しかしその機会も無いまま、2年ほどの月日が流れた。もう、そろそろ仲間内でも結婚する者が出てきた。まだ彼女の居ないK君も多少あせり始めていた。そんな時、S君が「うちの親が君とあのM越の従姉妹と、どうだろうかと言っているのだけれど」と言った。K君は、その彼女を見てみたいと言う気が有ったので、「良いよ」と答えた。「それじゃ、親に話しておくから」とS君は言った。
実はK君には丁度その頃、中学の同級生Sジュンイチの彼女、ブティック店長のM世ちゃんからも店の女の子を紹介したいと言う話が来ていた。K君は二股と言うのは嫌なので、どちらか先に話が具体化した方と会って、片方は会う前に断わろうと決めていた。「M越」が先だった。3枚のスナップ写真が来た。次の天皇誕生日に会うことになった。K君は自分の顔を棚に上げて、「S君が言っている程ではないな」と思った。そして「これなら気楽に会える」と思った。
M世ちゃんに「向こうから具体的な話が来たので、そちらの方は断わって欲しい」とK君が言うと、M世ちゃんは「両方会ってみて良い方と付き合えば良いじゃない」と言った。M世ちゃんは自信有りげだった。K君はちょっと心が動いたが決めていた通りにする事にした。Sジュンイチが「両方と会って、両方に断わられたりして」と言った。それは考えていなかったが「そのパターンも有るな」とK君も思った。「そのM越に断わられたからと言って、また頼むと言われてもそれは無いよ」とジュンイチに釘を刺された。「それは分かっている」とK君は答えた。
当日、祭日にもかかわらず問屋に納品が有った。それを済ませて迎えに行ったのでK君がS君の家に着いたのは11時を回っていた。急いで出かける事になった。S君が彼女に助手席に乗る事を勧めた。そしてS君が後ろの席に乗った。彼女は「宜しくお願いします」と言いながら助手席に乗ってきた。千葉の鴨川シーワールドに行く事になった。
しかし車に乗ってから彼女は一言も話さず仏丁面で窓の外を見ているだけだった。K君は自分のことが気に入らなかったんだなと思った。それにしても26の女にしては大人気ない態度だなとK君は思った。むかついたけれど、「自分は大人の対応をしよう」とK君は思った。
京葉道路の出口に有る「せっかち」と言うレストランで食事をした。もっぱら話をするのはS君とK君で彼女は聞いているだけだった。K君が会計を済ませてレストランを出ようとした時、S君が「トイレに行って来る」と言った。彼女とK君は食事の前にそれを済ませていた。彼女がレジの側に有ったチョコレートの首飾りを手にとって見ていた。K君は「記念に買ってあげましょうか」と言った。すると彼女が始めてニッコリ笑った。彼女はそのチョコレートの入った袋を大事そうに持って助手席に乗ってきた。K君は彼女が自分を気に入らないのではなく、極度に緊張していたのだという事に気が付いた。
S君が言った「シンちゃんは全国紙の一面に大きく載った事があるんだよ」と。「でも、悪い事をしたわけでは無いですよ」と彼女が言った。彼女は一族の間では「シンちゃん」と呼ばれているらしい。本名はT、S代だった。「ほら大分前に大蔵省の放出ダイヤと言うのが有ったでしょう、あの時会社で抜擢されて・・・シンちゃん綺麗だから」とS君。「手が綺麗だからと言われて選ばれたんです」と彼女。彼女の手は女らしい優しい綺麗な手をしていた。「手だけだと思ったら顔まで出てしまって、吃驚しました」と彼女。K君は、幼稚園児の上張りの様なM越の制服を着た女性が大きなダイヤの指輪をつまんで翳している写真を見た記憶が有った。「あれは入社して2年目の事ですから、もう5、6年前のことですよ」と彼女は言った。「すごいなー」とK君が言うと、彼女がまたニッコリ笑った。K君は「可愛い」と思った。
話し始めると彼女は無口どころかお喋りの方だった。そして良く笑った。明るい性格だった。彼女がK君より半年、年上だと言う事も分かった。そしてM越は一年前に辞めていて半年前からワイシャツ会社の受付嬢をしていることもK君は知った。「M越を辞めたのは何か有ったのかな」とK君は思ったが聞かないほうが良いような気がしたので聞かなかった。
帰りに京葉道路の入り口近くに有る「ひまつぶし」と言うレストランで早夕飯をした。K君は、S君がトイレに立った後、彼女に「今度映画を観に行きませんか?」と言った。彼女は「私、映画好きです」と言った。K君は「後で連絡しますから」と言って、お互いの電話番号の交換をした。S君に「今度映画を見に行く事になった」とK君が報告すると、S君は吃驚した顔をしたが、「それは良かったね」と言った。S君は、この話は十中八九、K君が断わられると予想していたようだった。
K君がスナック「P」に行くと、K君が「見合い」をしたことは皆の話題になっていた。大方の予想は、「お高いM越の女がK君と合うわけが無い」と言うものだった。K君が「今度映画を観に行く事になった」と言うと皆が吃驚した。「それならラブロマンスが良い」などと姦しい事になった。そこにオカマのノンちゃんが話しに割り込んできて「ラブロマンスなんて駄目よ」と言った。「なぜ」と誰かが言うと、ノンちゃんは「だってラブロマンスの男優は皆良い男でしょう、外に出てK君の顔を見たら100年の恋も覚めるわよ」と言った。K君は「酷いことを言う」と思ったけれど、「真理」だと思った。
