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作品名:ベージュのコート 作者:カズロン

第8回   K君の独白
長い年月の中で、知らず知らず彼女との出来事を美化してしまいました。「彼女のために自分は身を引いた」と、自分自身をも騙してきたようです。彼女に指摘されてそうではなかった事を思い出しました。

銀行で会った時、「元気?」と言う彼女の声を聞いた途端、彼女に会いたくて堪らなくなりました。我慢できず、その日の夜電話しました。

「もしもし、Kと申しますが、K子さんおいででしょうか?」「はい」と彼女の母、ちょっと間を置いて「いままで居たのですけど、出かけたようです」「解りました。またお電話します。」と僕。

居留守を使われたと直感しました。そして無性に腹が立ってきました。僕は思いました自分は彼女のためにこんなに苦しんでいるのにあの女は、駆け引きしている。その時、僕の中で女神が女に変わりました。

次の日も電話しました。昨日の電話に彼女が出たら「是非会いたい」と言ったと思います。でも今日の電話は初めから「彼女の思い通りになるものか」と決心して掛けました。その時、簿記学校の同級生たちと会食していました。彼らに「電話してくる」と言って、電話ボックスに行きました。

昨日と同じ時間に電話を掛けると、今度は彼女が直接出て明るいはしゃいだ声で「お久しぶり」、心の中で(昨日会ったじゃないか)、僕は言いました「近くにいるのだから、昨日の銀行のときみたいに挨拶ぐらいはしょうよ」と、「それじゃ」と言って切ろうとすると、「ちょっと待って」と言って、それから彼女はどうでも良い話を続けて電話を切らせないのです。30分程して友達を待たせているからと言って無理に切りました。でも僕は会いたいとは言いませんでした。「意地でも言うものか」と言う気持ちでした。

テント業者が「若旦那、人手が足りないので、ちょっと手伝ってくれませんか」と言われ2階に上がってロープを持って待っていると向かい側の中華ソバ屋の前から僕のほうに向かって大きな声で「大変ね!」と彼女が言いました。僕は片手を上げて微笑みました。その様子をソバ屋の店主が僕の顔と彼女の顔を交互に見比べていました。彼女は体の向きを変えると駅の方へ走って行きました。彼女の「電話してよ」と言うメッセージだと思いました。でも僕は、あえてそのメッセージを無視しました。

居留守を使われた事に腹を立て、僕はすねていたのです。しかしその許せないと言う気持ちは段々エスカレートして、引き返せないところまで来てしまっていました。

二人の関係は膠着状態のまま、千葉の合宿に出かけたのです。20日間程の合宿を終えて帰ると彼女はもう前の薬局には居ませんでした。

5月の或る日、彼女の同僚が来ました。和菓子を買い、「実は電話帳を無くしK子と連絡が取れないのだけれど、教えてくれない」と言いました。彼女が僕に何を言わせたいのかは手に取るように分りました。【僕が「彼女どうしていますか?」、彼女が「K子悩んでいるみたいよ、電話してあげて」と言う展開になるだろうと】だからあえて彼女のことは口にしませんでした。

僕は財布を出し、中から電話帳を取り出しながら、「あ、だめだ、この電話帳新しくしたので彼女の電話番号は載っていないし、古いのは捨てちゃったから・・・」と言いました。彼女の電話番号なんか空で言えましたけど・・・同僚はがっかりした様子で帰って行きました。

それが彼女との完全な決別を意味すると言うことに気が付いたのは同僚の彼女が帰ったあとでした。「これで終わった」と思いました。そして言いようの無い寂寥感に襲われました。

その年、巷では長谷川きよしの「別れのサンバ」が流行っていました。夜ひとりでこのレコードを聞いて涙を流しました。


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