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作品名:ノモンハン事件(父の行った戦場) 作者:カズロン

第6回   夜襲
父がどの戦場に居たのかも聞いていませんでした。父から聞いた話では到着して何日かしてから夜襲を掛けると言うことで夜出発したそうです。自分の一生も今晩が最後だと思ったそうです。しかし砂漠の中を一晩中歩き回っただけで敵には遭遇しなかったそうです。行軍中もエンジンを吹かす戦車の音などが聞こえたそうですが、中隊長は磁石を見ながら別の方向に誘導して行ったそうです。夜が明けると連隊本部の近くに居たそうです。連隊長以下の面々が「ご苦労ご苦労」と言って出迎えてくれたそうです。その夜襲攻撃の日から1週間後に停戦になったそうです。父はそのことから中隊長あるいは連隊長も黙認の上でこんな作戦で死んだら犬死だと言うことで戦闘をした事にして上層部に報告したのではないか、おかげで自分は助かったのだと言っていました。

ウィキペディアに次のような一文を見つけました。
【南方のハンダガヤ付近では、増援に来着した歩兵2個連隊を基幹とした片山支隊が8月末から攻撃に出た。この地区で日本軍に対したのはモンゴル軍の騎兵部隊で、9月8日と9日に夜襲を受けて敗走した。9月16日の停戦時に、ハルハ川右岸の係争地のうち主戦場となったノモンハン付近はソ連側が占めたが、ハンダガヤ付近は日本軍が占めていた。】

父は多分この片山支隊に属していたのではないかと思います。ハンダガヤと言う言葉を父から聞いたような気がします。一週間後に休戦と言うと夜襲を決行したのは8日から9日にかけてと言うことです。おそらく2個連隊の兵力は4千から5千の人員だと思います。その日本軍の先頭が見えた時点でモンゴルの騎兵部隊は逃走してしまったのだと思います。だから敵に遭遇しなかったのだと思います。遮る物が無い広い砂漠で戦車のエンジンの音は何十キロも離れた所からでも聞こえるのではないでしょうか、或いは中隊長は攻撃するべき場所に向かっていたのではないでしょうか、重い大砲を運んでいる父の隊は他の部隊より遅れていたのかも知れません。先行の部隊がモンゴルの騎兵部隊を追い払ったところに到着したのかもしれません。父は連隊本部に戻ったと思ったのだけれど、実はその連隊本部も占領地の方に移動していたのかもしれません。この占領地がノモンハン事件で唯一日本側がモンゴルの主張する線よりモンゴル側に食い込んだ場所だったそうです。

私が高校生の頃だったと思いますが、何か探し物があって父の部屋の天袋を探していた時古びたズックの袋を見つけました。表に奉公袋と書いて有りました。その中に小さな漆塗りの黒い箱と茶色っぽい箱、それと手帳が入っていました。黒い箱の中に勲章が入っていました。茶色の箱の方にも勲章が入っていました。黒い箱の勲章は桐のデザインだったと思います。茶色の箱の勲章は銅のような色のメダルでした。父にこれは何か尋ねると「手帳は軍隊手帳で、黒い箱は勲章、茶色いのは従軍記章と言うのだ」と言いました。その頃叙勲制度が始まって新聞に発表された勲八等の勲章のデザインが父の持っている物と同じだったので強く印象に残っていました。父はその勲章を貰った理由を隊が軍の上層部に大掛かりに粉飾した戦果を報告した為だろうと言っていました。父の性格では貰えるものは貰った方が得だと思ったようです。

ここで私は違うシナリオが有る事に気が付きました。片山支隊の主力がハンダガヤのモンゴル騎兵部隊を攻撃すると当然ノモンハン方面からソ連の戦車部隊が救援の為に南下して来る筈です。父たちの部隊はそれを待ち伏せて殲滅すると言う任務を与えられていたのではないかと思います。しかし待ち伏せ地点に到着する前にハンダガヤが陥落してしまい、ソ連の戦車部隊も出番が無くなり、父たちの部隊は占領地の防衛の為に呼び戻されたと言う事ではないでしょうか。前にも言ったように、ハンダガヤは唯一日本側がモンゴルの主張する線よりモンゴル側に食い込んだ場所だったわけで、軍にとって激戦の末に手に入れた場所にしたかったのではないでしょうか。つまり父たちの部隊が南下してくるソ連戦車部隊を阻止した為にハンダガヤは難なく陥落したと嘘の戦果を上層部に報告したのではないでしょうか。その結果父が勲章を貰う事に成ったのかも知れません。軍隊手帳があれば父がどの部隊に属していたかなどもっと詳しい事が解ると思うのですが、残念ながらその勲章も手帳も行方不明です。家を建て替えるときに廃棄してしまったのかも知れません。


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