伯父が何年ごろ入営したのかはよく分かりませんが、私が生まれた年、昭和21年の秋頃に兵隊から戻ったのだと思います。というのは伯父が「俺が家の玄関を開けると赤ん坊がハイハイをして出てきてビックリした。それがお前だ」と言ったからです。伯父はよく「足掛け13年兵隊に行っていた」と言っていたので、昭和9年ごろ召集されたのだと思います。
太平洋戦争が激しくなった頃は別として、昭和9年頃は長男が召集されることは珍しく、況や戸主で長男である伯父が兵隊に取られるのは通常考えられない事でした。職業軍人でもなくそれも兵隊のまま13年間の軍隊生活は有り得ない事でした。
父に聞いた話ですが伯父は将来父親の仕事を継ごうと思い、その仕事に必要だと言うことで馬の蹄鉄師の試験を受けるために東京で下宿しながら受験に備えていました。この試験は国家試験で解剖学などもあるかなり難しい試験だったようです。
下宿の隣室の青年が「この本を読んでみないか」と本を置いてゆきました。ある日特高警察が来て隣の青年が逮捕されてしまいました。彼は当時非合法の共産党員だったのです。伯父の部屋も捜索されてその本が押収されました。伯父も警察に連れて行かれ取調べを受けました。事情を説明してその日のうちに釈放されましたが、試験も終り家に戻って暫くすると佐倉の鉄道隊から召集令状が来たそうです。
当時軍に批判的な新聞記者などが召集される懲罰召集と言うのに引っかかったのだと言うことです。要するに共産主義というバイ菌に汚染された人間で今は発症していないが何時発病するかわからない人物だから軍隊に入れて監視しようと言うわけです。
太平洋戦争が始まる少し前、昭和16年ごろ3ヶ月間ほど戻ってきたと言うことですが、また召集されて中支に派遣され戦争が激しくなると共に音信不通になってしまいました。軍隊は星の数(階級)より飯の数(何年兵か)が物を言う所なので10年も居るような兵隊は神様みたいなもので上げ膳据え膳の扱いを受けて、そう言う意味では良い思いもしたけれど何時までたっても除隊できない事が辛かったと言っていました。
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