さて父の話に戻しましょう。父が居た水分河と言う所は大変寒い所で冬は零下30度以下になると言うことです。そのエピソードとして父がよく言っていたのは小便をすると下から氷柱が伸びてきて自分のXXXXまで迫ってくるくらいだと言っていました。ある冬、隊の創立記念日に地元の人(父は満人と言っていた)を招待したそうです。普段飲み慣れない美味い酒と料理を食べた人たちがいい気持ちになってしまい家に帰る前に路上で寝てしまって十数人が凍死してしまったそうです。その人たちを収容して家族に引き渡すために軍がトラックを出したそうです。父もその仕事に駆り出されたそうです。遺体は完全に凍ってマネキンのようだったと言っていました。家族に泣かれて困ったと言っていました。軍がわずかな見舞金を出したと聞いたそうです。
また士官学校を出たばかりの少尉が酒を飲んでいた時に非常呼集がかかり隊の全員が防寒服を着て出動準備をしていた所、その少尉が酒のせいもあり尿意をもよおして便所に駆け込んだそうです。酒のせいで厚い防寒服の下から自分のXXXXを出すことが出来ず中に漏らしてしまったそうです。部下にそのことを知られたくないのでそのまま出動してしまったそうです。帰って来た時には酷い凍傷にかかっていて大腿部切断の重症で内地に送還されたそうです。後年父は中国の大躍進の時代、中国の発展を放送するテレビを見て「あのような過酷な土地で北京の偉い人が号令をかけた位で作物が増産できるなら中国の農民がとっくにやっている筈だ」と言っていました。案の定大躍進は失敗で中国が公式に認めただけでも中国東北部(旧満州)では35万人が餓死したそうです。
父が歩哨に立っていると営門の中を窺っている怪しい男が居るので数人で衛兵詰め所に連れ込んでかなり手荒な取調べをしたそうです。ソ連のスパイだと思ったそうです。本来このような人物は上官に報告して憲兵隊に引き渡すのですが、電話線の件があったのでここで手柄を立てればと言う思いも有ったそうです。その人物は日本人とロシア人の混血だったそうです。その人物が最初は何も言わなかったのですが、最後に特務機関の将校の名前を出して、その人に連絡してくれと言うので、その時初めて自分たちの上官に報告したそうです。まもなく特務機関から迎えが来てその男を連れて行ったそうです。後にその人物が特務の曹長だということを上官から聞かされたときは震え上がったそうです。父はまたへまをした訳です。皆で謝りに行きたいと上官に言うと「話はついているからその必要は無い」と言われたそうですが、その後数週間は生きた心地がしなかったそうです。
その頃のことだと思いますが、父の隊で古参兵のいじめに耐えかねて初年兵が脱走して事もあろうに国境に設けられた緩衝地帯のソ連側で木にベルトを架けて首を吊って死んでしまったそうです。緩衝地帯と言うのは国境線を中心にソ連側と満州側に互いに何百メートルかの非武装地帯を設けてお互いに立ち入らないようにしていたそうです。日本側はソ連側に遺体を引き取りたい旨、申し入れをしたのですが、ソ連側からは無しの礫で、一週間しても返事が無かったそうです。その間遺体は木にぶら下がったままだったそうです。ソ連側の許可が無いまま遺体を取りに行けば機関銃で蜂の巣にされてしまうのは目に見えています。皆が悔しがったそうです。その時、別の場所でソ連の脱走兵が日本側に射殺されたそうです。その遺体と木にぶら下がっている遺体の交換の話が進んで無事遺体を取り戻すことが出来たそうです。しかし隊では、ソ連兵の遺体は日本側がソ連の歩哨を殺害して遺体を作ったのだと言う噂が囁かれていたそうです。恐ろしいことです。
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