者と同じだ」と。《1939年ナチスドイツはT4作戦と呼ばれるドイツ国内の障害者の安楽死計画を遂行した。その時障害者を迎えに来たバスが灰色に塗られていた。この作戦で約7万人(25万人と言う説もある)の障害者が殺害された。家族の抗議や助命嘆願の手紙は数多く残されているが、医師からの抗議の手紙は唯の一つも無かったと言う》

「僕は彼らを抹殺しようと考えているわけではない。僕はそんな悪人ではないよ」「だが彼らを如何にかしなければ成らないのだ、社会のためにも国家のためにも」と言った。彼に対して私の心が冷えてゆくのを感じた。自分は彼の何に憧れたのだろう。「私と貴方の考えは全く正反対ね」「私は貴方には付いてゆけない」と私は言った。「そう、残念だね君は僕たちの仲間になってくれる人だと思っていたのに・・・残念だ」と彼は言った。「仲間って?」私は聞いた。「そうだよ、僕たちはそのために来たのだから」「仲間になる気がないならそれ以上君が知る必要は無い」と彼は言った。私は彼の部屋を後にした。次の日の朝、その事件は起きた。

Tさんが出勤途中の彼を刺殺したのだ。私の患者がこともあろうに私の婚約者を殺害したのだ。Tさんについて、新聞報道はお決まりの「犯人は精神科に入院歴があり、意味不明の事を話している」と書いた。彼の両親は既に無く、商社に勤める彼の弟はイギリスに居た。その弟の依頼で、私は彼の特別縁故者として葬儀を取り仕切る事になった。彼の遺体が検視解剖から戻ってきた。彼の顔を見ても不思議と悲しみはわかなかった。葬儀当日弟がイギリスから戻ってきた。葬儀には前の病院時代の同僚が2名来た。その同僚たちと泌尿器科の顔見知りの看護婦が何かヒソヒソ話しているのを見かけた。私は「僕たちはそのために来た」と言う言葉を思い出した。

葬儀が済むと彼の弟は「色々有難う御座いました」と言って、私に2百万円の小切手を差し出した。私は一応辞退したが、「気持ちですから」と言って私の手に掴ませた。彼は退職金や保険金で数千万円を手にする筈だ。私は有りがたく貰う事にした。「後の事は弁護士に任せました」と言って、彼はその日のうちにイギリスに戻って行った。この事件のことは巷でも大きな話題になった。犯人が被害者の婚約者の患者だと言う事で憶測が乱れ飛んだ。私も警察に呼ばれ事情を聞かれた。前の晩、彼と別れたことは伏せた。私は「Tさんが彼に不信感を持っていた事は知っていたが、まさかあのような事件を起こすとは思わなかった」と警察に言った。大学でも調査委員会が設けられたが、警察に話した事を繰り返した。大学でも不可抗力としてそれ以上の追求は無かった。ネットではTさんが私に横恋慕してO医師を殺したとか、私が「O医師に別れ話を持ち出されてTさんを使って彼を殺害した」とか姦しいことに成っていた。

Tさんは現在警察に拘留されているが、精神障害者として起訴猶予になるか、起訴されても障害を理由に無罪になるか、責任能力有りとして有罪になるかの何れかだろう。しかし有罪になる可能性は低いと思う。現在精神障害者の扱いは長期に入院させて治療する医療から家族のもとに置いて治療し、社会復帰させると言う方向になっている。これは日本の精神障害者の入院期間が長く、非人道的だと諸外国の批判を受けたためだ。しかしTさんの様な触法精神障害者の扱いを如何するか・・・「法的に無罪だからと言ってそのまま社会に出して良いのか」と言う意見もあり、彼らの収容施設を作ろうと言う動きがあった。しかし人権派の弁護士や医者は収容施設の建設に反対していた。私は医療の現場で、何をしでかすか分からない患者を持つ家族の不安を見聞きしていると、触法精神障害者に限っては、その様な収容施設は必要だと思っている。《2005年に一応法律は出来たが、収容施設の建設は地元の反対なども有り、進んでいないのが現状だ》

私はネットを観ていて偶然彼に関する古いスレを見つけた。そのスレは8年ほど前のものだった。そのスレには彼がある人物を殺害しようとして毒を盛ったと言うような事が書いてあった。書き込みをしている人物は文面から彼の元同僚で、文脈からして精神的疾患を持った人物と思われた。「O医師は危険人物だ」と断罪していた。彼の言うように彼と同じ考えの人達が組織を作って社会を変えようとしているとしたら、それは由々しき事だと思った。私は調べて、問題が有るなら公表しなければと思った。私はドイツとアメリカの精神医学会の関係を調べる過程で知った「灰色のバス」の話の中で、障害者の殺害にドイツの医者は唯の一人もそれに対して抗議しなかったと言う事に、医者の一人として義憤を感じていた。

私は泌尿器科の看護士S子を呼び出した。「彼が入っていた組織について聞かせて」と私は彼女に言った。「O先生から聞いたのですか?」と彼女は警戒しながら探るような目をして言った。私は「ええ」と答えた。「協力者の名前は明かしてはいけない事になっているのに」と彼女は言った。「きっと、O先生は先生を信頼していたのですね」と彼女は言った。「私は彼の言っている事に共鳴したのでその組織に参加したいと思って・・・でも彼があんな事になってしまって」と言った。しかし彼女は「明日まで待って下さい。上の者と相談して連絡します」と言った。

翌日彼女から連絡が来た「先生一週間ほど休暇を取って下さい、私とK市に行って下さい」と。H県のK市は彼の出たK大学医学部がある町だ。私は病院に休暇届を出した。「色々辛い事があったものね、後のことは私たちに任せてリフレッシュしてらっしゃい」と同僚のI女医が言った。関西に向かう新幹線の中で私はS子に「偶然見つけたのだけれど、彼が誰かを殺そうとしたと言う話・・・」と言った。S子は「あれは嘘ですよ、泌尿器科の主任教授のU先生とO先生が言い争いをして、次の日U先生がクモ膜下出血で倒れて、手術をして一命は取り留めたのだけれど廃人に成ってしまって・・・それでO先生が疑われてしまったんです」と言った。「その事をネットに書いている人は?」と私は聞いた。「ああM先生ね、O先生とは無二の親友だったのだけれど・・・頭がおかしくなってしまって・・・なぜあんな書き込みをしたのか分かりません。今何処かの精神病院に入院していると聞いています」とS子は言った。


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