N暮里のK成線の改札口で待ち合わせた。待ち合わせの時間5時の10分前にK君は着いた。既に彼女は来ていた。白っぽいニットのツーピースを着て緊張した顔で待っていた。K君を見るとホットした顔をして微笑んだ。「待った?」とK君が言うと「ううん」と言って首を振った。「早いけれど食事していこう」とK君は言った。N暮里の大衆食堂に案内した。そこはK君の同級生のY君が就職した製紙会社の倉庫がN暮里に有って、Y君と何度か食事をした所だった。食堂に入ってから、最初のデートで「此処は拙かったかな」とK君は思った。しかし彼女はそんな事を気にしないで「美味しい美味しい」と言って牡蠣フライ定食を食べた。「良い女だ」とK君は思った。
ノンちゃんの忠告に従って恋愛ものは避けた。丸の内ピカデリーに行った。まだ銀座マリオンは無かった。ピカデリーでは「ニコライとアレクサンドラ」と言う映画を遣っていた。題名からすると恋愛映画に見えるが、これはロシア革命を描いた作品で、最後にニコライ皇帝以下ロマノフ家の全員が銃殺されてしまうと言う、凄惨な映画だった。彼女は残酷な場面では顔を覆っていたが、3時間以上の大作にもかかわらず最後まで見た。「どうだった」とK君が聞くと「良かったよ」と答えた。そして「幼い子供まで殺されてしまって可哀想だった」と言った。「今度は君の好きなやつにしよう」とK君が言うと「今度は(寅さん)が好い」と本音を言った。こうしてK君は次のデートの約束が出来た。
映画を観たり食事をしたりのデートが何度か続いた。3度目のデートでK君は思い切って聞いた「M越は何で辞めたの」と。彼女は「好きだった人が結婚してしまって、毎日同じ職場で顔を会わせるのが辛くて・・・」と言った。そして「彼は同期入社のK応出の人で・・・7年間も青春を無駄にしてしまいました」と、あっさりと言った。K君は中学の同級生、A君の話を思い出した。A君のお姉さんもM越に勤めていて同じ職場で5年付き合った男性が、なかなか結婚を言い出さないので親が男を家に呼んで「娘と結婚してくれないのか」と問い詰めたら、男に「その気は無い」と言われて家族皆で悔しがったそうだ。その後お姉さんは見合い結婚したと言う事だった。似たような話があるものだとK君は思った。
K君は彼女が「こんな自分でも結婚してくれるのか?」と言っている様に感じた。彼女が正直に自分を曝け出したのにそれを受け止められないのなら「自分は男ではない」とK君は思った。「自分が惨めになるから、この話はこれだけにして下さい」と彼女は言った。「分かった」とK君は答えた。
6月の始めに江ノ島にドライブに行った。帰りの鵠沼海岸でK君は男としてやるべき事をやった。そして「結婚して欲しい」と言った。彼女は「はい」と答えた。出会って一月余りで結婚を決めたわけだ。家に戻り、K君は両親に「結婚しようと思う女が居る、今度連れて来る」と言った。両親は吃驚して言った「どんな娘だ」と。K君は「家族関係などのあらましを話し、そして年上のブスだ」と言った。
父親は「年上のブス」と言う言葉を真に受けて言った「お前はまだ26だ、そんな年上のブスを貰う事は無い、おれが兄貴に頼んでもっと若いいい娘を探してもらってやる」と。母親が言った「お父さん何を言っているの、本家のトシさんが何回も見合いして、まだ嫁さんが決まらないのに、うちの為に探してくれるわけ無いじゃない」と。「Kが良いならそれで良いじゃない」と。父親は不満そうだった。
K君は自分の家に彼女を連れて来る前に彼女の家族に挨拶をしなければと思い、彼女を送りがてら彼女の家を訪問した。家族皆で歓迎してくれた。優しそうな母親と、確かに美人の姉と妹だった。姉は「時計のS工舎」に勤めていた。妹は「カメラのC社」に勤めていた。母親は弟さんの会社に手伝いに行っていると言っていた。この他に、19で嫁に行った次女が居るということだった。女ばかりの家庭だが家族の結束が強い、確りした家庭のようにK君は感じた。
次の日曜日、彼女が来る事になった。K君は駅まで迎えに行った。その日、近くに住むK君の母方の伯父の後妻で元粋筋にいたと言うD坂のおばさんと言われている伯母も来ていた。K君の父親はK君の彼女を見たとたん、今まで普段着で居たのだが慌てて背広に着替えネクタイを締めてきた。D坂のおばさんは言う「Kちゃん演出が上手いね、こんな綺麗な人をブスだブスだと言って、皆がどんなブスだろうと思っている所に、この美人を連れてくれば皆吃驚するものね」と言った。K君は「別に演出した訳では無いのに」と思った。K君は本当に彼女をブスだとも思わないが、美人だと思ったことも無かった。K君は吉永小百合より島倉千代子の方が美人だと思っている人だった。
彼女は土産にユーハイムのバウムクーヘンを持ってきた。K君の母親はこの菓子を知らなかった。「S代さん、これどう食べるのですか?」と聞いた。後に、この事で彼女は「お母さんは正直な人だ」と思い、「お母さんに好感を持った」と言った。K君の両親は彼女を賞して「宝くじに当たった様なものだ」と言って喜んだ。Pのママから何度かジュンイチを通じて彼女を見せてくれと言って来たが、K君は、彼女をママに会わせると、(前の事も有るので)この結婚に何か悪い事が起こる様な気がしてPには連れて行かなかった。それゆえ、段々Pとも疎遠になって行った。
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